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| ==メモ== | | ==メモ== |
| *上記の通り「四奸(もしくは四姦臣)」は水滸伝内で呼称される架空の枠組みで、「六賊」は北宋が女真族の金に滅ぼされる直前に即位した欽宗によって糾弾された際に呼ばれた枠組みであり、両者が融合した「四奸六賊」は架空と史実が重なっている。ただし、高俅、楊戩は史実であくまでも六賊に含まれる事が無かっただけで、実在の人物であるが、人物像には差がある。 | | *上記の通り「四奸(もしくは四姦臣)」は水滸伝内で呼称される架空の枠組みで、「六賊」は北宋が女真族の金に滅ぼされる直前に即位した欽宗によって糾弾された際に呼ばれた枠組みであり、両者が融合した「四奸六賊」は架空と史実が重なっている。ただし、高俅、楊戩は史実であくまでも六賊に含まれる事が無かっただけで、実在の人物であるが、人物像には差がある。 |
− | *四奸のみに含まれるのは下記の二名。蔡京と童貫は六賊で解説。
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| **高俅は[[燕青]]の主である盧俊義を死に追いやった人物で、作中の彼からは「蹴鞠野郎」と忌み嫌われている。水滸伝の物語では最大の悪役として存在感を放つが、史実では軍事費着服に手を染めるなど奸臣だったのは事実だが、他の奸臣達と比べると『宋史・奸臣伝』にも独立した伝がなく、悪行と業績に関して大きく劣っている小悪党の印象が強い。また、旧法派の蘇軾(またの名を蘇東坡。「春眠暁を覚えず」の詩や東坡肉の考案者として有名)の元で書記を務めていた経験があり、後に新法派であった蔡京によって蘇軾の一族が追い落とされて困窮した際には恩義に報いるべく、生涯に渡って援助を行い続けた逸話も残るなど義理堅い一面も伝えられる。史実の高俅は良くも悪くも任侠寄りの人物であったとされており、史実と水滸伝では人物像にかなりの差がある。<ref group="注">つまり、体制側についた梁山泊の好漢系の人物だとも言える。梁山泊の人々は主人公側だから肯定的に見られているだけであって、決して善人ではない。簡単に言ってしまえば「やくざ」であり、二次創作には梁山泊が官軍に討滅されるといった作品もある。</ref> | | **高俅は[[燕青]]の主である盧俊義を死に追いやった人物で、作中の彼からは「蹴鞠野郎」と忌み嫌われている。水滸伝の物語では最大の悪役として存在感を放つが、史実では軍事費着服に手を染めるなど奸臣だったのは事実だが、他の奸臣達と比べると『宋史・奸臣伝』にも独立した伝がなく、悪行と業績に関して大きく劣っている小悪党の印象が強い。また、旧法派の蘇軾(またの名を蘇東坡。「春眠暁を覚えず」の詩や東坡肉の考案者として有名)の元で書記を務めていた経験があり、後に新法派であった蔡京によって蘇軾の一族が追い落とされて困窮した際には恩義に報いるべく、生涯に渡って援助を行い続けた逸話も残るなど義理堅い一面も伝えられる。史実の高俅は良くも悪くも任侠寄りの人物であったとされており、史実と水滸伝では人物像にかなりの差がある。<ref group="注">つまり、体制側についた梁山泊の好漢系の人物だとも言える。梁山泊の人々は主人公側だから肯定的に見られているだけであって、決して善人ではない。簡単に言ってしまえば「やくざ」であり、二次創作には梁山泊が官軍に討滅されるといった作品もある。</ref> |
| **楊戩は宦官で、水滸伝の物語では出番は控えめだが、梁山泊の李逵(りき)とひと悶着があり、以降は梁山泊を敵視。最終的に梁山泊の毒殺を進言する人物となっている。史実では「索民田契の法」を施法し、強引に農民から土地を取り上げて重税を課す。また漁民にもあれこれと重税を課し、徴税も過酷を極めたため、楊戩と実行部門の「西城所」は民衆からは非常に恨まれたとされる。北宋の財政も一時的に回復したが、一度苛烈な徴税を行った土地は荒れ果ててしまったため、結局は北宋の首を絞める結果になっている。六賊が失脚する前である1121年に死去しており、死後は大尉の職を送られ、呉国公と諡をされている。史実では高俅同様に六賊には含まれていないが、創作よりも史実の方がかなり悪党であり、高俅とは真逆である。六賊に含まれなかったのも、他の六賊達が糾弾された際に死去済みだった事が大きいとされる。その一方で封神演義で太公望の片腕として活躍した人物と同名である。 | | **楊戩は宦官で、水滸伝の物語では出番は控えめだが、梁山泊の李逵(りき)とひと悶着があり、以降は梁山泊を敵視。最終的に梁山泊の毒殺を進言する人物となっている。史実では「索民田契の法」を施法し、強引に農民から土地を取り上げて重税を課す。また漁民にもあれこれと重税を課し、徴税も過酷を極めたため、楊戩と実行部門の「西城所」は民衆からは非常に恨まれたとされる。北宋の財政も一時的に回復したが、一度苛烈な徴税を行った土地は荒れ果ててしまったため、結局は北宋の首を絞める結果になっている。六賊が失脚する前である1121年に死去しており、死後は大尉の職を送られ、呉国公と諡をされている。史実では高俅同様に六賊には含まれていないが、創作よりも史実の方がかなり悪党であり、高俅とは真逆である。六賊に含まれなかったのも、他の六賊達が糾弾された際に死去済みだった事が大きいとされる。その一方で封神演義で太公望の片腕として活躍した人物と同名である。 |
