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*CCCでは購買部店員に徹しているかと思えば、隠しボスの一人としても登場。マスターとして、[[ランサー|青い槍兵のサーヴァント]]を連れている。両者の仲は相変わらず悪いもののお互いに原作のような因縁は無い(そもそも根本的に別人)おかげか、戦闘ではそれなりのコンビネーションを見せてくる。<br>戦闘中は他のマスターと同様に、コードキャストを使用してくる…のだが、その内容が黒鍵を投げてきたり八極拳で殴りかかってきたりとやりたい放題。攻性呪文なのに物理攻撃とはこれ如何に。<br>戦闘時の冒頭のやり取りや宝具発動直後のターン時のやり取り、そして決着時のやり取り(選択サーヴァントにより変化)に関し、原作を知っているユーザーに対するサービスが多数用意されている。特にギルガメッシュの場合は…!?<br>なお、シナリオ担当の奈須きのこ氏はスタッフから「言峰を店員にしたいんですけど」と提案されたとき、「あなた、疲れているのよ……」と心底体調を心配したらしい。
 
*CCCでは購買部店員に徹しているかと思えば、隠しボスの一人としても登場。マスターとして、[[ランサー|青い槍兵のサーヴァント]]を連れている。両者の仲は相変わらず悪いもののお互いに原作のような因縁は無い(そもそも根本的に別人)おかげか、戦闘ではそれなりのコンビネーションを見せてくる。<br>戦闘中は他のマスターと同様に、コードキャストを使用してくる…のだが、その内容が黒鍵を投げてきたり八極拳で殴りかかってきたりとやりたい放題。攻性呪文なのに物理攻撃とはこれ如何に。<br>戦闘時の冒頭のやり取りや宝具発動直後のターン時のやり取り、そして決着時のやり取り(選択サーヴァントにより変化)に関し、原作を知っているユーザーに対するサービスが多数用意されている。特にギルガメッシュの場合は…!?<br>なお、シナリオ担当の奈須きのこ氏はスタッフから「言峰を店員にしたいんですけど」と提案されたとき、「あなた、疲れているのよ……」と心底体調を心配したらしい。
 
*本来は聖職者だが、近年ではスピンオフ作品で接客業・販売業・飲食業などの商売人としての活躍も目立つ。どれもこれも胡散臭さは付きまとうものの、これだけ手広くやっているとなると意外にも性に合っている……のかもしれない。
 
