差分

サイズ変更なし 、 2019年7月16日 (火) 20:56
180行目: 180行目:  
**もっとも生前には存在しなかったものを好む英霊はそれこそいくらでもいるのでネタ抜きでも矛盾はない。
 
**もっとも生前には存在しなかったものを好む英霊はそれこそいくらでもいるのでネタ抜きでも矛盾はない。
 
*秀頼の正室、千姫とは複雑な血縁関係にある。千姫の母は茶々の妹の江姫、すなわち秀頼とは実の従妹同士になる。父親は徳川秀忠で祖父は徳川家康と、極めて複雑怪奇な縁戚関係である。
 
*秀頼の正室、千姫とは複雑な血縁関係にある。千姫の母は茶々の妹の江姫、すなわち秀頼とは実の従妹同士になる。父親は徳川秀忠で祖父は徳川家康と、極めて複雑怪奇な縁戚関係である。
*三度も落城の憂き目にあっている茶々だが、実は初姫の方が落城にあった回数が多い<ref group = "注">小谷城、北の庄城の他に、夫の京極高次が関ヶ原の戦いの時に立て籠った大津城の落城に立ち会っている。また、大阪城が落城した時は大阪城に入っていた。</ref>。
+
*三度も落城の憂き目にあっている茶々だが、実は初姫の方が落城にあった回数が多い<ref group = "注">小谷城、北の庄城の他に、夫の京極高次が関ヶ原の戦いの時に立て籠った大津城の落城に立ち会っている。また、大坂城が落城した時は大坂城に入っていた。</ref>。
 
*『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ]]』の作者であるひろやまひろしは彼女を解禁から半日でレベル80まで育て上げ、奈須きのこは竹箒日記内でそのロリコンぶりを「勇者」と称えていた。<ref group="出">[http://www.typemoon.org/bbb/diary/log/201704.html 2017/4/15竹箒日記]</ref>ひろやまひろし本人はそれについてツイッター上ですっとぼけようとしたが<ref group="出">[https://twitter.com/hiroshi_/status/852908420705304576 ひろやまひろしTwitter2017年4月15日0:36]</ref><ref group="出">[https://twitter.com/hiroshi_/status/852909575426629632 ひろやまひろしTwitter2017年4月15日0:41]</ref>、直前のツイートが「茶々ちゃんの足の裏を顔で踏みたい」<ref group="出">[https://twitter.com/hiroshi_/status/852204450752204800 ひろやまひろしTwitter2017年4月13日1:59]</ref>だったため以下略。
 
*『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ]]』の作者であるひろやまひろしは彼女を解禁から半日でレベル80まで育て上げ、奈須きのこは竹箒日記内でそのロリコンぶりを「勇者」と称えていた。<ref group="出">[http://www.typemoon.org/bbb/diary/log/201704.html 2017/4/15竹箒日記]</ref>ひろやまひろし本人はそれについてツイッター上ですっとぼけようとしたが<ref group="出">[https://twitter.com/hiroshi_/status/852908420705304576 ひろやまひろしTwitter2017年4月15日0:36]</ref><ref group="出">[https://twitter.com/hiroshi_/status/852909575426629632 ひろやまひろしTwitter2017年4月15日0:41]</ref>、直前のツイートが「茶々ちゃんの足の裏を顔で踏みたい」<ref group="出">[https://twitter.com/hiroshi_/status/852204450752204800 ひろやまひろしTwitter2017年4月13日1:59]</ref>だったため以下略。
 
*宝具に登場する骸骨兵の名前は「真田くん」「後藤くん」「毛利くん」「長宗我部くん」「明石くん」という名前である<ref group="出">[https://twitter.com/au_no_key/status/997469061381423105 HRKTwitter2018年5月18日22:28]</ref>。
 
*宝具に登場する骸骨兵の名前は「真田くん」「後藤くん」「毛利くん」「長宗我部くん」「明石くん」という名前である<ref group="出">[https://twitter.com/au_no_key/status/997469061381423105 HRKTwitter2018年5月18日22:28]</ref>。
**おそらくは大阪の陣で豊臣軍の主力となった「真田幸村」「後藤又兵衛」「毛利勝永」「長宗我部盛親」「明石全登」の大坂牢人五人衆か。
+
**おそらくは大坂の陣で豊臣軍の主力となった「真田幸村」「後藤又兵衛」「毛利勝永」「長宗我部盛親」「明石全登」の大坂牢人五人衆か。
 
*創作では少年のように描かれる事が多い秀頼だが死亡時は享年23歳で子供も居たりするなど立派に成人しており、身長が当時では珍しい180cmを超えている巨漢だったという説もある。
 
*創作では少年のように描かれる事が多い秀頼だが死亡時は享年23歳で子供も居たりするなど立派に成人しており、身長が当時では珍しい180cmを超えている巨漢だったという説もある。
 
**彼本人の評価は余りにも資料が少ないので判断しにくいのだが、共通するイメージとしてはやはり母と時代に振り回された存在として描かれる事が多い。
 
**彼本人の評価は余りにも資料が少ないので判断しにくいのだが、共通するイメージとしてはやはり母と時代に振り回された存在として描かれる事が多い。
 
*度々目の敵にされてる家康だが、近年では彼本人は豊臣家を積極的に潰す気はなかったのではないかという説も出始めている。それでも滅ぼした主な理由としては、茶々が妥協点を蹴り家康が天下を取るには滅ぼす選択肢しか残されてなかったという説、二代将軍の秀忠が家康の生きている間に自分の代に発生しかねない遺恨を消すために積極的に潰すことを提案したと言う説、二条城で秀頼と対面した際に、秀吉の後継者に相応しい堂々たる体躯と度量に畏怖した事で早々に潰す事を決めたとされる説などがある。だが実際はいずれが正しいのかはやはり不明である。
 
*度々目の敵にされてる家康だが、近年では彼本人は豊臣家を積極的に潰す気はなかったのではないかという説も出始めている。それでも滅ぼした主な理由としては、茶々が妥協点を蹴り家康が天下を取るには滅ぼす選択肢しか残されてなかったという説、二代将軍の秀忠が家康の生きている間に自分の代に発生しかねない遺恨を消すために積極的に潰すことを提案したと言う説、二条城で秀頼と対面した際に、秀吉の後継者に相応しい堂々たる体躯と度量に畏怖した事で早々に潰す事を決めたとされる説などがある。だが実際はいずれが正しいのかはやはり不明である。
**なお、大阪の陣が発生する直接の原因となった方広寺の梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘については、戦を始める為の言いがかりと言われてきたが、近年は別の説もでている。
+
**なお、大坂の陣が発生する直接の原因となった方広寺の梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘については、戦を始める為の言いがかりと言われてきたが、近年は別の説もでている。
    
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
1,017

回編集