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1,031 バイト追加 、 2024年4月20日 (土)
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{{サーヴァント概要
 
{{サーヴァント概要
 
| タイトル = フォーリナー
 
| タイトル = フォーリナー
| 真名 = 楊貴妃
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| 真名 = 楊貴妃<br>楊玉環(ヤン・ユーファン)
 
| 読み = ようきひ
 
| 読み = ようきひ
| 本名 = 楊玉環(ヤン・ユーファン)
+
| 本名 =  
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| 外国語表記 = Yang Guifei
 
| 愛称 = ユゥユゥ
 
| 愛称 = ユゥユゥ
 
| 初登場作品 = [[Fate/Grand Order]]
 
| 初登場作品 = [[Fate/Grand Order]]
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| 体重 = 45kg
 
| 体重 = 45kg
 
| 出典 = 史実
 
| 出典 = 史実
| 地域 = 中国
+
| 地域 = 中国・唐
 
| 属性 = 混沌・善
 
| 属性 = 混沌・善
| 隠し属性 = 人
+
| 副属性 = 人
| 一人称 = あたし/私/玉々(ユゥユゥ)
+
| 一人称 = あたし/玉々(ユゥユゥ)/この楊貴妃/ユーファン<br>私(第三再臨時)
| 二人称 = あなた/キミ
+
| 二人称 = あなた/キミ/~さん/奶奶(おばあちゃん)/姐姐(姉)<br>天子様(第三再臨時)
| 三人称 = ○○さん
+
| 三人称 = ○○さん/みんな/みなさん/皆様
 
| 性別 = 女性
 
| 性別 = 女性
 
| デザイン = 黒星紅白
 
| デザイン = 黒星紅白
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| サーヴァント階位 =  
 
| サーヴァント階位 =  
 
| 特技 =  
 
| 特技 =  
| 好きな物 = ライチ、琵琶の演奏、歌、ダンス、温泉<br>美丈夫が赤子みたいに甘えてくる所<ref group ="注" name="好きな物・嫌いな物">霊基再臨第三段階以降。</ref>
+
| 好きな物 = ライチ、琵琶の演奏、歌、ダンス、温泉<br>美丈夫が赤子みたいに甘えてくる所(第三再臨時)
| 苦手な物 = ドタキャン、梅の花<br>自分と[[主人公 (Grand Order)|マスター]]の間にある一切衆生および森羅万象全般<ref group = "注" name="好きな物・嫌いな物" />
+
| 苦手な物 = ドタキャン、梅の花<br>自分と[[主人公 (Grand Order)|マスター]]の間にある一切衆生および森羅万象全般(第三再臨時)
| 天敵 = BB
+
| 天敵 = BB、武則天
 
| 設定作成 = 星空めてお
 
| 設定作成 = 星空めてお
 
| レア度 = ☆5
 
| レア度 = ☆5
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: 死後もその魂は蓬莱の仙女となり、最愛の皇帝との再会を待ちわびていると云う。
 
: 死後もその魂は蓬莱の仙女となり、最愛の皇帝との再会を待ちわびていると云う。
 
: 深淵の星は諸人の耳には届かぬ歌をひそかに誦す。
 
: 深淵の星は諸人の耳には届かぬ歌をひそかに誦す。
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:『Grand Order』では「敵単体に超強力な〔やけど〕特攻攻撃[Lv]<オーバーチャージで特攻威力アップ>&やけど状態を付与[Lv](3ターン)」という効果のArts宝具。
    
== 真名:楊貴妃 ==
 
== 真名:楊貴妃 ==
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:武則天の孫の玄宗の貴妃となったため、武則天は楊貴妃の義理の祖母と言えなくもないが即地獄案件である。
 