*本来は聖職者だが、近年ではスピンオフ作品で接客業・販売業・飲食業などの商売人としての活躍も目立つ。どれもこれも胡散臭さは付きまとうものの、これだけ手広くやっているとなると意外にも性に合っている……のかもしれない。
*ZeroとSNで第四次聖杯戦争以前のことについての回想が異なるが、これはまだSNの頃のような悟りと余裕がなく、迷いと葛藤から自らを内省するにあたって、かなり過去の記憶や事実関係(奥さんに関する記憶はその最たるもの)をねじ曲げて語っているため<!-- zeroマテ用語より -->。実際Zeroの作中で死別した奥さんのことを思い出そうとすると立ち眩みのような感覚に陥り靄がかかるように思考が散漫になるなど、明らかに異常な反応を示しているシーンもある。このため、10年後の達観した自己分析のほうが的を射ているとされる。<br>これらを踏まえて言峰の内面の経歴を辿るなら<br>生まれてから健やかに成長し、父の語る“美しいもの”がなんであるかわからず父を愛せないながらも、父の期待に答えるために道徳と良識を学ぶ<br>→ある日の朝、父が美しくあれと祈って付けた綺礼という名を一度たりとも美しく感じたことがないと気付いたことで、自分が美しいと感じるもののと周囲との齟齬を理解し、人並みの事柄で幸福を得られない自分を人並みに戻し救おうと、神への信仰や様々な功徳や苦行を行う<br>→10年に渡る試みの中で得られたのは自分には生まれつき“人並みの幸福実感”がなく、“他者の苦しみ”に勝る悦びが見いだせないという結論と、それに伴う自分のような人間が存在することへの“なぜ”という疑問だけ<br>→“生まれながら欠陥している”という事実を受け入れた後、それを克服するためのあらゆる努力の中で最後の試みとして人並みの幸福を得ようと、一人の女を愛そうとする<br>→妻との生活は二年に渡るが、女を愛そうとすれば愛そうとするほど、妻が自分の憤怒を理解し癒やそうとすればするほど女の嘆きを見たいと思う自分がいるだけであり、妻ほど自分を理解し癒そうとする人間はこの先現れないという考え、その妻でも癒せないという絶望から、もはや生きて是非を問うまでもないと、自分の誕生は間違いだったとして自害を決める<br>→自分の試みのために妻とした義務として命を断つ前に別れを告げに行くが、言峰を理解していた妻は言峰は人を愛せ生きる価値があると証明するために自ら命を断つが、その時言峰が思ったのは女の死を愉しめなかった、という損得の悲しみだけだった<br>→この妻の死とその時に感じた感情から、自分は救われないだけでなく、妻の献身と死も無意味にしたことを悟るが、当時の言峰はそれを受け止められず、妻に関する記憶を“妻も自分の人格の欠落を理解していなかった”ことにする、妻にも感じてしまっていた“他者の苦しみの悦び”とする自身の性質を忘れるなど、自分の本性から意識的・無意識的両面で目を背け遠ざけるようになる。<br>→その少し後に令呪が現れたことでZeroにおける“人並みの幸福実感”を得られないか試行錯誤しつつも父の要請に従っての第四次聖杯戦争と、その経歴から空虚な徒労を繰り返した果てに答えを得たと予想した衛宮切嗣ならば、自分が抱き続ける“なぜ”という疑問への答えを出せるのではないかと期待する<br>→その中で英雄王ギルガメッシュと出会い、彼から自分が他人の不幸を愉悦としていることを指摘され、そしてその悦を自ら進んで行うことを教唆されたことで、目を背け忘れていた己の悪性と、改めようとするだけだったかつてとは違った形で再び対峙することになる<br>→自分から意欲的に人の不幸を作り味わうというこれまでの人生で始めての経験と満足感、衛宮切嗣が自分が求めていた人並みの幸せを無価値とする男だったことへの憎悪、冬木大火災の地獄絵図の光景を見たことで感じた至上の幸福感を味わうことで開花、単に“他者の苦しみ”だけにしか幸福感を得られないというだけでなく、それを至福と感じる自分の本性を完全に自覚し、SNのような悟りと余裕を得ると共に何故自分のような存在が生まれたかという過程への問いも明確化する<br>→人並みに愛情は持てずとも、物事を美しいと感じる事はできる。基準は違うが、愛情という物がある事に変わりはないとして、周囲との齟齬がある自分を許す必要がなくなったことで自分への達観した自己分析も行えるようになり、過去も正確に受け止められるようになるが、妻の死が無意味であっても無価値にすることを嫌い妻の死の際に感じたモノが快楽によるものか悲哀なのかだけは意識的に答えを出すことを止めている<br>のような感じになると思われる。迷いながらもそれ相応に淡々と進んでいた人生が妻の死の辺りで大きく変動する辺り、言峰の妻への複雑な想いが見て取れる。
