「コンスタンティノス11世」を編集中
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を保存して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
48行目: | 48行目: | ||
:常に周りを見通しその場に置いての最善を考える思慮の深さを持つも、割に合わなかったりこれが限界だと判断した時は「じゃあ仕方ない」とあっさり諦める潔の良さも兼ね揃えている。これは自身が帝国最後の皇帝、即ち国と共に滅びた英雄である故の思考で「これは滅ぶだろう」「これは負けるだろう」という確信を持ちながらも、「しかし全力で戦わなければならない」という、傍目からは矛盾した心理が彼にとっては当然の道理であることに起因している。そのためか本人は「それはそれとして全力で戦おう」と決意しているも、周りから見ればその熱意があまり感じ取れない…という懐疑心を持たれてしまいがちになる。 | :常に周りを見通しその場に置いての最善を考える思慮の深さを持つも、割に合わなかったりこれが限界だと判断した時は「じゃあ仕方ない」とあっさり諦める潔の良さも兼ね揃えている。これは自身が帝国最後の皇帝、即ち国と共に滅びた英雄である故の思考で「これは滅ぶだろう」「これは負けるだろう」という確信を持ちながらも、「しかし全力で戦わなければならない」という、傍目からは矛盾した心理が彼にとっては当然の道理であることに起因している。そのためか本人は「それはそれとして全力で戦おう」と決意しているも、周りから見ればその熱意があまり感じ取れない…という懐疑心を持たれてしまいがちになる。 | ||
:その一方で知的好奇心と探究心も旺盛で、ついつい後先考えない行動をとって痛い目を見てしまったり、かと思えば割とフランクでノリの良い所もあったりする。 | :その一方で知的好奇心と探究心も旺盛で、ついつい後先考えない行動をとって痛い目を見てしまったり、かと思えば割とフランクでノリの良い所もあったりする。 | ||
− | |||
− | |||
;能力 | ;能力 | ||
:剣と馬術を合わせた突進攻撃に、衛兵を召喚した迎撃や砲弾や弓矢などによる援護射撃を用いたオーソドックスな戦法を行う。 | :剣と馬術を合わせた突進攻撃に、衛兵を召喚した迎撃や砲弾や弓矢などによる援護射撃を用いたオーソドックスな戦法を行う。 | ||
96行目: | 94行目: | ||
;[[ゲオルギウス]]、[[マルタ]] | ;[[ゲオルギウス]]、[[マルタ]] | ||
:正教会における聖人の代表格。同じ聖人仲間として戦える事を喜んでいる。 | :正教会における聖人の代表格。同じ聖人仲間として戦える事を喜んでいる。 | ||
− | :その一方で[[マルタ〔ルーラー〕|水着の方のマルタ]] | + | :その一方で[[マルタ〔ルーラー〕|水着の方のマルタ]]に関しては、聖女が拳を振るう姿に「自分は疲れてるからそう見えてるだけで気のせいだよな…」と頭を抱えている。 |
;ローマ皇帝サーヴァント | ;ローマ皇帝サーヴァント | ||
123行目: | 121行目: | ||
:ドン・キホーテに変わり『王勇を示せ、遍く世を巡る十二の輝剣』によって自らの宝具を相殺する形で打ち砕かれた。 | :ドン・キホーテに変わり『王勇を示せ、遍く世を巡る十二の輝剣』によって自らの宝具を相殺する形で打ち砕かれた。 | ||
:なお、コンスタンティノスがローマ帝国最後の皇帝であるのに対し、シャルルマーニュもといカール大帝は神聖ローマ帝国最初の皇帝である。 | :なお、コンスタンティノスがローマ帝国最後の皇帝であるのに対し、シャルルマーニュもといカール大帝は神聖ローマ帝国最初の皇帝である。 | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
;[[ジャンヌ・ダルク〔オルタ〕]] | ;[[ジャンヌ・ダルク〔オルタ〕]] | ||
139行目: | 132行目: | ||
:同じ「守兵の王」として高名な存在。 | :同じ「守兵の王」として高名な存在。 | ||
:参考にしたいと願いつつも、その頑健さはスパルタ特有の物として別側面からのアプローチを試みている。 | :参考にしたいと願いつつも、その頑健さはスパルタ特有の物として別側面からのアプローチを試みている。 | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
