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| **ただし北斎に限らず'''当時の高名な画工の多くが春画を描いていた'''ことは明記しておく。更に言えば、当時の浮世絵は規制によって画工の技術をフルに発揮できない状況にあり、春画に至っては違法であった。言い換えれば'''どうせ違法なんだから規制なんか気にしなくていいよね!と春画には当時の最高技術がフルに使われている'''場合もあり、一流の画工の描いた春画の文化的価値は紛れもなく本物である。<br>応為本人も黒髭やキアラから春画の依頼をこなしているあたり、仕事を選んでない模様。 | | **ただし北斎に限らず'''当時の高名な画工の多くが春画を描いていた'''ことは明記しておく。更に言えば、当時の浮世絵は規制によって画工の技術をフルに発揮できない状況にあり、春画に至っては違法であった。言い換えれば'''どうせ違法なんだから規制なんか気にしなくていいよね!と春画には当時の最高技術がフルに使われている'''場合もあり、一流の画工の描いた春画の文化的価値は紛れもなく本物である。<br>応為本人も黒髭やキアラから春画の依頼をこなしているあたり、仕事を選んでない模様。 |
| **なお、最終再臨時の姿はモロに'''蛸女'''になっており、スカート(?)の裏側には蛸の吸盤が並んでいる。 | | **なお、最終再臨時の姿はモロに'''蛸女'''になっており、スカート(?)の裏側には蛸の吸盤が並んでいる。 |
− | *北斎はしばしば応為のことを「アゴ」と呼ぶ。これは応為が顎の突き出た顔をしていたため。また「応為」という画号は娘を呼ぶ時に「おーいおーい」と言っていたのをそのまま号にしたという説がある。また「お栄」とも呼ぶがこれは応為の本名。 | + | *北斎はしばしば応為のことを「アゴ」と呼ぶ。これは応為が顎の突き出た顔をしていたため。また「応為」という画号は娘を呼ぶ時に「おーいおーい」と言っていたのをそのまま号にした説、または逆に応為の方が北斎をこうして呼んでいた事がきっかけという説がある。また「お栄」とも呼ぶがこれは応為の本名。 |
− | *対して応為も北斎を「鉄蔵」と本名で呼び捨てにすることがある。 | + | **対して応為も北斎を「鉄蔵」と本名で呼び捨てにすることがある。 |
| *生涯で'''93回'''も引っ越した「引っ越し魔」だが、その理由は'''部屋の掃除や後片付けが全く出来なかった'''からだったりする。 | | *生涯で'''93回'''も引っ越した「引っ越し魔」だが、その理由は'''部屋の掃除や後片付けが全く出来なかった'''からだったりする。 |
| **酷い時には'''1日で3回'''も引っ越したとのことで、引っ越した後でゴミの山を片付ける羽目になった家主達はさぞ泣かされたことだろう。 | | **酷い時には'''1日で3回'''も引っ越したとのことで、引っ越した後でゴミの山を片付ける羽目になった家主達はさぞ泣かされたことだろう。 |
| **晩年は娘の応為と同居していたが、彼女も家事全般は全く出来ず、嫁ぎ先から三行半を突き付けられて追い出された前科がある。<br>『Grand Order』でもそれは改善せず、彼女の部屋に訪れた主人公からは「畳が見えぬ程の散らかりよう」と感想を述べた。 | | **晩年は娘の応為と同居していたが、彼女も家事全般は全く出来ず、嫁ぎ先から三行半を突き付けられて追い出された前科がある。<br>『Grand Order』でもそれは改善せず、彼女の部屋に訪れた主人公からは「畳が見えぬ程の散らかりよう」と感想を述べた。 |
| + | **しかし、そんな不摂生な生活を送りながらも北斎は90歳近く、応為は晩年の動向がはっきりしていないが70歳近くまで生きたとされており、当時の平均寿命からすればかなり長命である。 |
| **この時期の二人については杉浦日向子のコミック「百日紅」に詳しい。 | | **この時期の二人については杉浦日向子のコミック「百日紅」に詳しい。 |
| *自身の作品に多くの技法を取り入れているが、とりわけ動きの瞬間を切り取る表現は当時の西洋画にもほとんど無い技法で、多くの西洋画家に強い影響を与えた。 | | *自身の作品に多くの技法を取り入れているが、とりわけ動きの瞬間を切り取る表現は当時の西洋画にもほとんど無い技法で、多くの西洋画家に強い影響を与えた。 |