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164 バイト追加 、 2014年7月21日 (月) 02:22
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*本来は聖職者だが、近年ではスピンオフ作品で接客業・販売業・飲食業などの商売人としての活躍も目立つ。どれもこれも胡散臭さは付きまとうものの、これだけ手広くやっているとなると意外にも性に合っている……のかもしれない。
 
*本来は聖職者だが、近年ではスピンオフ作品で接客業・販売業・飲食業などの商売人としての活躍も目立つ。どれもこれも胡散臭さは付きまとうものの、これだけ手広くやっているとなると意外にも性に合っている……のかもしれない。
 
*Fate/Zeroの裏主人公で、ギルガメッシュと並んで虚淵氏の最愛キャラ。ぶっちゃけZero書きたい欲求の7割は言峰だったかもしれないらしい。<br>SNで言峰が持ってる「悟りと余裕」を剥奪し「迷いと葛藤」を付加したのがZeroにおける言峰のキャラ設定。
 
*Fate/Zeroの裏主人公で、ギルガメッシュと並んで虚淵氏の最愛キャラ。ぶっちゃけZero書きたい欲求の7割は言峰だったかもしれないらしい。<br>SNで言峰が持ってる「悟りと余裕」を剥奪し「迷いと葛藤」を付加したのがZeroにおける言峰のキャラ設定。
*ZeroとSNで第四次聖杯戦争以前のことについての回想が異なるが、『Fate/Zero material』によるとこれはまだSNの頃のような悟りと余裕がなく、迷いと葛藤から自らを内省するにあたって、かなり過去の記憶や事実関係(奥さんに関する記憶はその最たるもの)をねじ曲げて語っているため。そのため10年後の達観した自己分析のほうが的を射ているとされる。実際Zeroの作中で死別した奥さんのことを思い出そうとすると立ち眩みのような感覚に陥り靄がかかるように思考が散漫になるなど、明らかに異常な反応を示しているシーンもある。これらを踏まえて言峰の内面の経歴を辿るなら生まれてから健やかに成長し、父の語る“美しいもの”がなんであるかわからず父を愛せないながらも、父の期待に答えるために道徳と良識を学ぶ<br>→ある日の朝、父が美しくあれと祈って付けた綺礼という名を一度たりとも美しく感じたことがないと気付いたことで、自分が美しいと感じるもののと周囲との齟齬を理解し、人並みの事柄で幸福を得られない自分を人並みに戻し救おうと、神への信仰や様々な功徳や苦行を行う<br>→10年に渡る試みの中で得られたのは自分には生まれつき“人並みの幸福実感”がなく、“他者の苦しみ”に勝る悦びが見いだせないという結論と、それに伴う自分のような人間が存在することへの“なぜ”という疑問だけ<br>→“生まれながら欠陥している”という事実を受け入れた後、それを克服するためのあらゆる努力の中で最後の試みとして人並みの幸福を得ようと、一人の女を愛そうと考えた<br>→妻との生活は二年に渡り、子もできたが言峰にとっての幸福は女の苦しみ、我が子の絶望だった。愛そうとすればするほど愛する者の苦しみだけが救いであり、そんな自分を女が癒そうとすればするほどこの女の嘆きが見たいと思う自分がいるだけ。妻ほど自分を理解し癒そうとする人間はこの先現れないだろう、そんな妻でも癒せないなら、もはや生きて是非を問うまでもないと、自分の誕生は間違いだったとして自害を決める<br>→自分の試みのために妻とした義務として命を断つ前に別れを告げに行くが、言峰を理解していた妻は言峰は人を愛せ生きる価値があると証明するために自ら命を断つが、その時言峰が思ったのは女の死を愉しめなかった、という損得の悲しみだけだった<br>→この妻の死とその時に感じた感情から、自分は救われないだけでなく、妻の献身と死も無意味にしたことを悟るが、当時の言峰はそれを受け止められず、妻に関する記憶を“妻も自分の人格の欠落を理解していなかった”ことにする、妻にも感じてしまっていた“他者の苦しみの悦び”とする自身の性質を忘れるなど、自分の本性から意識的・無意識的両面で目を背け遠ざけるようになる。<br>→その少し後に令呪が現れたことでZeroにおける“人並みの幸福実感”を得られないか試行錯誤しつつも父の要請に従っての第四次聖杯戦争と、その経歴から空虚な徒労を繰り返した果てに答えを得たと予想した衛宮切嗣ならば、自分が抱き続ける“なぜ”という疑問への答えを出せるのではないかと期待する<br>→その中で英雄王ギルガメッシュと出会い、彼から自分が他人の不幸を愉悦としていることを指摘され、そしてその悦を自ら進んで行うことを教唆されたことで、目を背け忘れていた己の悪性と、改めようとするだけだったかつてとは違った形で再び対峙することになる<br>→自分から意欲的に人の不幸を作り味わうというこれまでの人生で始めての経験と満足感、衛宮切嗣が自分が求めていた人並みの幸せを無価値とする男だったことへの憎悪、冬木大火災の地獄絵図の光景を見たことで感じた至上の幸福感を味わうことで開花、単に“他者の苦しみ”だけにしか幸福感を得られないというだけでなく、それを至福と感じる自分の本性を完全に自覚し、SNのような悟りと余裕を得ると共に何故自分のような存在が生まれたかという過程への問いも明確化する<br>→人並みに愛情は持てずとも、物事を美しいと感じる事はできる。基準は違うが、愛情という物がある事に変わりはないとして、周囲との齟齬がある自分を許す必要がなくなったことで自分への達観した自己分析も行えるようになり、過去も正確に受け止められるようになるが、妻の死が無意味であっても無価値にすることを嫌い妻の死の際に感じたモノが快楽によるものか悲哀なのかだけは意識的に答えを出すことを止めている<br>のような感じになると思われる。迷いながらもそれ相応に淡々と進んでいた人生が妻の死の辺りで大きく変動する辺り、言峰の妻への複雑な想いが見て取れる。
      
== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==
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*TYPE-MOONエース VOL.8の質問コーナーにて、クラウディアという名前と判明。
 
*TYPE-MOONエース VOL.8の質問コーナーにて、クラウディアという名前と判明。
 
*『Zero』当時24歳と推測されていたが、Q&Aにて28歳に変更された模様。
 
*『Zero』当時24歳と推測されていたが、Q&Aにて28歳に変更された模様。
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;綺礼の懊悩と悟り
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:『Zero』と『stay night』で第四次聖杯戦争以前のことについての回想が異なるが、『Fate/Zero material』によると、『Zero』当時はまだ『stay night』の時のような悟りと余裕がなく、迷いと葛藤から自らを内省するにあたって、かなり過去の記憶や事実関係(奥さんに関する記憶はその最たるもの)をねじ曲げて語っており、そのため10年後の達観した自己分析のほうが的を射ている、とされる。
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:実際『Zero』の作中で死別した奥さんのことを思い出そうとすると立ち眩みのような感覚に陥り靄がかかるように思考が散漫になるなど、明らかに異常な反応を示しているシーンもある。
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:これらを踏まえて言峰の内面の経歴を辿るなら――
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::1. 生まれてから健やかに成長し、父の語る「美しいもの」がなんであるかわからず父を愛せないながらも、父の期待に答えるために道徳と良識を学ぶ。
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::2. ある日の朝、父が美しくあれと祈って付けた綺礼という名を一度たりとも美しく感じたことがないと気付いたことで、自分が美しいと感じるもののと周囲との齟齬を理解し、人並みの事柄で幸福を得られない自分を人並みに戻し救おうと、神への信仰や様々な功徳や苦行を行う。
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::3. 10年に渡る試みの中で得られたのは自分には生まれつき「人並みの幸福実感」がなく、「他者の苦しみ」に勝る悦びが見いだせないという結論と、それに伴う自分のような人間が存在することへの「なぜ」という疑問だけ。
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::4. 「生まれながら欠陥している」という事実を受け入れた後、それを克服するためのあらゆる努力の中で最後の試みとして人並みの幸福を得ようと、一人の女を愛そうと考えた。
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::5. 妻との生活は二年に渡り、子もできたが言峰にとっての幸福は女の苦しみ、我が子の絶望だった。愛そうとすればするほど愛する者の苦しみだけが救いであり、そんな自分を女が癒そうとすればするほどこの女の嘆きが見たいと思う自分がいるだけ。妻ほど自分を理解し癒そうとする人間はこの先現れないだろう、そんな妻でも癒せないなら、もはや生きて是非を問うまでもないと、自分の誕生は間違いだったとして自害を決める。
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::6. 自分の試みのために妻とした義務として命を断つ前に別れを告げに行くが、言峰を理解していた妻は言峰は人を愛せ生きる価値があると証明するために自ら命を断つが、その時言峰が思ったのは女の死を愉しめなかった、という損得の悲しみだけだった。
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::7. この妻の死とその時に感じた感情から、自分は救われないだけでなく、妻の献身と死も無意味にしたことを悟るが、当時の言峰はそれを受け止められず、妻に関する記憶を「妻も自分の人格の欠落を理解していなかった」ことにする、妻にも感じてしまっていた「他者の苦しみの悦び」とする自身の性質を忘れるなど、自分の本性から意識的・無意識的両面で目を背け遠ざけるようになる。
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::8. その少し後に令呪が現れたことで『Zero』における「人並みの幸福実感」を得られないか試行錯誤しつつも父の要請に従っての第四次聖杯戦争と、その経歴から空虚な徒労を繰り返した果てに答えを得たと予想した衛宮切嗣ならば、自分が抱き続ける「なぜ」という疑問への答えを出せるのではないかと期待する。
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::9. その中で英雄王ギルガメッシュと出会い、彼から自分が他人の不幸を愉悦としていることを指摘され、そしてその悦を自ら進んで行うことを教唆されたことで、目を背け忘れていた己の悪性と、改めようとするだけだったかつてとは違った形で再び対峙することになる。
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::10. 自分から意欲的に人の不幸を作り味わうというこれまでの人生で始めての経験と満足感、衛宮切嗣が自分が求めていた人並みの幸せを無価値とする男だったことへの憎悪、冬木大火災の地獄絵図の光景を見たことで感じた至上の幸福感を味わうことで開花、単に「他者の苦しみ」だけにしか幸福感を得られないというだけでなく、それを至福と感じる自分の本性を完全に自覚し、『stay night』のような悟りと余裕を得ると共に何故自分のような存在が生まれたかという過程への問いも明確化する。
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::11. 人並みに愛情は持てずとも、物事を美しいと感じる事はできる。基準は違うが、愛情という物がある事に変わりはないとして、周囲との齟齬がある自分を許す必要がなくなったことで自分への達観した自己分析も行えるようになり、過去も正確に受け止められるようになるが、妻の死が無意味であっても無価値にすることを嫌い妻の死の際に感じたモノが快楽によるものか悲哀なのかだけは意識的に答えを出すことを止めている。
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:――のような感じになると思われる。
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:迷いながらもそれ相応に淡々と進んでいた人生が妻の死の辺りで大きく変動する辺り、言峰の妻への複雑な想いが見て取れる。
    
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*[[登場人物]]
 
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