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;[[弓塚さつき]]
 
;[[弓塚さつき]]
 
:『帝都聖杯奇譚回顧録 昭和戦国絵巻』ではマスターになる予定の人物とのこと。
 
:『帝都聖杯奇譚回顧録 昭和戦国絵巻』ではマスターになる予定の人物とのこと。
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=== Fate/Grand Order ===
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;[[主人公 (Grand Order)]]
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:マスター。『ぐだぐだファイナル本能寺』では最初に出会った時から「弱いのに人頼みで皆を救いたいと願う変人」と気持ち悪く思っていたが、終盤に至って「人間そのものがそういうものだ」と納得した。
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;[[アルトリア・ペンドラゴン〔ランサー〕]]
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:ランサーなのに常時馬に乗っているという点で言いたい事がある模様。
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:……実のところ「人の心がわからないと言われ続けた挙げ句、神に成り果てた君主」という嫌な共通点があったりする。
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;[[イスカンダル]]
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:上記の経緯があったためか、馬にいつも乗っている彼をランサーと見なすも外れてしまい、さらに混乱する事に。
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=== 生前 ===
 
=== 生前 ===
;武田信玄
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;長尾為景
:最大のライバルで、川中島で5回も激突した。
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:父。幼少期からの奇矯な言動の為に愛されず、恐怖されていた。
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;長尾晴景
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:兄。父同様、彼からも恐怖されていた。
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;綾御前
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:姉。彼女からもやはり恐怖されていたが同時に憐憫もされており、せめて人の世で暮らせるようにと寺に預け、徳を積む事を教え込んだ。
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;武田晴信
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:「武田信玄」の法名で知られる戦国武将。
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: 最大のライバルで、川中島で5回も激突した。かなり強い執着があるようで、絆礼装では最高の条件であるライダーを彼に譲った上でギッタギタにするためにランサーになったとのこと。
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: その一方で彼が苦境にあったときにはエピソード通り塩を送るような事もしていたようである。……理由は「本気で殺し合いたいから」という酷いものであったが。
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;[[柴田勝家]]
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:織田信長の配下として侵攻してきた彼の事を手取川の戦いで散々に打ち破っている。
 
;[[織田信長]]
 
;[[織田信長]]
:手取川の戦いで配下の柴田勝家らを散々に打ち破っており、彼女を恐怖させた。
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:上記の経緯もあって彼女からも恐怖されており、おべっかまみれの手紙をよく受け取っていたが、彼女としては胡散臭いと思っていたようである。
 
;北条氏康、北条氏政
 
;北条氏康、北条氏政
 
:景虎個人のライバルといえば武田信玄であるが、関東管領・上杉家としての宿敵は数代前にいきなりやって来て南関東をほぼ持って行った(後)北条家の方である。
 
:景虎個人のライバルといえば武田信玄であるが、関東管領・上杉家としての宿敵は数代前にいきなりやって来て南関東をほぼ持って行った(後)北条家の方である。
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==名台詞==
 
==名台詞==
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===Fate/Grand Order===
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;「駆けよ、放生月毛! 毘沙門天の加護ぞ在り! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』!」<br>「刀八毘沙門天よ、我が身に宿り神威を奮ふるえ! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』!」<br>「長尾景虎推参! ゆくぞ! 『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』! ──成敗!」<br>「あははははははは! 退くは地獄か進むは楽土か──『<ruby><rb>毘天八相車懸りの陣</rb><rt>びてんはっそうくるまがかりのじん</rt></ruby>』! にゃー!」
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:宝具発動時の台詞。宝具台詞をここまで沢山持っているのはかなり珍しい。
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===ぐだぐだエース===
 
===ぐだぐだエース===
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:激しい戦いの最中、妻子と憲政を失った景虎は実家の北条家に戻ろうとするも、逃避行の途中で謀反に逢って無念の自害を遂げた。
 
:激しい戦いの最中、妻子と憲政を失った景虎は実家の北条家に戻ろうとするも、逃避行の途中で謀反に逢って無念の自害を遂げた。
 
:上杉家の家督を掌握した景勝だが内乱の傷痕は非常に深刻で、謙信が鍛えた精鋭のほとんどが失われてしまった。
 
:上杉家の家督を掌握した景勝だが内乱の傷痕は非常に深刻で、謙信が鍛えた精鋭のほとんどが失われてしまった。
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:内乱の最中、これまで謙信に抑えられていた[[柴田勝家]]が北陸一帯を平らげて越後に侵攻を開始し、更に伊達氏なども越後を脅かすようになった。天正10年に唯一の同盟者であった武田氏が滅亡した後は周囲を敵対勢力に包囲され、崩壊寸前まで追い込まれてしまう。
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:しかし、本能寺の変で[[織田信長]]が討たれた事で危機を脱し、信長の後継者争いに勝利した[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]から臣従を求められると上洛して秀吉の傘下に入る。秀吉にいち早く服従した景勝への信認は厚く、会津120万石への加増移封と豊臣五大老への就任という栄華を得る。一方で徳川家康への抑えと監視役という役割も与えられた事で家康と対立し、関ヶ原の戦いが発生する大きな要因となってしまう。
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:関ヶ原の戦いで敗北した後、景勝は米沢藩30万石に減増移封され、以後の上杉家は幕末まで(財政難と藩政の腐敗に悩まされながら)米沢藩の藩主として継続する事となる。
    
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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