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*1881年にミイラが発見され、身長183cmもの大柄な体格であった事が明らかになっている。現在はエジプト考古学博物館に収められており、英霊の中でもその遺体を直接目にする事ができる唯一の存在である。
 
*1881年にミイラが発見され、身長183cmもの大柄な体格であった事が明らかになっている。現在はエジプト考古学博物館に収められており、英霊の中でもその遺体を直接目にする事ができる唯一の存在である。
 
**20世紀後半に防腐処置を行う為にフランスへ渡った事があるが、その時には儀仗兵が捧げ銃を行う国王への礼節をもって迎えられた。また、出国に際してはパスポートが発行された上に職業欄には「ファラオ」と記入されており、死してもなお絶大な権威を保ち畏敬を集めていることを伺わせた。
 
**20世紀後半に防腐処置を行う為にフランスへ渡った事があるが、その時には儀仗兵が捧げ銃を行う国王への礼節をもって迎えられた。また、出国に際してはパスポートが発行された上に職業欄には「ファラオ」と記入されており、死してもなお絶大な権威を保ち畏敬を集めていることを伺わせた。
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**オジマンディアスに限った事ではないが、神殿などの碑文の改ざんにより父王の業績を一部奪おうとしていたりする。父親との共同統治の際に作らせた神殿では父親の名前の前に「今は亡き」などと後から掘らせ、すべてオジマンディアスが作らせたように改ざんしていた。
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**アムルを巡ってヒッタイトのムワタリ2世と戦ったカデシュの戦いは、史上初の軍事記録に残された戦争であり、成文化された世界初の国際平和条約が結ばれたこと有名である。オジマンディアスは戦争の勝利を国内で宣伝し、神殿の壁画などに記したが、これは誇張であり、エジプトは多数の死傷者を出しながら領土を獲得できず、アムルは再びヒッタイトの属国となったと考えられている。
 
;出エジプト記
 
;出エジプト記
 
*旧約聖書の出エジプト記においてのエジプトのファラオとも言われている。自国に居住していたイスラエルの民に圧政を敷いたとされ、彼らの神にアブを全土に発生、疫病の発生、腫れ物と炎症を引き起こす、雹を全土で降らし農業を破壊する、イナゴを大発生させる、エジプト全土を暗闇にする等の散々な目に合わされている。
 
*旧約聖書の出エジプト記においてのエジプトのファラオとも言われている。自国に居住していたイスラエルの民に圧政を敷いたとされ、彼らの神にアブを全土に発生、疫病の発生、腫れ物と炎症を引き起こす、雹を全土で降らし農業を破壊する、イナゴを大発生させる、エジプト全土を暗闇にする等の散々な目に合わされている。
 
**恐ろしいのはここで「分かった自由にする、出ていけ」とファラオが言えば済むものを彼らの神に「心を固く閉ざされる」というマッチポンプも真っ青な精神操作を受けたとされること。この精神操作はエジプトの家庭中で長男が神にとり殺される神罰が起きるまで続いた。この上で更に一度出国したイスラエルの民を追う軍を仕向けるといういささか意図が不明な命令を出し、開海の奇跡により軍勢が全て海に飲まれるという目も当てられない事態を被った。
 
**恐ろしいのはここで「分かった自由にする、出ていけ」とファラオが言えば済むものを彼らの神に「心を固く閉ざされる」というマッチポンプも真っ青な精神操作を受けたとされること。この精神操作はエジプトの家庭中で長男が神にとり殺される神罰が起きるまで続いた。この上で更に一度出国したイスラエルの民を追う軍を仕向けるといういささか意図が不明な命令を出し、開海の奇跡により軍勢が全て海に飲まれるという目も当てられない事態を被った。
**オジマンディアスに限った事ではないが、神殿などの碑文の改ざんにより父王の業績を一部奪おうとしていたりする。父親との共同統治の際に作らせた神殿では父親の名前の前に「今は亡き」などと後から掘らせ、すべてオジマンディアスが作らせたように改ざんしていた。
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**アムルを巡ってヒッタイトのムワタリ2世と戦ったカデシュの戦いは、史上初の軍事記録に残された戦争であり、成文化された世界初の国際平和条約が結ばれたこと有名である。オジマンディアスは戦争の勝利を国内で宣伝し、神殿の壁画などに記したが、これは誇張であり、多数の死傷者を出して領土を獲得できなかったと考えられている。その後、アムルは再びヒッタイトの属国となっている。
   
*この時イスラエルの民の指導者となるモーセとは親友であり、紆余曲折の末袂を分かったとされる事が後世の創作では多いが、原典的には'''そのような描写は一切ない'''。
 
*この時イスラエルの民の指導者となるモーセとは親友であり、紆余曲折の末袂を分かったとされる事が後世の創作では多いが、原典的には'''そのような描写は一切ない'''。
 
**「モーセは赤子の頃に川に捨てられ、ファラオの王女に拾われて育てられた」とされ、そこから王族の子供達と共に教育を受け、そこからのちのファラオであるラムセス二世と共に青春を過ごしたと空想は出来るが、いくら王女に拾われたとはいえ捨て子が王族と顔を合わせる機会が多々あったとはいささか考えにくい。
 
**「モーセは赤子の頃に川に捨てられ、ファラオの王女に拾われて育てられた」とされ、そこから王族の子供達と共に教育を受け、そこからのちのファラオであるラムセス二世と共に青春を過ごしたと空想は出来るが、いくら王女に拾われたとはいえ捨て子が王族と顔を合わせる機会が多々あったとはいささか考えにくい。