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;尾張柳生と江戸柳生
 
;尾張柳生と江戸柳生
 
:一般に柳生利厳が尾張徳川家に仕えたことからそちらの系譜を「尾張柳生」、柳生宗矩が江戸の将軍家に仕えた事から「江戸柳生」と呼ばれている。
 
:一般に柳生利厳が尾張徳川家に仕えたことからそちらの系譜を「尾張柳生」、柳生宗矩が江戸の将軍家に仕えた事から「江戸柳生」と呼ばれている。
:……のだが、利厳の父である厳勝が祖父の石舟斎の長男であったが怪我のため柳生家を継げず、関ケ原の戦いで徳川家康に仕えて功績をあげた宗矩が柳生家を継いだ事情があり、さらには石舟斎から「新陰流の正統」を利厳が受け継いだ事情もあって、尾張柳生では'''「自分達の方が柳生の正統である」'''という意識が非常に強く、江戸柳生に対する対抗心も大きかったとされている。
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:……のだが、利厳の父である厳勝が祖父の石舟斎の長男であったが怪我のため柳生家を継げず、関ケ原の戦いで徳川家康に仕えて功績をあげた宗矩が柳生家を継いだ事情があり、さらには石舟斎から「新陰流の正統」を利厳が受け継いだ事情もあって、尾張柳生では'''「自分達の方が柳生の正統である」'''という意識が非常に強く、江戸柳生に対する対抗心も大きかったとされている。(たとえばFateシリーズに大きな影響を与えた「魔界転生」でも両者が対立している場面がある)
 
:『Fate/Samurai Remnant』での「宗矩を越えたい」という意識もそのあたりの事情から来ているものと思われる。そして『Fate/Samurai Remnant』で出会った「柳生宗矩」が「柳生家を継がず影の立場である裏柳生の総帥となった宗矩」であったのは何とも皮肉である。
 
:『Fate/Samurai Remnant』での「宗矩を越えたい」という意識もそのあたりの事情から来ているものと思われる。そして『Fate/Samurai Remnant』で出会った「柳生宗矩」が「柳生家を継がず影の立場である裏柳生の総帥となった宗矩」であったのは何とも皮肉である。
  
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