差分

86行目: 86行目:     
== 真名:ビリー・ザ・キッド ==
 
== 真名:ビリー・ザ・キッド ==
:ウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニア。またの名をビリー・ザ・キッド。
+
:ウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニア。またの名をビリー・ザ・キッド。アメリカ西部開拓時代の代表的なアウトロー。1859年生、1881年没。
:アメリカ西部開拓時代の代表的なアウトロー。1859年生、1881年没。
+
:現代でも極めて人気は高く、残された彼の写真が、オークションで二億円の値がついた事からもそれを窺い知れよう。
:現代でも極めて人気は高く、残された彼の写真が、オークションで二億円の値がついたことからもそれを窺い知れよう。
   
:父親は不明だが、母親から高等教育を受けたらしく、西部のアウトローにしては達筆の手紙が残されている。
 
:父親は不明だが、母親から高等教育を受けたらしく、西部のアウトローにしては達筆の手紙が残されている。
: 
   
:12歳のとき、母親を侮辱した男を刺殺したことで、彼のアウトロー人生は幕を開ける。以来、物資護衛の仕事などと並行して牛泥棒や強盗殺人を積み重ねる。
 
:12歳のとき、母親を侮辱した男を刺殺したことで、彼のアウトロー人生は幕を開ける。以来、物資護衛の仕事などと並行して牛泥棒や強盗殺人を積み重ねる。
 
:街にいても他のアウトローにやたらと絡まれるタイプだった彼は、いつしかその顔に笑顔を貼り付けて、トラブルを回避しようと試み始める。
 
:街にいても他のアウトローにやたらと絡まれるタイプだった彼は、いつしかその顔に笑顔を貼り付けて、トラブルを回避しようと試み始める。
96行目: 94行目:  
:俗にリンカーン群戦争と呼ばれたこの戦いの結果、キッドは友人であったパット・ギャレット保安官に逮捕されてしまうが、一年も経たぬ内に脱走。
 
:俗にリンカーン群戦争と呼ばれたこの戦いの結果、キッドは友人であったパット・ギャレット保安官に逮捕されてしまうが、一年も経たぬ内に脱走。
 
:1881年、ニューメキシコ州フォートサムナーにて食べ物を求めて部屋を出たところをギャレットに射殺されてしまう。
 
:1881年、ニューメキシコ州フォートサムナーにて食べ物を求めて部屋を出たところをギャレットに射殺されてしまう。
:ギャレットは脱走したビリーを執念深く追跡し、闇討ちしたが、正面切っての撃ち合いでは勝てないと思ったのか、それとも別の理由があったのかは定かではない。
+
:ギャレットは脱走したビリーを執念深く追跡し、闇討ちしたが、正面切っての撃ち合いでは勝てないと思ったのか、それとも別の理由があったのかは定かではない。ともあれ、彼の死を持って西部開拓時代は終焉を迎え、自由気ままに生きるアウトローもただの犯罪者として扱われた。
:ともあれ、彼の死を持って西部開拓時代は終焉を迎え、自由気ままに生きるアウトローもただの犯罪者として扱われた。
   
=== 関連 ===
 
=== 関連 ===
 
;コルトM1877
 
;コルトM1877
3,394

回編集