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*「クレオパトラの鼻がもう少し短かったら歴史は変わっていた」というよく聞くフレーズは17世紀フランスの哲学者パスカルの例え話だが、この時代のヨーロッパでは既に、クレオパトラが色香によってカエサルやアントニウスを誘惑し堕落させたという、いわゆる「傾国の美女」イメージが広く流布していた。
 
*「クレオパトラの鼻がもう少し短かったら歴史は変わっていた」というよく聞くフレーズは17世紀フランスの哲学者パスカルの例え話だが、この時代のヨーロッパでは既に、クレオパトラが色香によってカエサルやアントニウスを誘惑し堕落させたという、いわゆる「傾国の美女」イメージが広く流布していた。
 
*「エジプトの女王」というイメージから絵画や映像では褐色の肌に黒髪ストレートのエキゾチックな容貌に描かれがちだが、プトレマイオス王朝はギリシャ人の家系であり、同時代の肖像画にも巻き毛などヨーロッパ系人種の特徴を持ったクレオパトラ像が残る。いかにもファラオらしい黒髪おかっぱの肖像も存在するが、あれは暑さ対策のカツラである(クレオパトラの時代に限らない)と言われている。
 
*「エジプトの女王」というイメージから絵画や映像では褐色の肌に黒髪ストレートのエキゾチックな容貌に描かれがちだが、プトレマイオス王朝はギリシャ人の家系であり、同時代の肖像画にも巻き毛などヨーロッパ系人種の特徴を持ったクレオパトラ像が残る。いかにもファラオらしい黒髪おかっぱの肖像も存在するが、あれは暑さ対策のカツラである(クレオパトラの時代に限らない)と言われている。
**クレオパトラという名もギリシャ系の女性名であり、有名なところで言えば[[イスカンダル]]の同母妹もクレオパトラという名である。彼女は母方の叔父であるエペイロス王アレクサンドロスの妃となっていた(この二人の結婚式で父であるフィリッポスⅡ世の暗殺事件が起きた)が夫がイタリア遠征の中途で病没したため早くにマケドニアに戻っており、兄の死後勃発したディアドコイ戦争のさなか、大王の後継者としての正当性を得ようとしたプトレマイオスⅠ世の求婚を受け、これに応えようとエジプトへ向かったもののプトレマイオスの政敵アンティゴノスにより暗殺され、イスカンダルの血を引くエジプト王朝は夢と潰えた。
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**クレオパトラという名もギリシャ系の女性名であり、有名なところで言えば[[イスカンダル]]の同母妹もクレオパトラという名である。彼女に対してはディアドコイ戦争のさなか(大王の後継者としての正当性を得ようという理由からではあるが)プトレマイオスⅠ世が求婚しており、結局は政敵アンティゴノスによる横槍が入って無に帰したが、仮に実現していればプトレマイオス王朝のクレオパトラⅠ世は彼女であったはずだった(プトレマイオス王朝ではそれ以前のエジプト王朝に倣い、王妃=女王との共同統治体制をとっている)。
 
*クレオパトラ7世がいる以上、当然だが1世から6世も存在した。クレオパトラ1世はシリア王アンティオコス3世の娘で、ローマの仲介でエジプトとシリアが和解した際にプトレマイオス5世の后としてエジプトに嫁いできた。
 
*クレオパトラ7世がいる以上、当然だが1世から6世も存在した。クレオパトラ1世はシリア王アンティオコス3世の娘で、ローマの仲介でエジプトとシリアが和解した際にプトレマイオス5世の后としてエジプトに嫁いできた。
 
*クレオパトラをテーマにした映画はいくつかあるが、1963年に20世紀フォックスが制作した作品が良くも悪くも有名である。
 
*クレオパトラをテーマにした映画はいくつかあるが、1963年に20世紀フォックスが制作した作品が良くも悪くも有名である。
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