差分
→概要
;能力
;能力
:志貴は七夜殲滅前に、一人で自分の身を守れるよう、最低限の身の守り方は教えられている。[[遠野槙久]]に七夜での記憶をいじられているため意識的には使えないが、極限状態に追い詰められるなどすれば無意識ではあるが突発的に使用できるレベルで身体に染み付いている。<br>そして七夜志貴は「七夜として育っていたら」という志貴の記憶が具現化しているため、意識的に使いこなすことが可能。さらに志貴自身が習得していない、父親が使っているのを見たことがあるだけの技も可能性の範疇として使用可能。そのため戦闘技量は極限状態に追い詰められた遠野志貴と同等以上。<br>七夜の体術自体は、五体満足なら獣でも継承可能である。特に志貴が習ったのは本当に基本の物。そこから発展したのは、黄理の様な数多くの経験には比べられないが、ネロ戦など数少ないながら密度の濃い経験を得た志貴の持つ才能と言える。軋間が七夜の才能を父以上としたのはこの点からと見られる。(死んだ父親はこれ以上発展のしようがないため)が、しかし指摘通りいかんせん経験不足のままであり、『極死・七夜』は父親の模倣。<br>直死の魔眼については、遠野のコピーである七夜も立ち絵、ドット絵、カットインで目が青い。しかし眼球も脳も志貴本人の体ではない為魔眼は宿らない。(「存在が違うので、持っていない」原作者設定)<br>元は同じなので使った記憶は持っているのかも知れないが、七夜本人も特に求めてない様ではある。(MB無印の中身タタリを除く)直死の前の「淨眼」ですら厳密には持っていない可能性がある。<br>歌月では遠野に眼を思い出せと示唆したり、「持たないお前では意味がない」等、発言してもいた。<br>また直死観をアルクェイドらと[[アーネンエルベ]]で雑談して「なんでも殺せる毒」と称したり、MBAAでは対戦した[[両儀式]]に「その眼で誘われちゃ断れない」と発言するなど、戦闘相手としては申し分ない能力らしい。
:志貴は七夜殲滅前に、一人で自分の身を守れるよう、最低限の身の守り方は教えられている。[[遠野槙久]]に七夜での記憶をいじられているため意識的には使えないが、極限状態に追い詰められるなどすれば無意識ではあるが突発的に使用できるレベルで身体に染み付いている。<br>そして七夜志貴は「七夜として育っていたら」という志貴の記憶が具現化しているため、意識的に使いこなすことが可能。さらに志貴自身が習得していない、父親が使っているのを見たことがあるだけの技も可能性の範疇として使用可能。そのため戦闘技量は極限状態に追い詰められた遠野志貴と同等以上。<br>七夜の体術自体は、五体満足なら獣でも継承可能である。特に志貴が習ったのは本当に基本の物。そこから発展したのは、黄理の様な数多くの経験には比べられないが、ネロ戦など数少ないながら密度の濃い経験を得た志貴の持つ才能と言える。軋間が七夜の才能を父以上としたのはこの点からと見られる。(死んだ父親はこれ以上発展のしようがないため)が、しかし指摘通りいかんせん経験不足のままであり、『極死・七夜』は父親の模倣。<br>直死の魔眼については、遠野のコピーである七夜も立ち絵、ドット絵、カットインで目が青い。しかし眼球も脳も志貴本人の体ではない為魔眼は宿らない。(「存在が違うので、持っていない」原作者設定)<br>元は同じなので使った記憶は持っているのかも知れないが、七夜本人も特に求めてない様ではある。(MB無印の中身タタリを除く)直死の前の「淨眼」ですら厳密には持っていない可能性がある。<br>歌月では遠野に眼を思い出せと示唆したり、「持たないお前では意味がない」等、発言してもいた。<br>また直死観をアルクェイドらと[[アーネンエルベ]]で雑談して「なんでも殺せる毒」と称したり、MBAAでは対戦した[[両儀式]]に「その眼で誘われちゃ断れない」と発言するなど、戦闘相手としては申し分ない能力らしい
== 使用技 ==
== 使用技 ==