差分

192 バイト追加 、 2017年7月6日 (木) 14:37
メモ部分 
107行目: 107行目:  
*なぜか全盛期ではない子供のような外見となっているが、当人によると「たまたま童状態でバーサーカー召喚されてる」からであり、往年の頃は「バインバインのボインボイン」とのことである。
 
*なぜか全盛期ではない子供のような外見となっているが、当人によると「たまたま童状態でバーサーカー召喚されてる」からであり、往年の頃は「バインバインのボインボイン」とのことである。
 
**淀殿の史実での身長は170㎝前後と当時としてはかなり体格がよかったと伝えられている。ちなみに息子の秀頼も190㎝代とかなりの巨漢。
 
**淀殿の史実での身長は170㎝前後と当時としてはかなり体格がよかったと伝えられている。ちなみに息子の秀頼も190㎝代とかなりの巨漢。
*淀殿に対しては、悪女として扱う説と悲劇の女性として扱う説の真っ二つに分かれている。封建社会の時代では女性が政治に首を突っ込み、あまつさえ戦の指揮を取って完敗した事で蔑視され、敗者側の豊臣方という部分も手伝い評価は低かった。<br>近年では、名誉回復が進んでおり険悪とされた高台院との関係性も悪いものではないと発覚した。なお、どちらの節でも彼女の人生の浅井家から側室に収まるまでの前半部分は彼女自身の非はないと扱われる事が多い。
+
*淀殿に対しては、悪女として扱う説と悲劇の女性として扱う説の真っ二つに分かれている。封建社会の時代では女性が政治に首を突っ込み、あまつさえ戦の指揮を取って完敗した事で蔑視され、敗者側の豊臣方という部分も手伝い評価は低かった。<br>近年では、名誉回復が進んでおり険悪とされた高台院との関係性も悪いものではないと発覚し、彼女の非は徳川との関係悪化や交渉の不手際など政治的な面であり、個人としての悪女としての面は鳴りを潜める形となった。<br>なおどちらの説であっても彼女の人生の浅井家から側室に収まるまでの前半部分は彼女自身の非はないと扱われる事が多い。
**どちらにせよ政治と時流に振り回せた女性であり、悪女としての面もTYPE-MOON作品で時折登場する加害者になり果てた元被害者として見ることができるかもしれない。
+
**どちらにせよ政治と時流に振り回された女性であり、悪女としての面もTYPE-MOON作品で時折登場する加害者になり果てた元被害者として見ることができるかもしれない。
 
*小豆の汁粉が好物であり、マイルームで好きなものとして挙げられている他、『ぐだぐだ明治維新』では茶屋で食しているシーンがある。
 
*小豆の汁粉が好物であり、マイルームで好きなものとして挙げられている他、『ぐだぐだ明治維新』では茶屋で食しているシーンがある。
**しかし汁粉は江戸時代からあったものであり、沖田から指摘されている。これに関しては生前に信長が「変な格好の料理人」を拾い、戦国時代では珍しい料理をよく作っており、とりわけ小豆を甘く煮た汁粉が信長やお市、茶々に大好評だった。その事もあってか気に入られたのであったが、いつの間にか消えてたとのこと。<br>おそらく元ネタは料理漫画およびそれをもとにした実写ドラマ『信長のシェフ』であり、その料理人は主人公ケンと推測される。
+
**しかし汁粉は江戸時代からあったものであり、沖田から指摘されている。これに関しては生前に信長が「変な格好の料理人」を拾い、戦国時代では珍しい料理をよく作っており、とりわけ小豆を甘く煮た汁粉が信長やお市、茶々に大好評だった。その事もあってか気に入られたのであったが、いつの間にか消えてたとのこと。おそらく元ネタは料理漫画およびそれをもとにした実写ドラマ『信長のシェフ』であり、その料理人は主人公ケンと推測される。
**もっとも生前になかったものを好む英霊はいくらでもいるのでネタ抜きだとしても矛盾はない。
+
**もっとも生前には存在しなかったものを好む英霊はそれこそいくらでもいるのでネタ抜きでも矛盾はない。
 
*秀頼の正室、千姫とは複雑な血縁関係にある。千姫の母は茶々の妹の江姫、すなわち秀頼とは実の従妹同士になる。父親は徳川秀忠で祖父は徳川家康と、極めて複雑怪奇な縁戚関係である。
 
*秀頼の正室、千姫とは複雑な血縁関係にある。千姫の母は茶々の妹の江姫、すなわち秀頼とは実の従妹同士になる。父親は徳川秀忠で祖父は徳川家康と、極めて複雑怪奇な縁戚関係である。
 
*三度も落城の憂き目にあっている茶々だが、実は初姫の方が落城にあった回数が多い。<ref>小谷城、北の庄城の他に、夫の京極高次が関ヶ原の戦いの時に立て籠った大津城の落城に立ち会っている。また、大阪城が落城した時は大阪城に入っていた。</ref>
 
*三度も落城の憂き目にあっている茶々だが、実は初姫の方が落城にあった回数が多い。<ref>小谷城、北の庄城の他に、夫の京極高次が関ヶ原の戦いの時に立て籠った大津城の落城に立ち会っている。また、大阪城が落城した時は大阪城に入っていた。</ref>
89

回編集