:武則天の孫の玄宗の貴妃となったため、武則天は楊貴妃の義理の祖母と言えなくもないが即地獄案件である。
 
:期間限定イベント『虚数大海戦イマジナリ・スクランブル~ノーチラス浮上せよ~』ではやらかした結果霊基を弄られ、まともに人理のために行動するようにされた。
 
:期間限定イベント『虚数大海戦イマジナリ・スクランブル~ノーチラス浮上せよ~』ではやらかした結果霊基を弄られ、まともに人理のために行動するようにされた。
:以降もたびたび折檻されており若干苦手意識を持っている。
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:以降もたびたび折檻されており若干苦手意識を持っているが、幽霊や猫の真似をして脅かしたりとあまり懲りてはいない模様。
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;[[武則天〔キャスター〕]]
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:上記の義理の祖母の水着霊基。期間限定イベント『アークティック・サマーワールド!』で共演。
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:幽霊を恐れなくなったことに不審と不満を抱き、その由来を探っていた。
 
;[[アビゲイル・ウィリアムズ]]
 
;[[アビゲイル・ウィリアムズ]]
 
:フォーリナー仲間。幼いながらも先輩風を吹かす様子に、生前のペルシャ系の女の子の友人を思い出したとのこと。
 
:フォーリナー仲間。幼いながらも先輩風を吹かす様子に、生前のペルシャ系の女の子の友人を思い出したとのこと。
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:自身の幕間の物語で泥酔した際に酒席に呼びたいと言っていた王様たち。
 
:自身の幕間の物語で泥酔した際に酒席に呼びたいと言っていた王様たち。
 
:なんというか、妙に偏りがあり、下記の安禄山同様「そういう趣味」を示唆させている。
 
:なんというか、妙に偏りがあり、下記の安禄山同様「そういう趣味」を示唆させている。
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;[[ロジェロ]]
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:『シャルルマーニュのモンジョワ・騎士道!』ラストで、実は特異点に存在していた彼に対して「言えるときに言わないと後悔する」と[[ブラダマンテ]]に対して名乗るように送り出した。
 
;侍女達
 
;侍女達
 
:楊貴妃に付き従う侍女達。フォーリナーになったからか、青い人魂のような姿をしている。
 
:楊貴妃に付き従う侍女達。フォーリナーになったからか、青い人魂のような姿をしている。
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**しかし『虚数大海戦イマジナリ・スクランブル~ノーチラス浮上せよ~』のイベント内で、主神に従属している存在であることが判明。このことから、彼女に宿る神性はクトゥグァの配下であるフサッグァではないかという説も有力視されている。フサッグァも青い炎を纏い、炎の精を従えている。
 
**しかし『虚数大海戦イマジナリ・スクランブル~ノーチラス浮上せよ~』のイベント内で、主神に従属している存在であることが判明。このことから、彼女に宿る神性はクトゥグァの配下であるフサッグァではないかという説も有力視されている。フサッグァも青い炎を纏い、炎の精を従えている。
 
*中国史を代表する「'''傾国の美女'''」の一人。中国では「'''中国四大美人'''」の一人として「西施」「王昭君」「貂蝉」と共に数えられ、現在までその美しさを謳われる。ただし、彼女の容姿は壁画等の類推から実際は豊満な女性だったとも考えられている。
 
