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;贋作騒動
 
;贋作騒動
 
:1857年2月、『モンテ・クリスト伯』『三銃士』などの執筆協力者であったオーギュスト・マケがデュマに対し訴訟を起こした。マケ側の主張によれば、マケはデュマに乞われて、かつて共に執筆した小説作品7編に関する著作権を放棄する代わりに十分な報酬を受け取るという旨の契約を交わしたのだが、その報酬が未だに支払われないという。<br>契約通り未払いの報酬をマケに渡し、これまでの共著作品の全てにマケの名も付け加えるべきだという要求に対し、下された判決は「共同執筆した18編の作品に関しては印税の25%をマケに支払い、しかし著作者としてマケの名は印刷されない」というものだった。<br>この裁判の中で、デュマは「確かに盗作した。だが俺の書いたものの方が面白い」というある種の名言を残したとされるが、訴訟の内容からして盗作というよりは共著者への契約不履行が問題にされていたのであり、この盗作に関する言葉自体が後世の創作ではないかと疑う声もある。<br>また、別の説ではマケとの裁判ではなく、文壇で古典からの剽窃や他人の作品からの無断借用が「デュマはペンとインクを使用せず、鋏と糊で小説を書いている」と非難された際に「あの場面はシラーの芝居のなかではよくできたところなのに、それが俺の芝居のなかに使われて悪い場面になるはずがない。むしろいっそう引き立つぐらいだ。だって俺の方がシラーよりずっと上手く書けているから」と弁明したとも言われている。<br>この後には「盗む盗むと人は言うが、アレクサンドル大帝がギリシャを盗んだとか、イタリアを盗んだとか誰も言わないだろう。俺が他人から取ってくるのは、盗みじゃない。征服したんだ。併合したんだ」と続くらしいが、同名のよしみで引き合いに出された[[ライダー (第四次)|アレクサンドル大帝]]の見解は如何に。
 
:1857年2月、『モンテ・クリスト伯』『三銃士』などの執筆協力者であったオーギュスト・マケがデュマに対し訴訟を起こした。マケ側の主張によれば、マケはデュマに乞われて、かつて共に執筆した小説作品7編に関する著作権を放棄する代わりに十分な報酬を受け取るという旨の契約を交わしたのだが、その報酬が未だに支払われないという。<br>契約通り未払いの報酬をマケに渡し、これまでの共著作品の全てにマケの名も付け加えるべきだという要求に対し、下された判決は「共同執筆した18編の作品に関しては印税の25%をマケに支払い、しかし著作者としてマケの名は印刷されない」というものだった。<br>この裁判の中で、デュマは「確かに盗作した。だが俺の書いたものの方が面白い」というある種の名言を残したとされるが、訴訟の内容からして盗作というよりは共著者への契約不履行が問題にされていたのであり、この盗作に関する言葉自体が後世の創作ではないかと疑う声もある。<br>また、別の説ではマケとの裁判ではなく、文壇で古典からの剽窃や他人の作品からの無断借用が「デュマはペンとインクを使用せず、鋏と糊で小説を書いている」と非難された際に「あの場面はシラーの芝居のなかではよくできたところなのに、それが俺の芝居のなかに使われて悪い場面になるはずがない。むしろいっそう引き立つぐらいだ。だって俺の方がシラーよりずっと上手く書けているから」と弁明したとも言われている。<br>この後には「盗む盗むと人は言うが、アレクサンドル大帝がギリシャを盗んだとか、イタリアを盗んだとか誰も言わないだろう。俺が他人から取ってくるのは、盗みじゃない。征服したんだ。併合したんだ」と続くらしいが、同名のよしみで引き合いに出された[[ライダー (第四次)|アレクサンドル大帝]]の見解は如何に。
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;シャルル先生
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:先述の通り、シャルル・ノディエである事が確実視されてはいるのだが、日本においてよりネームバリューの高い'''「シャルル・ペロー」'''の方を思い浮かべたファンも存在する模様。…しかしペローの没年は1703年、デュマの生年は1802年であり、二人が生前に出会う事は'''どう足掻いても不可能'''である。<br>但し、ペローには[[フランチェスカ]]と縁のある[[キャスター (第四次)|あの人物]]をモデルにしたと言われる著作が存在する事から、何らかの形で『Fake』に関わってくる可能性も存在している。
    
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