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| ※注 以下の逸話の内容は、作品中で言及されているわけではありません。 | | ※注 以下の逸話の内容は、作品中で言及されているわけではありません。 |
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− | *舩坂弘<br />大日本帝国陸軍の軍人で、最終階級は軍曹。射撃と武道全般に習熟していた。パラオ諸島にあるアンガウル島の戦いで鬼神の如く戦い、その姿から「不死身の分隊長」「生きている英霊」と呼ばれた。<br />味方部隊が壊滅した後、全身に重傷・致命傷を負いながらも単独で米軍司令部への自爆攻撃を敢行するも失敗し、昏倒して捕虜となる。しかし捕虜となった3日後に瀕死の重傷から蘇生、移送されたペリリュー島収容所から抜け出して1km先の弾薬庫を爆破したという。<br />戦後は戦没者の慰霊と遺骨収集に尽力し、著書の印税収入は全て赤十字に寄付した。2006年死去。享年85。ちなみに、復員した時に自分の墓が建てられていた事に驚き、その墓標を自ら引っこ抜いたとのこと。更に故郷では一時幽霊だと思われていた。<br />因みに舩坂弘は日本人なので、仮に英霊の座にいたとしても冬木の聖杯戦争には召喚できない。 | + | *舩坂弘<br />大日本帝国陸軍の軍人で、最終階級は軍曹。射撃と武道全般に習熟していた。パラオ諸島にあるアンガウル島の戦いで鬼神の如く戦い、その姿から「不死身の分隊長」「生きている英霊」と呼ばれた。<br />味方部隊が壊滅した後、全身に重傷・致命傷を負いながらも単独で米軍司令部への自爆攻撃を敢行するも失敗し、昏倒して捕虜となる。しかし捕虜となった3日後に瀕死の重傷から蘇生、移送されたペリリュー島収容所から抜け出して1km先の弾薬庫を爆破したという。<br />戦後は戦没者の慰霊と遺骨収集に尽力し、著書の印税収入は全て赤十字に寄付した。2006年死去。享年85。ちなみに、復員した時に自分の墓が建てられていた事に驚き、その墓標を自ら引っこ抜いたとのこと。更に故郷では一時幽霊だと思われていた。<!-- 因みに舩坂弘は日本人なので、仮に英霊の座にいたとしても冬木の聖杯戦争には召喚できない。 --> |
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| *シモ・ヘイヘ<br />冬戦争(フィンランドとソ連の間で行われた戦争)で活躍したフィンランドの狙撃兵。最終階級は少尉。白いカモフラージュスーツを纏っていたので、「白い死神」と呼ばれた。確認戦果505人(未確認も含めると800人以上と言われる)の射殺記録は現在も破られていない。<br />コッラー河の戦いでは僅か32人の守備兵で4000人ものソ連軍を撃退しており、彼がいた拠点は「殺戮の丘」と呼ばれた。サブマシンガンの扱いにも秀でており、確認戦果だけでも200人を超えている。なお、これらは参戦したわずか100日間での記録であり、しかも開戦当初は記録を取るつもりすらなかったという。<br />冬戦争後は戦場に出る事なく、元の猟師生活に戻った。2002年死去。享年96。戦後、多くの人命を奪った事に後悔の念はないかとインタビューされた時は「やれと言われた事を、可能な限り実行しただけだ」と述べている。 | | *シモ・ヘイヘ<br />冬戦争(フィンランドとソ連の間で行われた戦争)で活躍したフィンランドの狙撃兵。最終階級は少尉。白いカモフラージュスーツを纏っていたので、「白い死神」と呼ばれた。確認戦果505人(未確認も含めると800人以上と言われる)の射殺記録は現在も破られていない。<br />コッラー河の戦いでは僅か32人の守備兵で4000人ものソ連軍を撃退しており、彼がいた拠点は「殺戮の丘」と呼ばれた。サブマシンガンの扱いにも秀でており、確認戦果だけでも200人を超えている。なお、これらは参戦したわずか100日間での記録であり、しかも開戦当初は記録を取るつもりすらなかったという。<br />冬戦争後は戦場に出る事なく、元の猟師生活に戻った。2002年死去。享年96。戦後、多くの人命を奪った事に後悔の念はないかとインタビューされた時は「やれと言われた事を、可能な限り実行しただけだ」と述べている。 |
− | **冬戦争時点の階級は兵長だったが、その功績を讃えられ異例の五階級特進を果たし少尉となった。召喚されていたら、最強アーチャーになったとか。余談だがシモ・ヘイヘの没年は2002年なので、第五次聖杯戦争当時は存命中の可能性がある。エミヤの例もあるので召喚は可能かもしれないが…。 | + | **冬戦争時点の階級は兵長だったが、その功績を讃えられ異例の五階級特進を果たし少尉となった。<!-- 余談だがシモ・ヘイヘは2002年没なので、第五次聖杯戦争当時は存命中の可能性がある。エミヤの例もあるので召喚は可能かもしれないが…。 --> |
