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: 召喚した際、アサシンへの返答。<br>従えるにはあまりに危険な毒婦に対し、彼はただその意思を告げる。
 
: 召喚した際、アサシンへの返答。<br>従えるにはあまりに危険な毒婦に対し、彼はただその意思を告げる。
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; 「行こう、アサシン。あの悲劇は繰り返さない。大聖杯は―――俺たちのものだ」
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; 「行こう、アサシン。あの悲劇は繰り返さない。<br> 大聖杯は―――俺たちのものだ」
 
: 宝具の起動時の台詞。<br>少年の頃に抱いた思いを胸に秘め、決意を籠めた眼差しで高く透明な天を見上げる。
 
: 宝具の起動時の台詞。<br>少年の頃に抱いた思いを胸に秘め、決意を籠めた眼差しで高く透明な天を見上げる。
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;「もしも、私の計画が神に背くモノであれば。私はこの戦場で必ずや討ち果たされるでしょう。<br> 不幸にもサーヴァントと戦って死ぬか、あるいは油断してゴーレムやホムンクルスに殺される。ひょっとすると、味方の宝具に巻き込まれるかもしれない。<br> もし、そうなら粛々と死を受け入れましょう。神は私を許さなかった。それはそれで、致し方のないことです。ですが、もし——<br> もし、何もかも上手くいったのであれば。それは神が俺の行いを赦されるということだ。<br> 全ての人間を慈しみ……そして、癒すために、あの大聖杯を欲するという俺の願いが正しいということ。<br> それさえ分かれば、もう迷うことは無い。決して裏切ってはならぬモノまで裏切った甲斐があったというものだ」
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;「もしも、私の計画が神に背くモノであれば。私はこの戦場で必ずや討ち果たされるでしょう。<br> 不幸にもサーヴァントと戦って死ぬか、あるいは油断してゴーレムやホムンクルスに殺される。<br> ひょっとすると、味方の宝具に巻き込まれるかもしれない。<br> もし、そうなら粛々と死を受け入れましょう。神は私を許さなかった。<br> それはそれで、致し方のないことです。ですが、もし——<br> もし、何もかも上手くいったのであれば。それは神が俺の行いを赦されるということだ。<br> 全ての人間を慈しみ……そして、癒すために、あの大聖杯を欲するという俺の願いが正しいということ。<br> それさえ分かれば、もう迷うことは無い。決して裏切ってはならぬモノまで裏切った甲斐があったというものだ」
 
:アサシンに語った、「自ら死地に赴く」事の理由。<br>静かだが、他者のは理解できない尋常ではない強迫観念に囚われており、迷わぬという意思を固めるための儀式でもあった。
 
:アサシンに語った、「自ら死地に赴く」事の理由。<br>静かだが、他者のは理解できない尋常ではない強迫観念に囚われており、迷わぬという意思を固めるための儀式でもあった。
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*名前といい、容姿といい、[[アーチャー|とある正義の味方]]や[[言峰綺礼|黒い神父]]を思わせる。両者との繋がりは不明だったが、2巻にて、「コトミネ」という名前は前回の聖杯戦争で生き残った監督官の'''言峰'''という神父に養子にしてもらったときにもらった名前だということが判明した。<br>また、その神父はすでに死亡しており、義理の兄弟にあたる人物とは大した交流がないらしい。作中の時系列から考えてその神父とは恐らく[[言峰璃正|彼]]だと考えられる。その人物の養子ということは……。
 
*名前といい、容姿といい、[[アーチャー|とある正義の味方]]や[[言峰綺礼|黒い神父]]を思わせる。両者との繋がりは不明だったが、2巻にて、「コトミネ」という名前は前回の聖杯戦争で生き残った監督官の'''言峰'''という神父に養子にしてもらったときにもらった名前だということが判明した。<br>また、その神父はすでに死亡しており、義理の兄弟にあたる人物とは大した交流がないらしい。作中の時系列から考えてその神父とは恐らく[[言峰璃正|彼]]だと考えられる。その人物の養子ということは……。
 
