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; 旗の宝具
 
; 旗の宝具
 
: 十字軍の旗、ジャンヌ・ダルクの旗、天草四郎の陣中旗が俗に「'''世界三大聖旗'''」(もしくは世界三大軍旗)と呼ばれている。
 
: 十字軍の旗、ジャンヌ・ダルクの旗、天草四郎の陣中旗が俗に「'''世界三大聖旗'''」(もしくは世界三大軍旗)と呼ばれている。
: アイディアを考えていた東出氏はこれを知ってジャンヌの宝具と対になるものとして使えると喜んだが、探しても出典が分からない。そこで日本カトリック中央協議会にメールで問い合わせてみたところ、「'''そういうものを認定したことはない'''」と物凄く丁寧な返事をもらい、結局シロウが旗の宝具を使うネタは没になったという。
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: アイディアを考えていた東出氏はこれを知ってジャンヌの宝具と対になるものとして使えると喜んだが、探しても出典が分からない。そこで日本カトリック中央協議会にメールで問い合わせてみたところ、「'''そういうものを認定したことはない'''」と物凄く丁寧な返事をもらい、結局シロウが旗の宝具を使うネタは没になったという。(前述のようにローマカトリック教会は島原の乱を殉教とは認めておらず天草四郎は列聖されないし遺品も聖遺物にならない)
 
: なお、陣中旗は『Grand Order』にて、絆礼装「天草四郎陣中旗」のモチーフとして採用されている。
 
: なお、陣中旗は『Grand Order』にて、絆礼装「天草四郎陣中旗」のモチーフとして採用されている。
: 旗は原城落城時に一番乗りした武将・鍋島大膳が自身の武功を示す品として持ち帰り、子孫に代々継承されていた。現在は天草市立天草キリシタン館に収蔵されている。
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: 旗は原城落城時に一番乗りした武将・鍋島大膳が自身の武功を示す品として持ち帰り、子孫に代々継承されていた。昭和38年(1963年)、子孫が3600万円でロックフェラー財団に売却しようとしたため文化庁は「綸子地著色聖体秘蹟図指物」の名前で重要文化財に緊急的に指定して海外流出を阻止した。しかし所有者変更の届出なしでどこかへの売却が行われたようで『日本美術年鑑 昭和47年版』では「世界の三大聖旗の一と言われる天草四郎時貞の「陣中旗」(重文)が昭和39年頃から行方不明になっていることが判り既に海外に渡っている惧れもあると憂慮されている。」と取り上げられた。海外流出はしておらず1970年代後半に愛野町「愛のベルハウス」にあった資料館「四郎の館」で展示されたが経営難により閉館。その後所有者になった松本高光氏によって1978年に本渡市立「天草切支丹館」(2010年のリニューアルで天草キリシタン館に改名)に寄託され、1995年には本渡市(現・天草市)に寄贈された。天草切支丹館の頌徳碑では「我が国の切支丹史・美術史上極めて貴重な歴史的遺産であり、世界の三大聖旗の一つと言われ国際的にも高く評価される。」と書かれている。
: 描いたのは島原藩のお抱え南蛮絵師であり一揆勢では天草四郎に次ぐ副将となった山田右衛門作とされる。彼は敵方との交渉の文を書く役目を利用して内通しており、それが一揆勢にバレて牢に入れられていたが、落城時に内通の矢文という証拠があったおかげで処刑を免れただ一人生き延びることができたといわれる。
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: 描いたのは島原藩のお抱え南蛮絵師であり一揆勢では天草四郎に次ぐ副将格となった山田右衛門作(与茂作)とされる。セミナリヨで絵画を学んだリノ山田と同一人物ではないかと目される。一揆勢に息子を人質にされて参加させられた彼は敵方との交渉の文を書く役目を利用して内通しており、それが一揆勢にバレて妻子を処刑され牢に入れられていたが、落城時に内通の矢文という証拠があったおかげで処刑を免れただ一人生き延びることができたといわれる。落城後は、[[松平信綱]]に連れられて江戸の信綱邸で暮らした。彼の南蛮絵は生き絵として評判で、信綱が処刑される放火犯の様子を描かせて掲示すると火付けが減ったという。
    
; 天草諸島
 
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