*家光の姉・初姫の誕生時期は慶長7年(1602年)7月というのが通説だが、実際は一年後の慶長8年7月だった可能性があり、その場合家光の誕生時期とされる慶長9年(1604年)7月とのインターバルは一年となる。理論的には可能ではあるが、当時の医療環境を考慮すると難易度が高く、正妻・江以外で秀忠に近い立場の女性として春日局に白羽の矢が立ったのではないか<ref group="注">しかし、その場合春日局最後の実子とされる稲葉正利の生年が慶長8年(1603年)とされている為、生月によっては初姫と家光以上に困難、あるいはそもそも不可能であった可能性が高い。</ref>。 | *家光の姉・初姫の誕生時期は慶長7年(1602年)7月というのが通説だが、実際は一年後の慶長8年7月だった可能性があり、その場合家光の誕生時期とされる慶長9年(1604年)7月とのインターバルは一年となる。理論的には可能ではあるが、当時の医療環境を考慮すると難易度が高く、正妻・江以外で秀忠に近い立場の女性として春日局に白羽の矢が立ったのではないか<ref group="注">しかし、その場合春日局最後の実子とされる稲葉正利の生年が慶長8年(1603年)とされている為、生月によっては初姫と家光以上に困難、あるいはそもそも不可能であった可能性が高い。</ref>。 |