| *六賊の各構成員はかなり個性的で、内実は下記の通り。徽宗が芸術家皇帝だったため、文化人や芸術に博識な人物が多い。 | | *六賊の各構成員はかなり個性的で、内実は下記の通り。徽宗が芸術家皇帝だったため、文化人や芸術に博識な人物が多い。 |
− | **蔡京:北宋第6代皇帝の神宗の時代には開封府の知府に就任し、第8代皇帝の徽宗の時代では16年間に渡り宰相を務めた。極めて優れた実務能力を持ち、神宗亡き後の宣仁太后の時代では宰相司馬光の現実離れした法律改廃で各地が混乱する中で、全ての命令を期限通りかつ完璧に処理していたため、司馬光が感動する程だったと伝わる。しかし、権力欲が強く、主義主張に節操がなかったされている。当時の北宋は新法派と旧法派による権力闘争が苛烈で蔡京も一度罷免されているが、双方を上手く立ち回り、最終的には宰相まで上り詰める。そして、自身の反対者を新旧法派問わずに追放する事で権力を盤石にした。そして新法の名のもとに民衆から重税を課し、皇帝への媚売りのための大土木工事を行い、王朝の財政を放漫させており、民衆からも巨悪として憎悪された。優れた文化人であり、絵画や詩文に優れた技量を持つ。特に書道に関しては達人の域で宋代を代表する四名の書道家「'''四絶'''」の一人に数えられる事もある<ref group="注">悪行のため、同族の蔡襄が四絶に数える事もある</ref>。しかし、宰相時代の後期には徽宗の詔に振り回され、政治的影響力を失ってしまう。ちなみに息子の蔡攸も奸臣で父とは対立したと言われる。水滸伝では四奸の一人として登場する。 | + | **蔡京:16年間に渡り宰相を務めた。極めて優れた実務能力を持つが権力欲が強く、主義主張に節操がなかったと言われる。優れた文化人であり、絵画や詩文に優れた技量を持つ。特に書道に関しては達人の域で宋代を代表する四名の書道家「'''四絶'''」の一人に数えられる事もある<ref group="注">悪行のため、同族の蔡襄が四絶に数える事もある</ref>。しかし、宰相時代の後期には徽宗の詔に振り回され、政治的影響力を失ってしまう。ちなみに息子の蔡攸も奸臣で父とは対立したと言われる。 |
− | **童貫:宦官将軍。徽宗に気に入られて、兵法にも詳しかったため、20年に渡り北宋軍の軍権を掌握した。去勢され男性機能を失ったはずの宦官にも関わらず、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした巨躯を誇りで顎鬚まで生えていたという怪人物(通常、去勢されると男性ホルモンの分泌が低下するため、髭が生えなくなり筋肉も衰える)。骨董の目利きに優れたため、徽宗に気に入られる。兵法の知識は豊富だったが、実戦能力は高くなく瀕死の遼軍に大敗した事もある。方臘の乱鎮圧時には江南の市民を数十万も殺戮したとされている。 | + | **童貫:宦官将軍。20年に渡り北宋軍の軍権を掌握した。去勢され男性機能を失ったはずの宦官にも関わらず、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした巨躯を誇りで顎鬚まで生えていたという怪人物(通常、去勢されると男性ホルモンの分泌が低下するため、髭が生えなくなり筋肉も衰える)。骨董の目利きに優れたため、徽宗に気に入られた。 |
− | **李彦:楊戩の死後、西城所の機構を掌握して不法に膨大な土地を収め農民から収奪を繰り返した宦官。水滸伝では四奸の一人として登場する。 | + | **李彦:楊戩の死後、西城所の機構を掌握して不法に膨大な土地を収め農民から収奪を繰り返した宦官。 |
| **朱勔:優れた庭師で徽宗が好んだ「花石綱」運搬のために民衆徴発や民家の破壊を行い民衆から恨みを買った。<ref group="注">水滸伝の好漢の一人、楊志が落草する要因になった。</ref> | | **朱勔:優れた庭師で徽宗が好んだ「花石綱」運搬のために民衆徴発や民家の破壊を行い民衆から恨みを買った。<ref group="注">水滸伝の好漢の一人、楊志が落草する要因になった。</ref> |
| **王黼:蔡京の子分で、彼の抜擢により急激に出世。引退後は蔡京から宰相を引き継き、徽宗に様々な珍しい品を献上して信頼を得た。本人は婦女暴行や汚職を繰り返したとされる。 | | **王黼:蔡京の子分で、彼の抜擢により急激に出世。引退後は蔡京から宰相を引き継き、徽宗に様々な珍しい品を献上して信頼を得た。本人は婦女暴行や汚職を繰り返したとされる。 |