===生前=== | ===生前=== | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
;[[メフメト2世]] | ;[[メフメト2世]] | ||
:和平を結んだにも関わらず、即位後すぐ様コンスタンティノープル占領を開始したオスマン帝国皇帝。 | :和平を結んだにも関わらず、即位後すぐ様コンスタンティノープル占領を開始したオスマン帝国皇帝。 | ||
187行目: | 168行目: | ||
**当初はこの呼び名から物理学者「マイケル・ファラデー」と、[[ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス|パラケルスス]]との砂糖に関する大論争で有名な医師「ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)」が真名候補に上がっていた。 | **当初はこの呼び名から物理学者「マイケル・ファラデー」と、[[ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス|パラケルスス]]との砂糖に関する大論争で有名な医師「ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)」が真名候補に上がっていた。 | ||
**その後マーリンが「コ…」と口を滑らせていた事と “滅び行く国の首領” 発言からコンスタンティノスの名前が上がり判明に至った。 | **その後マーリンが「コ…」と口を滑らせていた事と “滅び行く国の首領” 発言からコンスタンティノスの名前が上がり判明に至った。 | ||
− | ***一方で声優については、イベントショップ担当時の声があまりにも[[ドゥムジ]] | + | ***一方で声優については、イベントショップ担当時の声があまりにも[[ドゥムジ]]そっくりだったため早々に看破されていた。 |
*召喚時は初登場のスーツ姿だが、霊基再臨すると第二ではアテネ大聖堂にある銅像にも使用されているローマ帝国時代、第三ではコンスタンティノープル陥落における演説及び最終突入時と思われる鎧装束に変わる他、セイントグラフの立ち絵にも全て違うポーズが使われている等かなり凝っている。細かい所では戦闘で召喚する兵士たちも、再臨に合わせてスーツから鎧姿に変わる。 | *召喚時は初登場のスーツ姿だが、霊基再臨すると第二ではアテネ大聖堂にある銅像にも使用されているローマ帝国時代、第三ではコンスタンティノープル陥落における演説及び最終突入時と思われる鎧装束に変わる他、セイントグラフの立ち絵にも全て違うポーズが使われている等かなり凝っている。細かい所では戦闘で召喚する兵士たちも、再臨に合わせてスーツから鎧姿に変わる。 | ||
*コンスタンティノス'''11世'''と明記されてはいるが、数え方の違いによっては12世または13世と表記される事もある。これは『一夜皇帝』と呼ばれる短期間だけ即位した皇帝コンスタンティノス・ラスカリスと、ヘラクレイオス王朝の皇帝コンスタンス2世を正式名の『コンスタンティノス』に統一して頭数に入れているため。 | *コンスタンティノス'''11世'''と明記されてはいるが、数え方の違いによっては12世または13世と表記される事もある。これは『一夜皇帝』と呼ばれる短期間だけ即位した皇帝コンスタンティノス・ラスカリスと、ヘラクレイオス王朝の皇帝コンスタンス2世を正式名の『コンスタンティノス』に統一して頭数に入れているため。 | ||
*実はコンスタンティノス誕生時、東西の宗教対立とオスマン帝国軍の度重なる侵攻のせいで既にローマ帝国は斜陽の国も同然の状態であり、領地は首都コンスタンティノープルを除けば半島が幾つかあるだけで、街には粗雑な貨幣が出回り、皇帝一家が暮らす宮殿の修繕費用もろくに算出できず、どうにか片隅の居住可能な一室で細々と生活していたという。占領時に西欧諸国から援軍を得られなかったのもこの貧困が原因だったのだろう。 | *実はコンスタンティノス誕生時、東西の宗教対立とオスマン帝国軍の度重なる侵攻のせいで既にローマ帝国は斜陽の国も同然の状態であり、領地は首都コンスタンティノープルを除けば半島が幾つかあるだけで、街には粗雑な貨幣が出回り、皇帝一家が暮らす宮殿の修繕費用もろくに算出できず、どうにか片隅の居住可能な一室で細々と生活していたという。占領時に西欧諸国から援軍を得られなかったのもこの貧困が原因だったのだろう。 | ||
