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伊勢新九郎
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2024年2月12日 (月) 08:55時点における版
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2024年2月12日 (月)
→真名:伊勢新九郎
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==真名:伊勢新九郎==
==真名:伊勢新九郎==
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戦国時代初期に活躍した戦国大名。一介の武士から身を起こして伊豆と小田原を乗っ取り、後に関東に根を張る後北条氏の開祖となった。
<br>……というのが従来の定説であったが、実際には伊勢氏は京の室町幕府に政所執事として仕え、時に次代の将軍となる足利家子息の養育にも関わるエリート官僚一族である。新九郎こと伊勢盛時も将軍足利義政の申次衆を務めており、のちに関東に下ったのは駿河の今川家に嫁いだ姉(妹とする史料もある)・北川殿が夫の死後に家督争いに巻き込まれた一件を解決するため、次いで足利将軍家の関東における出先機関・鎌倉府の長官職(公方)と関東管領・上杉家との対立に端を発する戦乱「享徳の乱」への部分的介入のため伊豆へと侵攻し、隣接する相模から着々と南関東への支配を拡げていったとされている。なお、小田原城の奪取に前後して「早雲庵宗瑞」と署名する文書が登場しており、出家という形で幕府の役職を辞したのではないかとの解釈がある。
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戦国時代初期に活躍した戦国大名。一介の武士から身を起こして伊豆と小田原を乗っ取り、後に関東に根を張る後[[北条家|北条氏]]の開祖となった。
<br>……というのが従来の定説であったが、実際には伊勢氏は京の室町幕府に政所執事として仕え、時に次代の将軍となる足利家子息の養育にも関わるエリート官僚一族である。新九郎こと伊勢盛時も将軍足利義政の申次衆を務めており、のちに関東に下ったのは駿河の今川家に嫁いだ姉(妹とする史料もある)・北川殿が夫の死後に家督争いに巻き込まれた一件を解決するため、次いで足利将軍家の関東における出先機関・鎌倉府の長官職(公方)と関東管領・上杉家との対立に端を発する戦乱「享徳の乱」への部分的介入のため伊豆へと侵攻し、隣接する相模から着々と南関東への支配を拡げていったとされている。なお、小田原城の奪取に前後して「早雲庵宗瑞」と署名する文書が登場しており、出家という形で幕府の役職を辞したのではないかとの解釈がある。
:明応4年ごろから晩年にかけて「早雲」と号したため「北条早雲」の名でも知られているが、苗字を北条と改めたのは息子の氏綱の代からなので、本人が「北条早雲」を名乗ったことは一度もない。
:明応4年ごろから晩年にかけて「早雲」と号したため「北条早雲」の名でも知られているが、苗字を北条と改めたのは息子の氏綱の代からなので、本人が「北条早雲」を名乗ったことは一度もない。
タイヨウ
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