**特に『史記』を編纂した司馬遷は項羽を「自らの失敗を認めないのは、荒唐無稽にすぎる」と手厳しい。しかし一方で、史記において項羽を王者として扱っており、その行跡に関する描写も豊かである<ref group = "注">家臣たちの記録である「列伝」や諸侯の記録である「世家」ではなく、中華の支配者の記録である「本紀」に項羽を位置づけている。秦末の動乱期に王を称した人物はほとんど列伝か世家で、項羽のみ別格の扱いとなっている。そもそも、項羽というのは性+字(あざな)で姓名ではない。中国では目上以外の人間が、当該人物を名で呼ぶのは無礼とされ、その代わりに字で呼んでいた。従って、本来なら項籍と書くべきところを、項羽と書くのは尊敬の現われであり、史書において実名を書かない待遇を受けているのは、皇帝を除いてはほんの僅かである。ちなみに、劉邦の正室で中国三大悪女の一人とされた呂雉も「本紀」に記載されている。</ref>。「史記」は司馬遷が亡父の遺志を継ぎ、個人として編んだ史書であるため、劉邦(漢王朝の創始者)と敵対した項羽に対しても、好意的とさえいえる視点で書かれている(無論欠点についても項羽・劉邦ともにしっかりと書かれている)。 | **特に『史記』を編纂した司馬遷は項羽を「自らの失敗を認めないのは、荒唐無稽にすぎる」と手厳しい。しかし一方で、史記において項羽を王者として扱っており、その行跡に関する描写も豊かである<ref group = "注">家臣たちの記録である「列伝」や諸侯の記録である「世家」ではなく、中華の支配者の記録である「本紀」に項羽を位置づけている。秦末の動乱期に王を称した人物はほとんど列伝か世家で、項羽のみ別格の扱いとなっている。そもそも、項羽というのは性+字(あざな)で姓名ではない。中国では目上以外の人間が、当該人物を名で呼ぶのは無礼とされ、その代わりに字で呼んでいた。従って、本来なら項籍と書くべきところを、項羽と書くのは尊敬の現われであり、史書において実名を書かない待遇を受けているのは、皇帝を除いてはほんの僅かである。ちなみに、劉邦の正室で中国三大悪女の一人とされた呂雉も「本紀」に記載されている。</ref>。「史記」は司馬遷が亡父の遺志を継ぎ、個人として編んだ史書であるため、劉邦(漢王朝の創始者)と敵対した項羽に対しても、好意的とさえいえる視点で書かれている(無論欠点についても項羽・劉邦ともにしっかりと書かれている)。 |