118行目:
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:夫。ただし側室なので「殿下」と畏まって呼ぶ。
:夫。ただし側室なので「殿下」と畏まって呼ぶ。
:歳はかなり離れていたが、好みや相性はばっちりだったので関係はおおむね良好だった模様。
:歳はかなり離れていたが、好みや相性はばっちりだったので関係はおおむね良好だった模様。
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:一方で二人の父と母と兄を死に追いやったのも秀吉である。
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:その一方で、二人の父と母と兄を死に追いやったのも秀吉である。
;[[織田信長]]
;[[織田信長]]
:「伯母上」と呼ぶ。生前から懐いていたようで、気安い間柄。
:「伯母上」と呼ぶ。生前から懐いていたようで、気安い間柄。
134行目:
134行目:
:一人目の息子。鶴松とも。
:一人目の息子。鶴松とも。
:幼くして病死してしまい、そのことを現在でも悔やんでいる。
:幼くして病死してしまい、そのことを現在でも悔やんでいる。
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:『ぐだぐだ新邪馬台国』では特異点を彷徨っていた彼と最期の別れを交わすことができた。
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:『ぐだぐだ新邪馬台国』では特異点を彷徨っていた彼を助け出し、「ニライカナイ」にて最期の別れを交わすことができた。
;拾
;拾
:二人目の息子。元服後の名前は「豊臣秀頼」。
:二人目の息子。元服後の名前は「豊臣秀頼」。
:大坂夏の陣で戦死させてしまったことが最大の後悔になっており、話題に出した瞬間豹変する程。
:大坂夏の陣で戦死させてしまったことが最大の後悔になっており、話題に出した瞬間豹変する程。
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:『ぐだぐだ新邪馬台国』では一枚絵こそなかったものの、兄を迎えに来る形で「ニライカナイ」に現れ、茶々と最期の別れと感謝の言葉を交わした。
;浅井長政
;浅井長政
:実父。信長との同盟の一環でお市と婚姻を結ぶが対立。姉川の戦いで敗北した後に小谷城で自害する。余談だが、信長の再臨アイテムである黄金ドクロは彼の頭蓋骨に金箔を張ったとされる逸話が元ネタである。
:実父。信長との同盟の一環でお市と婚姻を結ぶが対立。姉川の戦いで敗北した後に小谷城で自害する。余談だが、信長の再臨アイテムである黄金ドクロは彼の頭蓋骨に金箔を張ったとされる逸話が元ネタである。
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:伯母上に殺されたことについては父の方が悪いと思っているからかあまり気にしていない。
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:伯母上に殺されたことについては、父の方が悪いと思っているからかあまり気にしていない。
;[[柴田勝家]]
;[[柴田勝家]]
:義父。織田家の家老で長政の死後にお市と婚姻。しかし、信長の死後の主導権を羽柴秀吉と争って敗北し、お市と共に北の庄城で自害する。
:義父。織田家の家老で長政の死後にお市と婚姻。しかし、信長の死後の主導権を羽柴秀吉と争って敗北し、お市と共に北の庄城で自害する。
:最初は若干苦手意識もあったものの、彼女も深く敬愛していた。
:最初は若干苦手意識もあったものの、彼女も深く敬愛していた。
;お市の方
;お市の方
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:「母上」と呼ぶ。信長の妹で茶々の母。三姉妹の中で容姿が一番似ていたのが茶々だと言われている。その為お市に恋慕していた秀吉が、彼女亡き後代わりとして茶々を側室にしたとも言われている。
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:「母上」と呼ぶ。信長の妹で茶々の母。三姉妹の中で容姿が一番似ていたのが茶々だとされており、その為お市に恋慕していた秀吉が、彼女亡き後代わりとして茶々を側室にしたとも云われている。
;初、江
;初、江
:妹達。彼女達と合わせて浅井三姉妹と評される。姉妹仲は良く、お手玉を分け合っていた。
:妹達。彼女達と合わせて浅井三姉妹と評される。姉妹仲は良く、お手玉を分け合っていた。
:尚、江は徳川秀忠の正室であるため、立場上は義理の弟に自らと豊臣家を滅ぼされたことになる(実権は家康にあったとはいえ、将軍は秀忠に譲られていたため)。
:尚、江は徳川秀忠の正室であるため、立場上は義理の弟に自らと豊臣家を滅ぼされたことになる(実権は家康にあったとはいえ、将軍は秀忠に譲られていたため)。
;万福丸
;万福丸
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:兄。彼が信長の命令で秀吉に処刑されたことが秀吉との一番最初の出会いになった。
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:兄。彼が信長の命令で秀吉に処刑されたことが、秀吉との一番最初の出会いになった。
:なお、その事がきっかけでお市はずっと秀吉を嫌っていたとのこと。
:なお、その事がきっかけでお市はずっと秀吉を嫌っていたとのこと。
;[[寧々]]
;[[寧々]]
:秀吉の正室。関係は良好だった。
:秀吉の正室。関係は良好だった。
;真田信繁
;真田信繁
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:大阪の陣で奮闘し、家康をあと一歩の所まで追い詰めた豊臣側の武将。一般的には「幸村」の名前で知られる。
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:大阪の陣で奮闘し、家康をあと一歩の所まで追い詰めた豊臣側の武将。一般的には「幸村」の名前で知られる。
==名台詞==
==名台詞==