*正体が判明して「'''シロウってそっちのシロウかよ'''」と驚愕した読者は少なくない。
 
*正体が判明して「'''シロウってそっちのシロウかよ'''」と驚愕した読者は少なくない。
*勝負を決めにいってからは、『神秘の秘匿』は完全に放棄しており、自分の野望を叶えるために行動している。<br>また魔術協会から派遣したマスター達を傀儡とし、彼らの触媒を奪うという行動は、協会からすればユグドミレニア以上に許されないものである。<br>「ユグドミレニアの反乱を抑える力もない協会など最早、恐れる必要もない」と聖堂教会が考えていると見做されかねず、経歴不確かな者を大事な戦いの監督役として送り込んだ事と言い、ただでさえユグドミレニアの離反によって緊迫している状況下でこのような挑発的な行動や不祥事が発生したため、事実が判明すれば魔術協会と聖堂教会の戦争が始まっても何らおかしくない。
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*勝負を決めにいってからは、『神秘の秘匿』は'''完全に放棄'''しており、自分の野望を叶えるために行動している。<br>また魔術協会から派遣したマスター達を傀儡とし、彼らの触媒を奪うという行動は、協会からすればユグドミレニア以上に許されないものである。<br>「ユグドミレニアの反乱を抑える力もない協会など最早、恐れる必要もない」と聖堂教会が考えていると見做されかねず、経歴不確かな者を大事な戦いの監督役として送り込んだ事と言い、ただでさえユグドミレニアの離反によって緊迫している状況下でこのような挑発的な行動や不祥事が発生したため、事実が判明すれば魔術協会と聖堂教会の戦争が始まっても何らおかしくない。
 
*[[ルーラー]]とは同じ『キリスト教の信者』であり、『奇跡を起こしたと言われる神童』であり、『同志達のために戦った英雄』でもあった。世界三大聖旗の所有者同士でもある。
 
*[[ルーラー]]とは同じ『キリスト教の信者』であり、『奇跡を起こしたと言われる神童』であり、『同志達のために戦った英雄』でもあった。世界三大聖旗の所有者同士でもある。
 
**しかし死後に名誉回復されて聖人となったジャンヌ・ダルクとは異なり、彼は殉教者としてすら扱われていない(島原の乱には豊臣家残党の反乱という面もあったため)。
 
**しかし死後に名誉回復されて聖人となったジャンヌ・ダルクとは異なり、彼は殉教者としてすら扱われていない(島原の乱には豊臣家残党の反乱という面もあったため)。
 
*傀儡とした赤のマスター達に対し、まるで下僕のように振舞っている。彼らの自由意志を完全に奪わずに、そのように振舞っているのは、赤のランサーの真偽感知を誤魔化すためであった。
 
*傀儡とした赤のマスター達に対し、まるで下僕のように振舞っている。彼らの自由意志を完全に奪わずに、そのように振舞っているのは、赤のランサーの真偽感知を誤魔化すためであった。
 
*一応彼が傀儡としたマスター達にもデザインは用意されていたようで、TYPE-MOONエースでの対談で、「皆ばらばらの格好で、伝統派というよりも映画「エクスペンダブルズ」っぽさが漂っている」と評されている。
 
*一応彼が傀儡としたマスター達にもデザインは用意されていたようで、TYPE-MOONエースでの対談で、「皆ばらばらの格好で、伝統派というよりも映画「エクスペンダブルズ」っぽさが漂っている」と評されている。
**赤のサーヴァント達の存在が一時急激に弱まったので、マスター権を渡してしまった彼らはシロウに殺されてしまったと思われる。……余りにあっけない最後だが、神父に騙されて本編未登場のままフェードアウトした伝承保菌者で[[バゼット・フラガ・マクレミッツ|凄腕の封印指定執行者]]がいるため仕方ないのかもしれない。
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**赤のサーヴァント達の存在が一時急激に弱まったので、マスター権を渡してしまった彼らはシロウに殺されてしまったと思われる。<br>……余りにあっけない最後だが、神父に騙されて本編未登場のままフェードアウトした伝承保菌者で[[バゼット・フラガ・マクレミッツ|凄腕の封印指定執行者]]がいるため仕方ないのかもしれない。
**ただでさえ登場人物が通常の聖杯戦争より多いので、メタ的に言って、マスターの数を減らして彼に一本化したい東出氏の都合もあるのかもしれない。
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**ただでさえ登場人物が通常の聖杯戦争より多いので、メタ的に言って、'''マスターの数を減らして彼に一本化したい'''という東出氏の都合もあるのかもしれない。
 
*冬木の聖杯は、その魔術基盤がアインツベルン由来のものであるため、基本的に「西洋圏由来の英霊」しか喚べないはずである。<br>日本由来の英霊である彼が喚ばれるのは本来あり得ないことだが、ルーラーはこうした点でも例外ということなのかもしれない。
 
*冬木の聖杯は、その魔術基盤がアインツベルン由来のものであるため、基本的に「西洋圏由来の英霊」しか喚べないはずである。<br>日本由来の英霊である彼が喚ばれるのは本来あり得ないことだが、ルーラーはこうした点でも例外ということなのかもしれない。
 
