: 一方で、江戸時代の東北では熊野詣が盛んであり、旅の宿が置かれた鈴鹿峠の宿場から、東北ゆかりの田村麻呂の登場する『鈴鹿の草子』などが広まった。これら御伽草子が東北各地に残る田村麻呂伝承と混じって奥浄瑠璃『田村三代記』として成立する。『田村三代記』では、天竺から日本を転覆させるために伊勢鈴鹿山に来た'''第六天魔王の娘・立烏帽子'''として登場する。立烏帽子と同格の鬼神という陸奥の大嶽丸と連合されると大変であると、朝廷は田村将軍を討伐に向かわせるものの、田村将軍は16,7歳の立烏帽子を討てず、逆に立烏帽子から田村将軍の祖父初代田村は妖星で、祖父が龍の化身と交わり生まれたのが二代田村であり、その父が奥州の鬼である悪玉姫と交わり生まれたのが三代田村将軍である、という三代に渡る出自を告げられる。立烏帽子は田村三代こそ日本の悪魔を鎮める観音の再来であり、自身も大嶽丸に何度も手紙を無視されたから倒したいが、女であるため男がいないと無理である、ならば日本の悪魔を共に倒そうと言い二人は契りを交わし、立烏帽子は鈴鹿御前と呼ばれるようになる。近江の高丸に常陸鹿島まで逃げられた際は神通力で飛ぶ光輪車で移動し、十二の星を降らせ星の舞をさせ利仁の放った矢を千の矢に変え降らせたなど、その後も大嶽丸討伐まで魔王の娘として大活躍する。 | : 一方で、江戸時代の東北では熊野詣が盛んであり、旅の宿が置かれた鈴鹿峠の宿場から、東北ゆかりの田村麻呂の登場する『鈴鹿の草子』などが広まった。これら御伽草子が東北各地に残る田村麻呂伝承と混じって奥浄瑠璃『田村三代記』として成立する。『田村三代記』では、天竺から日本を転覆させるために伊勢鈴鹿山に来た'''第六天魔王の娘・立烏帽子'''として登場する。立烏帽子と同格の鬼神という陸奥の大嶽丸と連合されると大変であると、朝廷は田村将軍を討伐に向かわせるものの、田村将軍は16,7歳の立烏帽子を討てず、逆に立烏帽子から田村将軍の祖父初代田村は妖星で、祖父が龍の化身と交わり生まれたのが二代田村であり、その父が奥州の鬼である悪玉姫と交わり生まれたのが三代田村将軍である、という三代に渡る出自を告げられる。立烏帽子は田村三代こそ日本の悪魔を鎮める観音の再来であり、自身も大嶽丸に何度も手紙を無視されたから倒したいが、女であるため男がいないと無理である、ならば日本の悪魔を共に倒そうと言い二人は契りを交わし、立烏帽子は鈴鹿御前と呼ばれるようになる。近江の高丸に常陸鹿島まで逃げられた際は神通力で飛ぶ光輪車で移動し、十二の星を降らせ星の舞をさせ利仁の放った矢を千の矢に変え降らせたなど、その後も大嶽丸討伐まで魔王の娘として大活躍する。 |