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:…ちなみに伝承上の[[ロビンフッド]]はかのジョン王の圧政に抵抗したのが一番オーソドックスな伝承である。しかし上記の通り、ジョン王の財政難は彼本人のせいというよりも、上記の通りリチャードの金遣いの荒さが原因なので、ある意味全ての元凶とも言って良い存在であるのだが…、型月のロビンはあくまでかのジョン王の時代の者とは一言も言われて無いが両者の会話も興味深い物である。
 
:…ちなみに伝承上の[[ロビンフッド]]はかのジョン王の圧政に抵抗したのが一番オーソドックスな伝承である。しかし上記の通り、ジョン王の財政難は彼本人のせいというよりも、上記の通りリチャードの金遣いの荒さが原因なので、ある意味全ての元凶とも言って良い存在であるのだが…、型月のロビンはあくまでかのジョン王の時代の者とは一言も言われて無いが両者の会話も興味深い物である。
 
:余談だが、ジョン王は'''イギリス史上最も無能な王'''と呼ばれており、以後の歴代のイギリス王族は現在に至るまで「ジョン」の名前を受け継いでいない。<ref group = "注">マグナ・カルタの制定や内政面を充実させるなど、近年は再評価の動きも見られ、国王としては決して無能とは言い難いのだが。出生時に父ヘンリー2世から領地を与えられなかったため「欠地王」と呼ばれたが、日本では空目をされ、戦争に負けて領土を失った事から「失地王」と呼ばれたと無能のレッテルを貼られていたことにされている。</ref>
 
:余談だが、ジョン王は'''イギリス史上最も無能な王'''と呼ばれており、以後の歴代のイギリス王族は現在に至るまで「ジョン」の名前を受け継いでいない。<ref group = "注">マグナ・カルタの制定や内政面を充実させるなど、近年は再評価の動きも見られ、国王としては決して無能とは言い難いのだが。出生時に父ヘンリー2世から領地を与えられなかったため「欠地王」と呼ばれたが、日本では空目をされ、戦争に負けて領土を失った事から「失地王」と呼ばれたと無能のレッテルを貼られていたことにされている。</ref>
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;エクスカリバーの発掘
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:アヴァロンとはグラストンベリーのことであるとしていたグラストンベリー修道院は、アーサー王とギネヴィア王妃の棺が下に埋まっていることを示す碑を見つけて、当時王であったヘンリーII世(リチャードI世の父)に発掘を依頼した。ヘンリーII世の王室書記官だったジェラルド・オブ・ウェールズの著書によると、吟遊詩人もアーサー王の墓のことを唄っていたので発掘依頼を受けたのだという。そしてリチャードI世の代になって2人遺体やエクスカリバーが発掘されたという。
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:歴史家は、1184年にグラストンベリー修道院が焼失したことで再建の寄付金を王室に求めるための宣伝活動だった説や、アーサー王が真の王として戻ってくると信じられているのをアーサー王の遺体発見により打ち消す意図が王室にあった説などを挙げている。
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;エクスカリバーの贈答
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:リチャードI世の妹ジョーンはシリチア王グリエルモII世に嫁いでいたが、次に王位を継承したグリエルモII世の従兄弟タンクレーディは法的にはジョーンは財産相続の対象ではなかったので相続を認めず強制的に修道院に入れた。第3回十字軍で軍を率いてシチリアの都市メッシーナに滞在していたリチャードI世はこれを知って抗議、タンクレーディはジョーンを解放したが相続は認めなかったため、リチャードI世は怒ってメッシーナを占拠、タンクレーディはジョーンの財産相続を認め、自身の娘とリチャードI世の甥アーサーの婚約を結び、ジョーンとリチャードI世に賠償金を払って和解した。その後、リチャードI世はタンクレーディに友好の印としてアーサー王の剣エクスカリバー(ブリュ物語準拠でカリボルヌと呼称していたようである)を贈り、タンクレーディは返礼としてガレー船15隻をリチャードI世に贈った。
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:ヘンリーII世とリチャードI世に外交官として仕えたロジャー・オブ・ハウデンの著書によればこのカリボルヌの由来は、ヘンリーI世(リチャードI世の曽祖父)が持っており、その娘婿であるジョフロワV世(リチャードI世の祖父)が騎士叙勲の際に授かり、ヘンリーII世、リチャードI世へと受け継がれた剣だという。
    
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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