アサシン
- 真名:岡田以蔵
『Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚』に登場する、暗殺者のクラスのサーヴァント。長刀を携えた黒衣の男。
- 略歴
- 『帝都聖杯奇譚』に登場する、桜セイバーに次ぐもう一人の「セイバー」。 魔人アーチャーと共に桜セイバーの前に立ち塞がる。
- 薩長同盟の立役者であり、海援隊の設立、大政奉還の成立に尽力し明治維新に大きく貢献した志士の一人、「坂本龍馬」を名乗っている。
- 人物
- 一人称は「わし」で、土佐弁で話す。初対面の相手でも真名を明かす自信家。
- だがその土佐弁もライダーさんからは「なんか怪しい」と疑われている。また坂本龍馬本人と会ったことが有る筈の桜セイバーからは「あれ?坂本さんこんなでしたっけ?」と首を傾げられている。
- 新撰組的には軽いジャブ程度の拷問で、知っていることを全ては吐いてしまうようなヘタレでもあり、色々と怪しい所が多いので、本当に彼が「坂本龍馬」なのか分からない。
- また、必勝を期するためとはいえ敵マスターである琥珀の関係者である秋葉を人質に取って桜セイバーの自害を強要するなど、若干黒い部分もある模様。
- 能力
- 坂本龍馬は江戸で北辰一刀流創始者千葉周作の弟である千葉定吉に師事し、免許皆伝の印可を得たとされている。ただそれも桜セイバーに敵うレベルではなく、不意打ちを受けたとはいえ一瞬で倒され、秋葉からは「信長と同じ位の知名度なのに弱いなコイツ」と評されている。本人は「油断!!油断しちょっただけじゃし!!わしにはまだ凄い宝具とかあるし!?」と主張している。
- 剣よりも印象の強い拳銃は所持しておらず、『帝都聖杯奇譚』で実際に登場した時も本人が習得しているはずの北辰一刀流ではなく示現流で攻撃を仕掛けてくる等、怪しさに拍車をかけている。
登場作品と役柄
- コハエース
- 二人目のセイバーとして登場。
人間関係
名台詞
- 「わしか。
わしはセイバー……坂本
坂本龍馬ぜよ」 - 初登場シーン。格好良く決めようとしているが、即座に桜セイバーに「悪・即・斬」名の下、斬り伏せられている。
- 「チェストォー!!」
- 『Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚』にて、桜セイバーに斬りかかる。この独特の声は薩摩藩を中心に興った、示現流という古流剣術のもの。当時藩外には極僅かな例外を除く一切の伝授が禁じられていたものであり、土佐出身の坂本龍馬が使う事は本来ありえない。
メモ
- きのこアルク(奈須氏)からは
「いいじゃない!!デザインはパチモン臭いけど。龍馬とか、帝都とか、奇譚とか雰囲気だけはいいよね!!」とコメントされている。
アレ、あんまり褒められてない気が……
社長セイバー(武内氏)は金髪じゃないので全然興味なし。 - 上記のように「坂本龍馬」にしては違和感のある言動が多々見られたが、案の定、謎の男性から「以蔵さん」と呼ばれた。正体が「彼」だとするなら、拷問されると簡単に陥落したことは史実ネタとも言える。
話題まとめ
- クラス適性
- 作中では「セイバー」のクラスで召喚されているが、ファンの間ではむしろ他クラスの方に適性があるのでは、と言われる事も。
- 史実における龍馬は剣よりも二挺の銃の方を愛用していたという。一つ目は「S&Wモデル2アーミー」の 33口径6連発であり、これは高杉晋作から贈られたもので、寺田屋事件で襲撃を受けた際にこの銃を使ったという。
- しかし斬り合いの混乱でこの銃は紛失し、後に買い求めたのが「S&Wモデル1/2」の 32口径5連発。これは妻である楢崎龍と共に1丁ずつ所持し、薩摩滞在時はこれで狩猟などを楽しんだという。拳銃で遠距離狙撃を行うのは相当な技量を必要とされるため、銃の扱いはかなり練達していたらしく、「アーチャー」クラスの適性もあるものと思われる。
- ただ、この銃は近江事件の時も携帯していたが、発砲する暇もなく龍馬は殺害されている。
- 「北辰一刀流免許皆伝」の肩書がセイバークラスの所以になったと考えられるが、実は北辰一刀流には剣術と共に薙刀術もある。
- 龍馬はむしろ後者の方に秀でており、免許皆伝も薙刀の方に与えられたものであった…いう説が有力となっている。その場合、「ランサー」クラスの適性がある事になる。
- 近代的企業の先駆けである、海上運輸会社と民間軍事企業の両面を兼ね備えた「海援隊」の設立者として有名。また日露戦争二日前明治37年2月6日、明治皇后妃美子様の夢枕に龍馬が立ち、海軍軍人の守護を誓ったという。船に関わる逸話が多いので「ライダー」のクラスでもおかしくなく、先の夢枕の伝承が付加されるかもしれない。
- 無名の人物
- 実の所、坂本龍馬維新後あまり注目されてこなかった。
- 戦後は、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」がベストセラーになったことがきっかけで勇名となり、現代の竜馬像が固められた。
- 謎
- 龍馬の死因は「暗殺」で、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町近江屋で中岡慎太郎を迎えていた際に、押し入ってきた何者かに斬殺されている。当初は新選組の関与が強く疑われ、新選組に所属していた大石鍬次郎が捕縛された際に龍馬暗殺を自白するが、後に撤回している。海援隊隊士たちは紀州藩による「いろは丸事件」の報復を疑い、両者の間で事件が起きている。
- 現在の定説は、箱館戦争で捕虜になった元見廻組の今井信郎の与頭・佐々木只三郎とその部下6人が坂本龍馬を殺害したという供述。だがそれも確かな事実とは呼べず、現在では薩摩藩黒幕説やフリーメイソン陰謀説まで様々な異説が生まれ、未だ議論が続いている。