61行目: |
61行目: |
| | | |
| ==真名:宝蔵院胤舜== | | ==真名:宝蔵院胤舜== |
− | 宝蔵院槍術二代目であり、その技、神仏に達すると謳われた男。俗名は満田源之助。 | + | :宝蔵院槍術二代目であり、その技、神仏に達すると謳われた男。俗名は満田源之助。 |
− | 宝蔵院の継承者として、宝蔵院流槍術開祖胤栄に槍術や僧としての教えを受ける。当時、すでに胤栄によって宝蔵院の槍術は世間に知れ渡っていた。 | + | :宝蔵院の継承者として、宝蔵院流槍術開祖胤栄に槍術や僧としての教えを受ける。当時、すでに胤栄によって宝蔵院の槍術は世間に知れ渡っていた。 |
− | これまでのただ突きを行うだけだった素槍を改良して、突きに加えて斬り、払い、打ちを可能にした画期的な十文字槍を産みだしたのが、この胤栄だったからだ。 | + | :これまでのただ突きを行うだけだった素槍を改良して、突きに加えて斬り、払い、打ちを可能にした画期的な十文字槍を産みだしたのが、この胤栄だったからだ。 |
| | | |
− | しかし、胤栄は槍を捨てた。 | + | :しかし、胤栄は槍を捨てた。 |
− | 「私に仕える者が槍術を学ぶは、本意ではない」
| + | :「私に仕える者が槍術を学ぶは、本意ではない」「私に仕えるならば、槍を捨てるべきである」 |
− | 「私に仕えるならば、槍を捨てるべきである」
| + | :後継者である胤舜にもそう申し送り、彼は八十七歳で入寂した。 |
− | 後継者である胤舜にもそう申し送り、彼は八十七歳で入寂した。 | |
| | | |
− | だが、胤舜は槍術を諦めなどせず、宝蔵院たる者、仏の道と槍の道双方を歩むべしと、胤栄の死後になって宝蔵院流槍術を復興させた。 | + | :だが、胤舜は槍術を諦めなどせず、宝蔵院たる者、仏の道と槍の道双方を歩むべしと、胤栄の死後になって宝蔵院流槍術を復興させた。 |
| | | |
| ===関連=== | | ===関連=== |