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| *ハンス・ウルリッヒ・ルーデル<br />ドイツ空軍に所属していたハイパーエース。最終階級は大佐。史上最も多くの戦車を航空機で破壊した「戦車撃破王」。生涯出撃回数2530回で戦車撃破数519輌(この数は戦車部隊一個軍団を撃滅したのに相当)、航空機9機(通常5機で『エース』と呼ばれる)、戦艦・嚮導駆逐艦・駆逐艦各1隻、装甲列車4両、上陸用舟艇70隻以上、装甲車・トラック800台以上と、人智を超越した公式スコアを記録している。<br />他にもまた被撃墜回数30回、戦傷回数5回にもかかわらずいずれも生還した「不死身の被撃墜王」でもある。主にJu-87スツーカを愛用していたので「スツーカのルーデル」と呼ばれ、スターリンをして「ソビエト人民最大の敵」と言わしめた。<br />ドイツ軍最高位の勲章である「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」はルーデルの為に創設されたもので、唯一の受章者。<br />「重傷を負ったのに、すぐ出撃しようとした」「高額の賞金が掛けられていたのでソ連兵に何度も追われたが帰還した」「病院を抜け出して無断出撃する事が多かった」などなど、数多くの逸話が残されている。<br />戦後はアルゼンチン空軍に対地攻撃の技を伝授する傍ら、片足でありながら南米最高峰のアコンカグアに登頂するなどスポーツ界でも逸話を残した。また、米軍のA-10攻撃機の技術アドバイスも行っている。<br />1982年死去。享年66。著作でナチスを擁護する記述を行った為、葬儀にはネオナチ関係者が大挙して押しかけた他、西ドイツ空軍機2機が(上官に無断で)追悼飛行を行っている。 | | *ハンス・ウルリッヒ・ルーデル<br />ドイツ空軍に所属していたハイパーエース。最終階級は大佐。史上最も多くの戦車を航空機で破壊した「戦車撃破王」。生涯出撃回数2530回で戦車撃破数519輌(この数は戦車部隊一個軍団を撃滅したのに相当)、航空機9機(通常5機で『エース』と呼ばれる)、戦艦・嚮導駆逐艦・駆逐艦各1隻、装甲列車4両、上陸用舟艇70隻以上、装甲車・トラック800台以上と、人智を超越した公式スコアを記録している。<br />他にもまた被撃墜回数30回、戦傷回数5回にもかかわらずいずれも生還した「不死身の被撃墜王」でもある。主にJu-87スツーカを愛用していたので「スツーカのルーデル」と呼ばれ、スターリンをして「ソビエト人民最大の敵」と言わしめた。<br />ドイツ軍最高位の勲章である「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」はルーデルの為に創設されたもので、唯一の受章者。<br />「重傷を負ったのに、すぐ出撃しようとした」「高額の賞金が掛けられていたのでソ連兵に何度も追われたが帰還した」「病院を抜け出して無断出撃する事が多かった」などなど、数多くの逸話が残されている。<br />戦後はアルゼンチン空軍に対地攻撃の技を伝授する傍ら、片足でありながら南米最高峰のアコンカグアに登頂するなどスポーツ界でも逸話を残した。また、米軍のA-10攻撃機の技術アドバイスも行っている。<br />1982年死去。享年66。著作でナチスを擁護する記述を行った為、葬儀にはネオナチ関係者が大挙して押しかけた他、西ドイツ空軍機2機が(上官に無断で)追悼飛行を行っている。 |
| **ちなみにルーデルが受章した『黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章』は剣と柏葉部分は18金で、しかも50個ものダイヤモンドが散りばめられている非常にゴージャスなものであった。ナチスドイツは世界的な記録を持ったエースを多数擁していたが、ルーデルに続いてこの勲章を授与される者はついに現れなかった。 | | **ちなみにルーデルが受章した『黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章』は剣と柏葉部分は18金で、しかも50個ものダイヤモンドが散りばめられている非常にゴージャスなものであった。ナチスドイツは世界的な記録を持ったエースを多数擁していたが、ルーデルに続いてこの勲章を授与される者はついに現れなかった。 |
− | **ルーデルから対地攻撃を伝授されたアルゼンチン空軍はフォークランド紛争で存分に暴れ回り、イギリス海軍に大打撃を与えている。なお、フォークランド諸島の沖合いでは第1次世界大戦の時にイギリス艦隊とドイツ艦隊との間で海戦が行われた結果ドイツ艦隊が全滅しており、フォークランド紛争はある意味、ドイツが形を変えてイギリス軍に仕返しをしたとも言える。<br />因みに、ルーデルは1982年没なので、場合によっては第四次の時点でも召喚可能。 | + | **ルーデルから対地攻撃を伝授されたアルゼンチン空軍はフォークランド紛争で存分に暴れ回り、イギリス海軍に大打撃を与えている。なお、フォークランド諸島の沖合いでは第1次世界大戦の時にイギリス艦隊とドイツ艦隊との間で海戦が行われた結果ドイツ艦隊が全滅しており、フォークランド紛争はある意味、ドイツが形を変えてイギリス軍に仕返しをしたとも言える。<!-- 因みに、ルーデルは1982年没なので、場合によっては第四次の時点でも召喚可能。 --> |
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