**或いは、聖堂教会の宗教に深い縁を持つ英霊であるが故に「西洋圏(文化)由来の英霊」という条件が適用出来たとも考えられる。
 
**或いは、聖堂教会の宗教に深い縁を持つ英霊であるが故に「西洋圏(文化)由来の英霊」という条件が適用出来たとも考えられる。
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== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==
 
;キリシタン弾圧
 
;キリシタン弾圧
:いわゆる、バテレン追放令などのキリシタン弾圧を初めて行ったのが豊臣秀吉であり、その政策は徳川家康に引き継がれることになる。秀吉や家康がキリシタン弾圧を推し進めたのは、織田信長の元で一向一揆の脅威に晒された事がその根底にある。『宗教』という『怪物』に支配された民衆がどれほど恐ろしいかを2人は身をもって経験しており、政権を握ると信長が段階的に行ってきた政教分離政策を更に加速させていく事となる。<br>しかし、イエズス会によって日本にもたらされたキリスト教はこの政策に中々従おうとせず(当時の欧州ではバチカンの法王の権威は、各国の国王より上位だった)、しかもキリスト教に帰依した大名達も秀吉に反発する有様であった。<br>秀吉は、この原因はキリスト教にあると判断し、バテレン追放令に代表されるキリシタン弾圧を開始する。一方、日本にいた宣教師達はこの事件に驚愕し、当時、欧州最強国であったイスパニアの国王フェリペ2世に無敵艦隊の出動を手紙で要請した程である(もっとも、その内容といえば'''「5万の兵力もあれば九州ぐらいは簡単に制圧できる」'''というご都合主義満載の代物(秀吉がバテレン追放令を出した当時、'''肝心の無敵艦隊はドレイクにフルボッコにされた後だった上に、九州には朝鮮出兵の為に30万を超える兵力が集結しており、5万程度の兵力では瞬殺されるのは確実である''')であり、宣教師達がいかに国王というものを軽視していたかが伺える)。<br>弾圧の内容は過酷を極めたものだったが、この政策が結果として日本の植民地化を防ぐ事となる。
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:いわゆる、バテレン追放令などのキリシタン弾圧を初めて行ったのが豊臣秀吉であり、その政策は徳川家康に引き継がれることになる。秀吉や家康がキリシタン弾圧を推し進めたのは、織田信長の元で一向一揆の脅威に晒された事がその根底にある。『宗教』という『怪物』に支配された民衆がどれほど恐ろしいかを2人は身をもって経験しており、政権を握ると信長が段階的に行ってきた政教分離政策を更に加速させていく事となる。<br>しかし、イエズス会によって日本にもたらされたキリスト教はこの政策に中々従おうとせず(当時の欧州ではバチカンの法王の権威は、各国の国王より上位だった)、しかもキリスト教に帰依した大名達も秀吉に反発する有様であった。<br>秀吉は、この原因はキリスト教にあると判断し、バテレン追放令に代表されるキリシタン弾圧を開始する。一方、日本にいた宣教師達はこの事件に驚愕し、当時、欧州最強国であったイスパニアの国王フェリペ2世に無敵艦隊の出動を手紙で要請した程である。<br>もっとも、その内容といえば'''「5万の兵力もあれば九州ぐらいは簡単に制圧できる」'''というご都合主義満載の代物(秀吉がバテレン追放令を出した当時、'''肝心の無敵艦隊は[[ライダー (EXTRA)|フランシス・ドレイク]]にフルボッコにされた後だった上に、九州には朝鮮出兵の為に30万を超える兵力が集結しており、5万程度の兵力では瞬殺されるのは確実である''')であり、宣教師達がいかに国王というものを軽視していたかが伺える)。<br>弾圧の内容は過酷を極めたものだったが、この政策が結果として日本の植民地化を防ぐ事となる。
 
::近年の史料では、フェリペ2世は本気で無敵艦隊の派遣を検討していたらしい事が判明している。もっとも実現していた場合、5万人の輸送コストだけで国家財政が破綻しただろう(現在でも5万人の人間を船舶のみで輸送するには、莫大な費用が掛かる)。
 
::近年の史料では、フェリペ2世は本気で無敵艦隊の派遣を検討していたらしい事が判明している。もっとも実現していた場合、5万人の輸送コストだけで国家財政が破綻しただろう(現在でも5万人の人間を船舶のみで輸送するには、莫大な費用が掛かる)。
    
