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**楊戩は宦官で、水滸伝の物語では出番は控えめだが、梁山泊の李逵(りき)とひと悶着があり、以降は梁山泊を敵視。最終的に梁山泊の毒殺を進言する人物となっている。史実では「索民田契の法」を施法し、強引に農民から土地を取り上げて重税を課す。また漁民にもあれこれと重税を課し、徴税も過酷を極めたため、楊戩と実行部門の「西城所」は民衆からは非常に恨まれたとされる。北宋の財政も一時的に回復したが、一度苛烈な徴税を行った土地は荒れ果ててしまったため、結局は北宋の首を絞める結果になっている。六賊が失脚する前である1121年に死去しており、死後は大尉の職を送られ、呉国公と諡をされている。史実では高俅同様に六賊には含まれていないが、創作よりも史実の方がかなり悪党であり、高俅とは真逆である。六賊に含まれなかったのも、他の六賊達が糾弾された際に死去済みだった事が大きいとされる。
 
**楊戩は宦官で、水滸伝の物語では出番は控えめだが、梁山泊の李逵(りき)とひと悶着があり、以降は梁山泊を敵視。最終的に梁山泊の毒殺を進言する人物となっている。史実では「索民田契の法」を施法し、強引に農民から土地を取り上げて重税を課す。また漁民にもあれこれと重税を課し、徴税も過酷を極めたため、楊戩と実行部門の「西城所」は民衆からは非常に恨まれたとされる。北宋の財政も一時的に回復したが、一度苛烈な徴税を行った土地は荒れ果ててしまったため、結局は北宋の首を絞める結果になっている。六賊が失脚する前である1121年に死去しており、死後は大尉の職を送られ、呉国公と諡をされている。史実では高俅同様に六賊には含まれていないが、創作よりも史実の方がかなり悪党であり、高俅とは真逆である。六賊に含まれなかったのも、他の六賊達が糾弾された際に死去済みだった事が大きいとされる。
 
*六賊の各構成員はかなり個性的で、内実は下記の通り。徽宗が芸術家皇帝だったため、文化人や芸術に博識な人物が多い。
 
*六賊の各構成員はかなり個性的で、内実は下記の通り。徽宗が芸術家皇帝だったため、文化人や芸術に博識な人物が多い。
**蔡京:16年間に渡り宰相を務めた。極めて優れた実務能力を持つが権力欲が強く、主義主張に節操がなかったと言われる。優れた文化人であり、絵画や詩文に優れた技量を持つ。しかし、宰相時代の後期には微宗の詔に振り回され、政治的影響力を失ってしまう。ちなみに息子の蔡攸も奸臣だった。
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**蔡京:16年間に渡り宰相を務めた。極めて優れた実務能力を持つが権力欲が強く、主義主張に節操がなかったと言われる。優れた文化人であり、絵画や詩文に優れた技量を持つ。しかし、宰相時代の後期には徽宗の詔に振り回され、政治的影響力を失ってしまう。ちなみに息子の蔡攸も奸臣だった。
 
**童貫:宦官将軍。去勢され男性機能を失ったはずの宦官にも関わらず、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした巨躯を誇りで顎鬚まで生えていたという怪人物(通常、去勢されると男性ホルモンの分泌が低下するため、髭が生えなくなり筋肉も衰える)。骨董の目利きに優れたため出世できたとされる。
 
**童貫:宦官将軍。去勢され男性機能を失ったはずの宦官にも関わらず、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした巨躯を誇りで顎鬚まで生えていたという怪人物(通常、去勢されると男性ホルモンの分泌が低下するため、髭が生えなくなり筋肉も衰える)。骨董の目利きに優れたため出世できたとされる。
 
**李彦:楊戩の死後、西城所の機構を掌握して不法に膨大な土地を収め農民から収奪を繰り返した宦官。
 
**李彦:楊戩の死後、西城所の機構を掌握して不法に膨大な土地を収め農民から収奪を繰り返した宦官。
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