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| ==真名:グレゴリー・ラスプーチン== | | ==真名:グレゴリー・ラスプーチン== |
| :グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン。<br>ロマノフ朝ロシア末期の聖職者兼祈祷師。 | | :グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン。<br>ロマノフ朝ロシア末期の聖職者兼祈祷師。 |
− | :シベリアの寒村で生まれ、幼少期は貧しさから読み書きも満足に出来ず素行不良な子供だったが、突如として「巡礼に出る」と言い残し村を出奔。帰郷した際は打って変わって信仰熱心な修行僧に変貌しており、その後は巡礼として国中の大修道院へ足を運び、教えを説く姿が上流貴族の目に留まる事となった。<br>また、万病を祈祷によって治療する『奇跡』を起こした霊能力者としても重宝される様になり、当時は不治の病とされた皇太子アレクセイの血友病を祈祷治療によって回復させた事から、時の皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラ夫妻からの信頼を勝ち得ると、「ロマノフ王朝の守り手」「神の人」と称され讃えられるが、そのあまりにも神秘を通り越してオカルトじみた様から『'''怪僧'''』とも呼ばれ、反感を持つ輩によって聖職には不道徳とされた度重なる不純異性交遊を主とした数々のスキャンダルな噂が飛び交う事となるも、彼を信頼する皇帝一家の権限によってそれらは尽く握りつぶされ、しまいには政治にまで影響を与える程の権力を掌する。 | + | :シベリアの寒村ポクロフスコエ村の農夫エフィム・ヤコブレヴィチ・ラスプーチンとその妻アンナ・パルシュコヴァの第5子として生まれる。翌10日に洗礼を受け、ニュッサのグレゴリオスから名前を授けられ、「グリゴリー」と名付けられた。幼少期は貧しさから読み書きも満足に出来ず素行不良な子供だったが、突如として「巡礼に出る」と言い残し村を出奔。帰郷した際は打って変わって信仰熱心な修行僧に変貌しており、その後は巡礼として国中の大修道院へ足を運び、教えを説く姿が上流貴族の目に留まる事となった。<br>また、万病を祈祷によって治療する『奇跡』を起こした霊能力者としても重宝される様になり、当時は不治の病とされた皇太子アレクセイの血友病を祈祷治療によって回復させた事から、時の皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラ夫妻からの信頼を勝ち得ると、「ロマノフ王朝の守り手」「神の人」と称され讃えられるが、そのあまりにも神秘を通り越してオカルトじみた様から『'''怪僧'''』とも呼ばれ、反感を持つ輩によって聖職には不道徳とされた度重なる不純異性交遊を主とした数々のスキャンダルな噂が飛び交う事となるも、彼を信頼する皇帝一家の権限によってそれらは尽く握りつぶされ、しまいには政治にまで影響を与える程の権力を掌する。 |
| :しかし、ニコライ二世が平和主義だったラスプーチンの請願を無視してドイツに宣戦布告。それを区切りに第一次世界大戦へ突入すると事態は急変。度重なる敗戦とそれに伴う戦争の長期化および戦況の悪化によって国民の間で皇室への不平不満が爆発し、ラスプーチンもまたその一端として暗殺され、結果的に帝国の崩壊の遠因となった。 | | :しかし、ニコライ二世が平和主義だったラスプーチンの請願を無視してドイツに宣戦布告。それを区切りに第一次世界大戦へ突入すると事態は急変。度重なる敗戦とそれに伴う戦争の長期化および戦況の悪化によって国民の間で皇室への不平不満が爆発し、ラスプーチンもまたその一端として暗殺され、結果的に帝国の崩壊の遠因となった。 |
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| *『FGO material Ⅲ』では[[アイリスフィール〔天の衣〕|天の衣]]から辛辣なコメントを投げかけられたことから、寄り代が[[アイリスフィール・フォン・アインツベルン|彼女]]と[[言峰綺礼|因縁のある人物]]ではないかと考察されたが、後に第2部では予想通りの答えであったことが明らかとなった。 | | *『FGO material Ⅲ』では[[アイリスフィール〔天の衣〕|天の衣]]から辛辣なコメントを投げかけられたことから、寄り代が[[アイリスフィール・フォン・アインツベルン|彼女]]と[[言峰綺礼|因縁のある人物]]ではないかと考察されたが、後に第2部では予想通りの答えであったことが明らかとなった。 |
| **なお、依り代となった『FGO』での言峰は作中の年代においては既に死亡していたが、Lostbelt No.1『永久凍土帝国 アナスタシア』ではラスプーチンが綺礼に肉体を譲り渡して消滅した。 | | **なお、依り代となった『FGO』での言峰は作中の年代においては既に死亡していたが、Lostbelt No.1『永久凍土帝国 アナスタシア』ではラスプーチンが綺礼に肉体を譲り渡して消滅した。 |
− | *よく「怪僧」などとあだ名される人物だが、何の僧かと言うとキリスト教である。ただし貧困ゆえにほぼ独学であったため、どの宗派にも属しておらず(一時期は「鞭身派」と呼ばれるカルト分派に熱心に参加していたとも言われるが)宗教的な立場としては「自称」キリスト教徒の「自称」祈祷僧に過ぎない。 | + | *よく「怪僧」などとあだ名される人物だが、何の僧かと言うとキリスト教である。 |
| **ただし貧困ゆえにほぼ独学であったためどの宗派にも属しておらず、一時期は「鞭身派」<ref group = "注">元々は文字通り肉体を鞭などで打ち、肉体を蔑む事で神の許しを請うたり、集団トランス状態になる事で神と交信する等を目的とした宗派だったが、そういった儀式がエスカレートした結果なのか、ラスプーチンの頃には何故か最終的に乱交を始める派閥と化していた。</ref>と呼ばれるカルト分派に熱心に参加していたとも言われるが、宗教的な立場としては「自称」キリスト教徒の「自称」祈祷僧に過ぎない。 | | **ただし貧困ゆえにほぼ独学であったためどの宗派にも属しておらず、一時期は「鞭身派」<ref group = "注">元々は文字通り肉体を鞭などで打ち、肉体を蔑む事で神の許しを請うたり、集団トランス状態になる事で神と交信する等を目的とした宗派だったが、そういった儀式がエスカレートした結果なのか、ラスプーチンの頃には何故か最終的に乱交を始める派閥と化していた。</ref>と呼ばれるカルト分派に熱心に参加していたとも言われるが、宗教的な立場としては「自称」キリスト教徒の「自称」祈祷僧に過ぎない。 |
| ***比較的近代かつロシア史に大きな影響を与えた人物にしては経歴・人物像に曖昧な部分や謎が多いが、これには「胡散臭すぎるので当時研究対象にされず調査が遅れた」という冗談のようで手痛い理由や、「政敵が多すぎて過剰な悪評や真偽不明の風評だらけで検証が難しい」等といった理由がある。 | | ***比較的近代かつロシア史に大きな影響を与えた人物にしては経歴・人物像に曖昧な部分や謎が多いが、これには「胡散臭すぎるので当時研究対象にされず調査が遅れた」という冗談のようで手痛い理由や、「政敵が多すぎて過剰な悪評や真偽不明の風評だらけで検証が難しい」等といった理由がある。 |