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**また、玄宗皇帝は非常に優れた皇帝で、彼の治世前半期は唐の最盛期でもあり、「開元の治」と呼ばれる優れた政治を行い、歴代中国王朝でも最も安定した時代と後世からも評価される程だった。ちなみに、その時代を支えた人材を見出だしたのが[[武則天]]である。しかし、平和の中で徐々に政治に関心を失いつつある時に楊貴妃と出会い、そのまま彼女に惚れ込んでしまった。「朝廷に顔を出さなくなった」と歌われ、楊貴妃の親族「楊国忠」と塞外の胡出身の「安禄山」が皇帝と楊貴妃の寵愛と権力を巡る政争を繰り広げた結果、「安史の乱」が発生してしまった。玄宗皇帝の前半期がなまじ優秀かつ民への労りを示していた人物だけに、その堕落の一因となった楊貴妃の「傾国の美女」イメージを深いものにしている事は否めない。
 
**また、玄宗皇帝は非常に優れた皇帝で、彼の治世前半期は唐の最盛期でもあり、「開元の治」と呼ばれる優れた政治を行い、歴代中国王朝でも最も安定した時代と後世からも評価される程だった。ちなみに、その時代を支えた人材を見出だしたのが[[武則天]]である。しかし、平和の中で徐々に政治に関心を失いつつある時に楊貴妃と出会い、そのまま彼女に惚れ込んでしまった。「朝廷に顔を出さなくなった」と歌われ、楊貴妃の親族「楊国忠」と塞外の胡出身の「安禄山」が皇帝と楊貴妃の寵愛と権力を巡る政争を繰り広げた結果、「安史の乱」が発生してしまった。玄宗皇帝の前半期がなまじ優秀かつ民への労りを示していた人物だけに、その堕落の一因となった楊貴妃の「傾国の美女」イメージを深いものにしている事は否めない。
 
***ちなみに玄宗皇帝は堕落後も、民への配慮は決して失っておらず、安史の乱で首都陥落が確実となり、蜀へ避難する際には「後から逃げてくる民の為」に、橋を焼き落とすのを諫めたり、首都陥落時に宝物庫を焼き払おうとした部下に「宝物を得られなければ、民に対しての略奪が激しくなる」と制止するなど、良識のある行動を行っている。少なくとも玄宗は楊貴妃との出会いによって「'''政治的に怠惰となっても、人格的な堕落はしなかった'''」、楊貴妃によって皇帝が暗君となっても暴君になった訳ではなく、楊貴妃が皇帝の人格に悪影響を与えた訳ではない事を留意する必要がある。
 
***ちなみに玄宗皇帝は堕落後も、民への配慮は決して失っておらず、安史の乱で首都陥落が確実となり、蜀へ避難する際には「後から逃げてくる民の為」に、橋を焼き落とすのを諫めたり、首都陥落時に宝物庫を焼き払おうとした部下に「宝物を得られなければ、民に対しての略奪が激しくなる」と制止するなど、良識のある行動を行っている。少なくとも玄宗は楊貴妃との出会いによって「'''政治的に怠惰となっても、人格的な堕落はしなかった'''」、楊貴妃によって皇帝が暗君となっても暴君になった訳ではなく、楊貴妃が皇帝の人格に悪影響を与えた訳ではない事を留意する必要がある。
*楊貴妃の最後は蜀に避難する最中、追従の兵士たちが自分らをこのような境遇に追い込んだ者達への報復を主張し、その怒りの矛先は安禄山の政敵であった楊氏一族と向けられる。楊貴妃の又従兄で宰相の楊国忠は兵士たちに殺害され、兵士たちは皇帝に楊貴妃を「賊の本」として「死」を要求する。皇帝は彼女を庇おうとしたが、高力士の進言もあり、要求を受け入れる事しかできなかった。楊貴妃は「誰も恨まない」「仏を拝ませて欲しい」と遺言を残し、縊死させられた。彼女の死の直後に南方からの献上のライチが届けられ、皇帝は更に悲しんだとも伝えられる。
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*楊貴妃の最後は蜀に避難する最中、追従の兵士たちが自分らをこのような境遇に追い込んだ者達への報復を主張し、その怒りの矛先は安禄山の政敵であった楊氏一族と向けられる。楊貴妃の又従兄で宰相の楊国忠は兵士たちに殺害され、兵士たちは皇帝に楊貴妃を「賊の本」として「死」を要求する。皇帝は彼女を庇おうとしたが、腹心の宦官である高力士の進言もあり、要求を受け入れる事しかできなかった。楊貴妃は「誰も恨まない」「仏を拝ませて欲しい」と遺言を残し、縊死させられた。彼女の死の直後に南方からの献上のライチが届けられ、皇帝は更に悲しんだとも伝えられる。
 
**彼女と玄宗皇帝の悲劇の結末は当時の詩人たちに格好の題材を与えることとなり、様々な唄や詩が生み出されることになる。
 
**彼女と玄宗皇帝の悲劇の結末は当時の詩人たちに格好の題材を与えることとなり、様々な唄や詩が生み出されることになる。
 
*明代末期の笑い話に、三国志の英傑である張飛と共に登場したものがあり、古典落語『野ざらし』のネタになっている。<ref group = "注">ある男が、野ざらしになっていた骸骨を見つけた。気の毒に思って供養すると、その日の夜、男の家を訪ねる者が居た。「誰だ?」と問うと「妃(フェイ)」と答え、更に「私は楊貴妃です。殺されて以来、誰にも供養されずに野ざらしになっていた所を貴方に供養してもらいました。そのお礼に夜伽をさせて下さい」と答えて男と一晩過ごした。それを聞いて羨ましく思った隣の男は、野原を捜して骸骨を見つけると同じように供養した。すると、その日の夜に男の家の戸を叩く者がいた。「誰だい?」と訪ねると「飛(フェイ)」と答えたので、「楊貴妃か?」と更に訪ねたら「俺は張飛だ」と答えた。仰天して男は「張将軍が、何ゆえお越しで」と訪ねると「殺されてから、まともに供養してもらえず野ざらしになっていた。なので、供養してくれたお礼に夜伽をさせてほしい」…というオチ。なお、『野ざらし』では張飛が石川五右衛門になっていて、(オ)カマと釜茹でを引っ掻けたオチとなっている。</ref>
 
*明代末期の笑い話に、三国志の英傑である張飛と共に登場したものがあり、古典落語『野ざらし』のネタになっている。<ref group = "注">ある男が、野ざらしになっていた骸骨を見つけた。気の毒に思って供養すると、その日の夜、男の家を訪ねる者が居た。「誰だ?」と問うと「妃(フェイ)」と答え、更に「私は楊貴妃です。殺されて以来、誰にも供養されずに野ざらしになっていた所を貴方に供養してもらいました。そのお礼に夜伽をさせて下さい」と答えて男と一晩過ごした。それを聞いて羨ましく思った隣の男は、野原を捜して骸骨を見つけると同じように供養した。すると、その日の夜に男の家の戸を叩く者がいた。「誰だい?」と訪ねると「飛(フェイ)」と答えたので、「楊貴妃か?」と更に訪ねたら「俺は張飛だ」と答えた。仰天して男は「張将軍が、何ゆえお越しで」と訪ねると「殺されてから、まともに供養してもらえず野ざらしになっていた。なので、供養してくれたお礼に夜伽をさせてほしい」…というオチ。なお、『野ざらし』では張飛が石川五右衛門になっていて、(オ)カマと釜茹でを引っ掻けたオチとなっている。</ref>
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