− | ** | + | **これを打開すべく1454年に東方正教会をローマ・カトリック教会に統合する宣告をおこなったが国民中から大顰蹙をかってしまい<ref group="注">他にも現実主義のメフメト2世が、例え国を征服しても信仰の自由まで奪うつもりはないだろうという意見が強かった部分もあった。</ref>結局諦めざるを得なかったという。 |
*[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]もコンスタンティノス宛のマイルーム会話で言及しているが、東''' “ローマ” '''帝国と明記されてはいるものの民族・文化的にはギリシャの影響を受け13世紀頃には住民もギリシャ系に置き換わっており、元手のローマ帝国とは似ても似つかない別国家となっている。 | *[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]もコンスタンティノス宛のマイルーム会話で言及しているが、東''' “ローマ” '''帝国と明記されてはいるものの民族・文化的にはギリシャの影響を受け13世紀頃には住民もギリシャ系に置き換わっており、元手のローマ帝国とは似ても似つかない別国家となっている。 | ||
*Busterアタックで登場している鎖は、オスマン艦隊の侵入を阻止するため金角湾入り口に張り巡らせた防鎖だと思われる。これを突破すべくメフメト2世が編み出したのが陸を超えて船を湾に移させた「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれる奇策である。これにより物資援助が絶たれてローマ帝国軍の士気を下げることには成功したが、それでも城壁を破る足掛かりにさえならなかったと云う。 | *Busterアタックで登場している鎖は、オスマン艦隊の侵入を阻止するため金角湾入り口に張り巡らせた防鎖だと思われる。これを突破すべくメフメト2世が編み出したのが陸を超えて船を湾に移させた「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれる奇策である。これにより物資援助が絶たれてローマ帝国軍の士気を下げることには成功したが、それでも城壁を破る足掛かりにさえならなかったと云う。 | ||
197行目: | 178行目: | ||
**他にも生涯二度結婚するがどちらも早くに死別<ref group="注">皇帝即位後に三度目となるグルジア国王女との婚姻が決まったものの、直後に防衛戦が始まってしまったため叶わないまま終わった。</ref>、先代の兄皇帝存命時から次期後継者と目されていたのだが、いざその時が来ると他の兄弟の猛反発にあい難航の末に即位にこぎつけるなど、所謂『小さな不幸』レベルの災難にかなりあっている。 | **他にも生涯二度結婚するがどちらも早くに死別<ref group="注">皇帝即位後に三度目となるグルジア国王女との婚姻が決まったものの、直後に防衛戦が始まってしまったため叶わないまま終わった。</ref>、先代の兄皇帝存命時から次期後継者と目されていたのだが、いざその時が来ると他の兄弟の猛反発にあい難航の末に即位にこぎつけるなど、所謂『小さな不幸』レベルの災難にかなりあっている。 | ||
**陥落した後のコンスタンティノープルは、オスマン帝国軍の徹底的な略奪と破壊によってローマ様式の街並みを失い、イスラム様式の姿に作り替えられて現在に至っている。 | **陥落した後のコンスタンティノープルは、オスマン帝国軍の徹底的な略奪と破壊によってローマ様式の街並みを失い、イスラム様式の姿に作り替えられて現在に至っている。 | ||
− | ** | + | **なお、現在の名称は「イスタンブール」となっているが、この名称が公式名になるのは意外にもトルコ共和国が成立した後の1930年からで、それ以前のオスマン帝国時代では主に「コンスタンティニエ」と呼ばれていた<ref group="注">ただし、「コンスタンティニエ」の名称自体は9世紀頃のイスラム教徒の記録には既に登場している。他にも「リゴス」や「ビュザンティオン」、「アウグスタ・アントニーナ」と時代によって街の名称がコロコロ変わっており、この地が何度も所有者が変わってきた=戦乱が続いた場所である事を物語っている。</ref>。 |
− | * | + | *夏目漱石の著作『吾輩は猫である』には「どうせ私などはオタンチンノパレオロガスでございますから。」という台詞が出てくるのだが、これはコンスタンティノス11世を英語読みした「コンスタンチン・パレオロガス」と「おたんちん」を掛けた洒落である。上記するマイケル呼びもこれが由来なのだろうか…。 |
==話題まとめ== | ==話題まとめ== |