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;世界三大美女
;世界三大美女
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:日本では世界三大美女の一人とされる彼女だが、[[クレオパトラ#メモ|クレオパトラのメモの項]]にもある通り、世界的には彼女の代わりにギリシャ神話のヘレネーがカウントされる。……とはいえ、巷でまことしやかに語られている「世界三大美女」という概念自体が、そもそも存在しないとも言われる。
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:日本では世界三大美女の一人とされる彼女だが、巷でまことしやかに語られている「世界三大美女」という概念自体が、そもそも世界的に存在しないとも言われる。
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:これは身も蓋もない言い方をすれば、美女に限らず「三大○○」と呼ばれるべき確固たる根拠自体が存在しないということではあるが、ある大学の研究<ref group ="出">[https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0508_00096.html 東京大学 『世界三大美人言説から見えてくる人々の「認識」の作られ方 小野小町は本当に美人だったのか』]</ref>によると、なぜクレオパトラや[[楊貴妃]]と並べられているかについては、この概念が発生したと思われる明治中期において「女性の美醜」を論じる一例として新聞の社説に挙がったに過ぎず、いずれも悲劇的な最期を遂げているという共通点から並べやすかったのではないかと考察されている。また、その社説にすら『容姿をめぐる価値観は多様で、美人の誉れ高い小町たちのことを、それほどでもないと思う人もいるだろう』とある。
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:これは身も蓋もない言い方をすれば、美女に限らず「三大○○」と呼ばれるべき確固たる根拠自体が存在しないということではあるが、ある大学の研究<ref group ="出">[https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0508_00096.html 東京大学 『世界三大美人言説から見えてくる人々の「認識」の作られ方 小野小町は本当に美人だったのか』]</ref>によると、なぜ[[クレオパトラ]]や[[楊貴妃]]と並べられているかについては、この概念が発生したと思われる明治中期において「女性の美醜」を論じる一例として新聞の社説に挙がったに過ぎず、いずれも悲劇的な最期を遂げているという共通点から並べやすかったのではないかと考察されている。また、その社説にすら『容姿をめぐる価値観は多様で、美人の誉れ高い小町たちのことを、それほどでもないと思う人もいるだろう』とある。
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:もっとも「三大○○」という概念がある理由はまた別の話で、数字の3に対する縁起、ゲン担ぎという文化的な要因があるという見方がされている。
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:さらに踏み込むと、世界三大美女として小町が挙げられた当時の世相も絡んでいる。同一の研究者によるレポートに詳しいので、興味がある人は調べてみよう。
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:もっとも「三大○○」という概念がある理由はまた別の話で、数字の3に対する縁起、ゲン担ぎという日本の文化的な要因があるという見方がされている。「三大○○」自体がなかなか流動的であるフレーズのためか後年では[[虞美人]]や[[マリー・アントワネット]]、さらには神話の人物であるヘレネーまでもがカウントされるようになっている。
:いずれにしても、現代の三大美女は日本独自のものと解釈すべきだろう。
:いずれにしても、現代の三大美女は日本独自のものと解釈すべきだろう。