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*ZeroとSNで第四次聖杯戦争以前のことについての回想が異なるが、これはまだSNの頃のような悟りと余裕がなく、迷いと葛藤から自らを内省するにあたって、かなり過去の記憶や事実関係(奥さんに関する記憶はその最たるもの)をねじ曲げて語っているため<!-- zeroマテ用語より -->。実際Zeroの作中で死別した奥さんのことを思い出そうとすると立ち眩みのような感覚に陥り靄がかかるように思考が散漫になるなど、明らかに異常な反応を示しているシーンもある。このため、10年後の達観した自己分析のほうが的を射ているとされる。<br>これらを踏まえて言峰の内面の経歴を辿るなら<br>生まれてから健やかに成長し、父の語る“美しいもの”がなんであるかわからず父を愛せないながらも、父の期待に答えるために道徳と良識を学ぶ<br>→ある日の朝、父が美しくあれと祈って付けた綺礼という名を一度たりとも美しく感じたことがないと気付いたことで、自分が美しいと感じるもののと周囲との齟齬を理解し、人並みの事柄で幸福を得られない自分を人並みに戻し救おうと、神への信仰や様々な功徳や苦行を行う<br>→10年に渡る試みの中で得られたのは自分には生まれつき“人並みの幸福実感”がなく、“他者の苦しみ”に勝る悦びが見いだせないという結論と、それに伴う自分のような人間が存在することへの“なぜ”という疑問だけ<br>→“生まれながら欠陥している”という事実を受け入れた後、それを克服するためのあらゆる努力の中で最後の試みとして人並みの幸福を得ようと、一人の女を愛そうと考えた<br>→妻との生活は二年に渡り、子もできたが言峰にとっての幸福は女の苦しみ、我が子の絶望だった。愛そうとすればするほど愛する者の苦しみだけが救いであり、そんな自分を女が癒そうとすればするほどこの女の嘆きが見たいと思う自分がいるだけ。妻ほど自分を理解し癒そうとする人間はこの先現れないだろう、そんな妻でも癒せないなら、もはや生きて是非を問うまでもないと、自分の誕生は間違いだったとして自害を決める<br>→自分の試みのために妻とした義務として命を断つ前に別れを告げに行くが、言峰を理解していた妻は言峰は人を愛せ生きる価値があると証明するために自ら命を断つが、その時言峰が思ったのは女の死を愉しめなかった、という損得の悲しみだけだった<br>→この妻の死とその時に感じた感情から、自分は救われないだけでなく、妻の献身と死も無意味にしたことを悟るが、当時の言峰はそれを受け止められず、妻に関する記憶を“妻も自分の人格の欠落を理解していなかった”ことにする、妻にも感じてしまっていた“他者の苦しみの悦び”とする自身の性質を忘れるなど、自分の本性から意識的・無意識的両面で目を背け遠ざけるようになる。<br>→その少し後に令呪が現れたことでZeroにおける“人並みの幸福実感”を得られないか試行錯誤しつつも父の要請に従っての第四次聖杯戦争と、その経歴から空虚な徒労を繰り返した果てに答えを得たと予想した衛宮切嗣ならば、自分が抱き続ける“なぜ”という疑問への答えを出せるのではないかと期待する<br>→その中で英雄王ギルガメッシュと出会い、彼から自分が他人の不幸を愉悦としていることを指摘され、そしてその悦を自ら進んで行うことを教唆されたことで、目を背け忘れていた己の悪性と、改めようとするだけだったかつてとは違った形で再び対峙することになる<br>→自分から意欲的に人の不幸を作り味わうというこれまでの人生で始めての経験と満足感、衛宮切嗣が自分が求めていた人並みの幸せを無価値とする男だったことへの憎悪、冬木大火災の地獄絵図の光景を見たことで感じた至上の幸福感を味わうことで開花、単に“他者の苦しみ”だけにしか幸福感を得られないというだけでなく、それを至福と感じる自分の本性を完全に自覚し、SNのような悟りと余裕を得ると共に何故自分のような存在が生まれたかという過程への問いも明確化する<br>→人並みに愛情は持てずとも、物事を美しいと感じる事はできる。基準は違うが、愛情という物がある事に変わりはないとして、周囲との齟齬がある自分を許す必要がなくなったことで自分への達観した自己分析も行えるようになり、過去も正確に受け止められるようになるが、妻の死が無意味であっても無価値にすることを嫌い妻の死の際に感じたモノが快楽によるものか悲哀なのかだけは意識的に答えを出すことを止めている<br>のような感じになると思われる。迷いながらもそれ相応に淡々と進んでいた人生が妻の死の辺りで大きく変動する辺り、言峰の妻への複雑な想いが見て取れる。
    
== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==
 
;綺礼の妻
 
;綺礼の妻
:まだ迷い悩む渦中にあった綺礼が、「人並みの幸福のカタチ」を得る試みとして迎えた妻。死病を患っていて、余命のない女性だった。「そんな女だから選んだのか、その女しか選べなかったのか。その基準だけは、こうして思い返しても判らない」と綺礼は述べている。<br>共に暮らしたのは2年ほど。その間に子供を儲けている。<br>苦悩する綺礼をそのまま愛し、癒そうとした女性。綺礼からすれば「聖女」だったという。<br>最期は、「私にはおまえを愛せなかった」と告げる綺礼に対し、「――いいえ。貴方は私を愛しています」と告げ、微笑みながら自害した。綺礼が人を愛せることを証明するために。女には、最期に綺礼が泣いているように見えた。女には。<br>確かに綺礼は女の死を悲しんだ。だが、悲しんだのは「どうせ死ぬのなら、私の手で殺したかった」からだ、と綺礼は述懐する。<br>――その、自分の手で殺したかったという願望が、ただの「快楽」のためであったのか、「愛したものだからこその悲哀」なのか、綺礼は考えることに蓋をした。女の死は「無意味」だったと断じながらも、「無価値」にはしたくないと、考えることを止めた。<br>なお、この影響かどうかは不明だが、『stay night』の桜ルートにて、士郎と共にアインツベルンの森でイリヤを逃がそうとした際に、「助けた者が女なら殺すな。目の前で死なれるのは、中々に応えるぞ」と士郎に漏らしている。
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:まだ迷い悩む渦中にあった綺礼が、「人並みの幸福のカタチ」を得る試みとして迎えた妻。死病を患っていて、余命のない女性だった。「そんな女だから選んだのか、その女しか選べなかったのか。その基準だけは、こうして思い返しても判らない」と綺礼は述べている。<br>共に暮らしたのは2年ほど。その間に子供を儲けている。<br>病弱だが綺礼からすれば「聖女」だった。信心深く、男の憤怒を理解し愛して癒そうとした女性。<br>最期は、「私にはおまえを愛せなかった」と告げる綺礼に対し、「――いいえ。貴方は私を愛しています」と告げ、微笑みながら自害した。綺礼が人を愛せることを証明するために。女には、最期に綺礼が泣いているように見えた。女には。<br>確かに綺礼は女の死を悲しんだ。だが、悲しんだのは「どうせ死ぬのなら、私の手で殺したかった」からだ、と綺礼は述懐する。<br>――その、自分の手で殺したかったという願望が、ただの「快楽」のためであったのか、「愛したものだからこその悲哀」なのか、綺礼は考えることに蓋をした。女の死は「無意味」だったと断じながらも、「無価値」にはしたくないと、考えることを止めた。<br>なお、この影響かどうかは不明だが、『stay night』の桜ルートにて、士郎と共にアインツベルンの森でイリヤを逃がそうとした際に、「助けた者が女なら殺すな。目の前で死なれるのは、中々に応えるぞ」と士郎に漏らしている。
 
*以上は『stay night』での綺礼。<br>『Zero』での綺礼は未だ悟りを得ていないため、妻に関する記憶をねじ曲げているとされ、この時覚えたはずの「どうせ死ぬのなら、私の手で殺したかった」という思いは自覚していない。
 
*以上は『stay night』での綺礼。<br>『Zero』での綺礼は未だ悟りを得ていないため、妻に関する記憶をねじ曲げているとされ、この時覚えたはずの「どうせ死ぬのなら、私の手で殺したかった」という思いは自覚していない。
 
*後に同様の思いを父・璃正の死に際しても憶えたが、妻の時と同様にまだ悟りを得ていないため、無理やりに封じ込めた。<br>また、後に[[間桐臓硯]]が父の死を弄ぶような発言をした際には、悟りを得た後だったもののまだ直後だったゆえか、臓硯に反発している。
 
*後に同様の思いを父・璃正の死に際しても憶えたが、妻の時と同様にまだ悟りを得ていないため、無理やりに封じ込めた。<br>また、後に[[間桐臓硯]]が父の死を弄ぶような発言をした際には、悟りを得た後だったもののまだ直後だったゆえか、臓硯に反発している。
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