*中国史を代表する「'''傾国の美女'''」の一人。中国では「'''中国四大美人'''」の一人として「西施」「王昭君」「貂蝉」と共に数えられ、現在までその美しさを謳われる。ただし、彼女の容姿は壁画等の類推から実際は豊満な女性だったとも考えられている。
**「唐を滅亡に追いやった傾国の美女」の印象を持たれやすいが、彼女の死去は756年、唐が滅びたのは907年と実は'''150年'''の開きがあり、彼女が原因で国が滅びたわけではない。彼女の時代に発生した「安史の乱」以降、唐はついに国力も国威も回復は果たせずに衰退し滅亡したが、「中興の祖」と呼ばれる憲宗の時代にはある程度の朝威回復に成功しているため、彼女を滅亡の原因と断言するのは流石に無理がある。実際の唐の滅亡原因は晩唐とも呼ばれる末期の時代に発生した行政の改善を要求する武装闘争と、財政難による塩税の大量増税、そして874年に発生した塩の密売人だった黄巣による「'''黄巣の乱'''」で884年には一時的に長安を占領され、以降は各地の節度使は中央政府の統制から外れていき、中華統一王朝としての機能を喪失。その黄巣を裏切って唐側に付いた武将「'''朱全忠'''」に907年に禅譲されて、唐は滅びた。唐の歴史は618年~907年であり、楊貴妃が死去した756年は'''唐の全体歴史から見て半分にも至っていない年'''なのである。
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**「唐を滅亡に追いやった傾国の美女」の印象を持たれやすいが、彼女の死去は756年、唐が滅びたのは907年と実は'''150年'''の開きがあり、彼女が原因で国が滅びたわけではない。確かに、彼女の時代に発生した「安史の乱」以降、唐は衰退を一途を辿り滅亡したが、それでも、「中興の祖」と呼ばれる憲宗の時代にはある程度の朝威回復に成功しているため、彼女を滅亡の原因と断言するのは流石に無理がある。
***「安史の乱」の首謀者の安禄山は楊貴妃の死を知って、非常に嘆き、悲しんだと伝えられており、彼が反乱を起こした原因を楊貴妃に求められることもある。
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**実際の唐の滅亡原因は晩唐とも呼ばれる末期の時代に発生した行政の改善を要求する武装闘争と、財政難による塩税の大量増税によるものである。特に、874年に発生した塩の密売人だった黄巣による「'''黄巣の乱'''」では、884年に一時的に長安を占領されてしまう。それ以降は各地の節度使は中央政府の統制から外れていき、中華統一王朝としての機能を喪失。皇帝は首都長安一帯にしか権限が及ばない地方政権に零落した。その黄巣を裏切って唐側に付いた武将「'''朱全忠'''」に907年に禅譲されて、唐は滅亡。約70年間に渡り、幾多の小王朝が乱立する混乱の「'''五代十国時代'''」に突入する事になる。
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***つまり、唐の歴史は618年~907年であり、楊貴妃が死去した756年は'''唐の全体歴史から見て半分にも至っていない年'''なのである。
 
**彼女自身は政治にはあまり介入していなかったとされており、大規模な贅沢も、他の后妃の迫害もなかった。従って現在では唐を傾ける原因になったのは事実だが、玄宗皇帝や楊国忠ら一族との連帯責任以外は罪に問えないという考え方が一般的とされている。
 
**彼女自身は政治にはあまり介入していなかったとされており、大規模な贅沢も、他の后妃の迫害もなかった。従って現在では唐を傾ける原因になったのは事実だが、玄宗皇帝や楊国忠ら一族との連帯責任以外は罪に問えないという考え方が一般的とされている。
 
**また、玄宗皇帝は非常に優れた皇帝で、彼の治世前半期は唐の最盛期でもあり、「開元の治」と呼ばれる優れた政治を行い、歴代中国王朝でも最も安定した時代と後世からも評価される程だった。ちなみに、その時代を支えた人材を見出だしたのが[[武則天]]である。しかし、平和の中で徐々に政治に関心を失いつつある時に楊貴妃と出会い、そのまま彼女に惚れ込んでしまった。「朝廷に顔を出さなくなった」と歌われ、楊貴妃の親族「楊国忠」と塞外の胡出身の「安禄山」が皇帝と楊貴妃の寵愛と権力を巡る政争を繰り広げた結果、「安史の乱」が発生してしまった。玄宗皇帝の前半期がなまじ優秀かつ民への労りを示していた人物だけに、その堕落の一因となった楊貴妃の「傾国の美女」イメージを深いものにしている事は否めない。
 
