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:近代になり、民主主義国家のフランスがアイデンティティを求めた際に、ジャンヌダルクと同じように政治的運動から名前が知られ始めた経緯がある。
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:近代になり、民主主義国家のフランスがアイデンティティを求めた際に、[[ジャンヌ・ダルク]]と同じように政治的運動から名前が知られ始めた経緯がある。
 
:彼はフランス王国成立よりもはるかな昔、ガリアに多数ある部族の一族長(それも20代の若者)に過ぎなかったが、厳格な規律とカリスマをもって彼らを糾合、自由を叫んで立ち上がった彼はまさに近代フランスにとって英雄たらしめる存在だったであろう。
 
:彼はフランス王国成立よりもはるかな昔、ガリアに多数ある部族の一族長(それも20代の若者)に過ぎなかったが、厳格な規律とカリスマをもって彼らを糾合、自由を叫んで立ち上がった彼はまさに近代フランスにとって英雄たらしめる存在だったであろう。
 
:カエサルにとっても『最大の敵』の一人であり、一歩間違えれば破滅されかねないほどの死闘を繰り広げた。
 
:カエサルにとっても『最大の敵』の一人であり、一歩間違えれば破滅されかねないほどの死闘を繰り広げた。

2024年7月8日 (月) 22:27時点における最新版

ウェルキンゲトリクス
初登場作品 Fate/Grand Order
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概要編集

Fate/Grand Order』の登場人物。かつてガリア[注 1]で古代ローマに対する反乱を率いた英雄。

略歴
紀元前一世紀頃のガリアでローマに対する反乱を指揮し、大いにローマを苦しめたものの、カエサル率いるローマ軍によって最後には敗北させられた。
『Fate/Grand Order』の幕間の物語「我が手のもたらす罪」ではロムルス=クィリヌスの存在によってカルデアに引き寄せられ、「地下でニワトリの群れが大量発生する」という事件[注 2]を引き起こし、解決に来たブーディカのロムルス=クィリヌスに対する怒りと、保管されていた第五聖杯の魔力の共鳴によって仮初の霊基を得て復活。
ローマとそれに連なるものを全て滅ぼそうとするも、カルデアを滅ぼさないためにロムルス=クィリヌスと一時的に共闘したブーディカの手によって消滅させられた。
人物
生前の姿は登場せず、亡霊となった後の姿しかない為本来の人格は不明だが、ローマへの恨みを語ってローマとそれに連なる全てを滅ぼさんとする有様は、英雄というより怨霊のようであり、本来の人格からはかけ離れていると思われる。

登場作品と役柄編集

Fateシリーズ編集

Fate/Grand Order
ロムルス=クィリヌスの幕間の物語「我が手のもたらす罪」に登場。

人間関係編集

Fate/Grand Order編集

ロムルス=クィリヌス
かつて敵対した「ローマ」の、象徴ともいえる人物。
彼の存在に引き寄せられてカルデアに現れ、上記の幕間の物語の騒動を引き起こした。
ブーディカ
上記の幕間の物語で敵対した相手。
同じ「ローマを敵とするもの」同士であった彼女の怒りと聖杯の力でかりそめの霊基を確立したものの、カルデアを滅ぼすことをよしとしなかった彼女には敵対された。
ガイウス・ユリウス・カエサル
生前、彼が率いた軍勢によって滅ぼされた。
だが、上記の幕間の物語では彼に復讐するよりも、「ローマの象徴」に復讐することを選んだようで、彼のところには現れなかった。

名台詞編集

メモ編集

フランス最初の英雄
近代になり、民主主義国家のフランスがアイデンティティを求めた際に、ジャンヌ・ダルクと同じように政治的運動から名前が知られ始めた経緯がある。
彼はフランス王国成立よりもはるかな昔、ガリアに多数ある部族の一族長(それも20代の若者)に過ぎなかったが、厳格な規律とカリスマをもって彼らを糾合、自由を叫んで立ち上がった彼はまさに近代フランスにとって英雄たらしめる存在だったであろう。
カエサルにとっても『最大の敵』の一人であり、一歩間違えれば破滅されかねないほどの死闘を繰り広げた。
そして部族単位での叛乱や抵抗に対して族長の処刑といった厳罰はほとんどなく[注 3]、当の彼の部族自体もプロパガンダとして無罪放免としたカエサルも、ガリア全体を糾合した彼に対しては、凱旋式の後、捕虜として唯一処刑している。

話題まとめ編集

脚注編集

注釈編集

  1. 現在のフランス。
  2. 一見すると意味不明だが、ラテン語での「ガリア」と「ニワトリ」の語源は同一である。
  3. むしろこのガリア大反乱の切っ掛けが、その僅かな例外といえる『首謀者の処刑』を実行したことで危機感を感じた諸部族が蜂起したことにある。無論、今までも降伏しておきながら使節を捕らえたりするなどの度を越えた裏切り行為にはケースバイケースで厳罰を科していたが、この裁判自体がガリア部族が集合した会議で公的に行われたため、”ガリア全体がローマに服従している”ことへの反発が沸き上がったのである。

出典編集


リンク編集