***ちなみに玄宗皇帝は堕落後も、民への配慮は決して失っておらず、安史の乱で首都陥落が確実となり、蜀へ避難する際には「後から逃げてくる民の為」に、橋を焼き落とすのを諫めたり、首都陥落時に宝物庫を焼き払おうとした部下に「宝物を得られなければ、民に対しての略奪が激しくなる」と制止するなど、良識のある行動を行っている。少なくとも玄宗は楊貴妃との出会いによって「'''政治的に怠惰となっても、人格的な堕落はしなかった'''」、楊貴妃によって皇帝が暗君となっても暴君になった訳ではなく、楊貴妃が皇帝の人格に悪影響を与えた訳ではない事を留意する必要がある。 | ***ちなみに玄宗皇帝は堕落後も、民への配慮は決して失っておらず、安史の乱で首都陥落が確実となり、蜀へ避難する際には「後から逃げてくる民の為」に、橋を焼き落とすのを諫めたり、首都陥落時に宝物庫を焼き払おうとした部下に「宝物を得られなければ、民に対しての略奪が激しくなる」と制止するなど、良識のある行動を行っている。少なくとも玄宗は楊貴妃との出会いによって「'''政治的に怠惰となっても、人格的な堕落はしなかった'''」、楊貴妃によって皇帝が暗君となっても暴君になった訳ではなく、楊貴妃が皇帝の人格に悪影響を与えた訳ではない事を留意する必要がある。 |