;島原の乱
 
;島原の乱
:三代将軍・徳川家光の治世の時に発生した、大阪の陣以降では初の大規模騒乱。一般には天草・島原藩によるキリシタン弾圧に反発した人々の騒乱という認識が広まっているが、実際は過重な年貢の取りたてが根本原因であり、キリシタンの反攻は2の次だった。<br>当時、島原藩を統治していた松倉勝家の治世は残虐を極め、多くの農民が暴政に苦しんでいた。『黒田長興一世之記』という記録によれば、1637年10月、年貢が支払えない庄屋の身重の妻が役人に捕らわれ、裸で水牢に入れられた。庄屋では年貢の支払いに知恵を絞るも払えるものはもう何もなく、6日後、妻は出産した子供と共に命を落とした。こういった暴虐に耐えかねた人々は同年10月25日に代官を殺害して蜂起、これが島原の乱の始まりである。<br>一揆軍は当初こそ優勢であったものの、九州諸藩の討伐軍が島原に進軍してくるに従って追い詰められていき、島原半島南部にあった原城に立て篭もる。その数は3万7千人にも及び、更に各地から奪った鉄砲などで武装するなど原城の防備を固めた。<br>幕府はまず九州諸藩の討伐軍のみで対処しよとするも、総大将に任じられた板倉重昌に討伐軍を統率するだけの力量が無く、攻撃は全て失敗。遂には重昌が戦死する事態となってしまう。驚愕した幕府は「知恵伊豆」と呼ばれた老中・松平信綱を総大将として派遣。援軍を得た討伐軍は12万を数えたという。<br>信綱は無理な攻城は行わず、情報収集や矢文で投降を呼びかけるなどの心理戦を展開。更に一揆軍の食料が残り少ないと見て取ると、兵糧攻めにして一揆軍の弱体化を計った。篭城戦が始まった3ヵ月後の1638年2月27日、遂に総攻撃を開始、兵糧攻めで武器・食料を失っていた一揆軍は総崩れとなり、乱は鎮圧された。なお、立て篭もった3万7千人全員が討ち取られたとされているが、最近の史料では1万人ほどが投降・脱出するなどして命を失わなかったと言われている。<br>乱の鎮圧後、松倉勝家は暴政によって騒乱を招いた責任を問われて改易された上に江戸に罪人として送られ、1638年8月、斬首刑となった。大名が切腹ではなく斬首となったのは後にも先にもこの時だけであり、さすがの幕府も勝家の暴政を重罪と見なした事が伺える。
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:三代将軍・徳川家光の治世の時に発生した、大阪の陣以降では初の大規模騒乱。一般には天草・島原藩によるキリシタン弾圧に反発した人々の騒乱という認識が広まっているが、実際は過重な年貢の取りたてが根本原因であり、キリシタンの反攻は2の次だった。<br>当時、島原藩を統治していた松倉勝家の治世は残虐を極め、多くの農民が暴政に苦しんでいた。『黒田長興一世之記』という記録によれば、1637年10月、年貢が支払えない庄屋の身重の妻が役人に捕らわれ、裸で水牢に入れられた。庄屋では年貢の支払いに知恵を絞るも払えるものはもう何もなく、6日後、妻は出産した子供と共に命を落とした。<br>こういった暴虐に耐えかねた人々は同年10月25日に代官を殺害して蜂起、これが島原の乱の始まりである。<br>一揆軍は当初こそ優勢であったものの、九州諸藩の討伐軍が島原に進軍してくるに従って追い詰められていき、島原半島南部にあった原城に立て篭もる。その数は3万7千人にも及び、更に各地から奪った鉄砲などで武装するなど原城の防備を固めた。<br>幕府はまず九州諸藩の討伐軍のみで対処しよとするも、総大将に任じられた板倉重昌に討伐軍を統率するだけの力量が無く、攻撃は全て失敗。遂には重昌が戦死する事態となってしまう。驚愕した幕府は「知恵伊豆」と呼ばれた老中・松平信綱を総大将として派遣。援軍を得た討伐軍は12万を数えたという。<br>信綱は無理な攻城は行わず、情報収集や矢文で投降を呼びかけるなどの心理戦を展開。更に一揆軍の食料が残り少ないと見て取ると、兵糧攻めにして一揆軍の弱体化を計った。篭城戦が始まった3ヵ月後の1638年2月27日、遂に総攻撃を開始、兵糧攻めで武器・食料を失っていた一揆軍は総崩れとなり、乱は鎮圧された。<br>なお、立て篭もった3万7千人全員が討ち取られたとされているが、最近の史料では1万人ほどが投降・脱出するなどして命を失わなかったと言われている。乱の鎮圧後、松倉勝家は暴政によって騒乱を招いた責任を問われて改易された上に江戸に罪人として送られ、1638年8月、斬首刑となった。大名が切腹ではなく斬首となったのは後にも先にもこの時だけであり、さすがの幕府も勝家の暴政を重罪と見なした事が伺える。
    
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