**また、玄宗皇帝は非常に優れた皇帝で、彼の治世前半期は唐の最盛期でもあり、「開元の治」と呼ばれる優れた政治を行い、歴代中国王朝でも最も安定した時代と後世からも評価される程だった。ちなみに、その時代を支えた人材を見出だしたのが[[武則天]]である。しかし、平和の中で徐々に政治に関心を失いつつある時に楊貴妃と出会い、そのまま彼女に惚れ込んでしまった。「朝廷に顔を出さなくなった」と歌われ、楊貴妃の親族「楊国忠」と塞外の胡出身の「安禄山」が皇帝と楊貴妃の寵愛と権力を巡る政争を繰り広げた結果、「安史の乱」が発生してしまった。玄宗皇帝の前半期がなまじ優秀かつ民への労りを示していた人物だけに、その堕落の一因となった楊貴妃の「傾国の美女」イメージを深いものにしている事は否めない。
***ちなみに玄宗皇帝は堕落後も、民への配慮は決して失っておらず、安史の乱で首都陥落が確実となり、蜀へ避難する際には「後から逃げてくる民の為」に、橋を焼き落とすのを諫めたり、首都陥落時に宝物庫を焼き払おうとした部下に「宝物を得られなければ、民に対しての略奪が激しくなる」と制止するなど、良識のある行動を行っている。少なくとも玄宗は楊貴妃との出会いによって「'''政治的に怠惰となっても、人格的な堕落はしなかった'''」、楊貴妃によって皇帝が暗君となっても暴君になった訳ではなく、楊貴妃が皇帝の人格に悪影響を与えた訳ではない事を留意する必要がある。
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**ちなみに玄宗皇帝は堕落後も、民への配慮は決して失っておらず、安史の乱で首都陥落が確実となり、蜀へ避難する際には「後から逃げてくる民の為」に、橋を焼き落とすのを諫めたり、首都陥落時に宝物庫を焼き払おうとした部下に「宝物を得られなければ、民に対しての略奪が激しくなる」と制止するなど、良識のある行動を行っている。少なくとも玄宗は楊貴妃との出会いによって「'''政治的に怠惰となっても、人格的な堕落はしなかった'''」、楊貴妃によって皇帝が暗君となっても暴君になった訳ではなく、楊貴妃が皇帝の人格に悪影響を与えた訳ではない事を留意する必要がある。
**と、こうした実情にも関わらず、FGOのマテリアルに「大国“唐”を内乱の戦火で燃え上がらせ、王朝滅亡の元凶となった美貌の貴妃」と書かれてしまっている事は、中国史に詳しいプレイヤーからよく突っ込まれる。そう伝わっている等ならまだ分かるのだが、元凶だと断言されてしまっている。各種のセリフを見る限り、ちゃんと史実に沿ってキャラ設定されているのに、何故かこの一文だけおかしい。
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***と、こうした実情にも関わらず、FGOのマテリアルに「大国“唐”を内乱の戦火で燃え上がらせ、王朝滅亡の元凶となった美貌の貴妃」と書かれてしまっている事は、中国史に詳しいプレイヤーからよく突っ込まれる。そう伝わっている等ならまだ分かるのだが、元凶だと断言されてしまっている。各種のセリフを見る限り、ちゃんと史実に沿ってキャラ設定されているのに、何故か'''この一文だけおかしい'''。
 
*楊貴妃の最後は蜀に避難する最中、追従の兵士たちが自分らをこのような境遇に追い込んだ者達への報復を主張し、その怒りの矛先は安禄山の政敵であった楊氏一族と向けられる。楊貴妃の又従兄で宰相の楊国忠は兵士たちに殺害され、兵士たちは皇帝に楊貴妃を「賊の本」として「死」を要求する。皇帝は彼女を庇おうとしたが、腹心の宦官である高力士の進言もあり、要求を受け入れる事しかできなかった。楊貴妃は「誰も恨まない」「仏を拝ませて欲しい」と遺言を残し、縊死させられた。彼女の死の直後に南方からの献上のライチが届けられ、皇帝は更に悲しんだとも伝えられる。
 
*楊貴妃の最後は蜀に避難する最中、追従の兵士たちが自分らをこのような境遇に追い込んだ者達への報復を主張し、その怒りの矛先は安禄山の政敵であった楊氏一族と向けられる。楊貴妃の又従兄で宰相の楊国忠は兵士たちに殺害され、兵士たちは皇帝に楊貴妃を「賊の本」として「死」を要求する。皇帝は彼女を庇おうとしたが、腹心の宦官である高力士の進言もあり、要求を受け入れる事しかできなかった。楊貴妃は「誰も恨まない」「仏を拝ませて欲しい」と遺言を残し、縊死させられた。彼女の死の直後に南方からの献上のライチが届けられ、皇帝は更に悲しんだとも伝えられる。
 
**彼女と玄宗皇帝の悲劇の結末は当時の詩人たちに格好の題材を与えることとなり、様々な唄や詩が生み出されることになる。
 
**彼女と玄宗皇帝の悲劇の結末は当時の詩人たちに格好の題材を与えることとなり、様々な唄や詩が生み出されることになる。
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