*愛刀・和泉守兼定は会津兼定11代目(後述の理由で12代目とされることもある)の作。但し、日野の土方歳三記念館に伝わっている現物と、近藤勇の手紙の記述では寸法が違っており、また池田屋討ち入りなどがあった新撰組の最盛期には11代目兼定がまだ「和泉守」を受領していなかったこともあって、10(11)代目以前の作も含む複数の兼定を所持していたという説が現在では有力である。なお、この兼定は森長可の「人間無骨」などの作者・美濃兼定2代目よりのちの4代目兼定が芦名氏の招きで会津に移り、以後その地を治める大名家が変わってもお抱えの刀工として定住し続けた家系で、この美濃4代目を会津初代として数えるか否かで末代が11代目となるか12代目となるか史料によってはズレが出る。 | *愛刀・和泉守兼定は会津兼定11代目(後述の理由で12代目とされることもある)の作。但し、日野の土方歳三記念館に伝わっている現物と、近藤勇の手紙の記述では寸法が違っており、また池田屋討ち入りなどがあった新撰組の最盛期には11代目兼定がまだ「和泉守」を受領していなかったこともあって、10(11)代目以前の作も含む複数の兼定を所持していたという説が現在では有力である。なお、この兼定は森長可の「人間無骨」などの作者・美濃兼定2代目よりのちの4代目兼定が芦名氏の招きで会津に移り、以後その地を治める大名家が変わってもお抱えの刀工として定住し続けた家系で、この美濃4代目を会津初代として数えるか否かで末代が11代目となるか12代目となるか史料によってはズレが出る。 |