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;実戦本意の剣術
 
;実戦本意の剣術
 
:「斬り合いなんて生きるか死ぬかでしょ」という言葉が示す通り、新撰組は元々荒くれ者の集団だっただけにかなり戦い方が激しかったらしい。副長土方歳三は斬り合いの際、敵に足下の砂をぶつけて怯んだ隙に斬り伏せ、首を絞めて絞殺するなどの凄まじい戦い方を見せ、ひたすら実戦本意の戦技を磨いていたらしい。
 
:「斬り合いなんて生きるか死ぬかでしょ」という言葉が示す通り、新撰組は元々荒くれ者の集団だっただけにかなり戦い方が激しかったらしい。副長土方歳三は斬り合いの際、敵に足下の砂をぶつけて怯んだ隙に斬り伏せ、首を絞めて絞殺するなどの凄まじい戦い方を見せ、ひたすら実戦本意の戦技を磨いていたらしい。
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*沖田自身も、隊では撃剣師範も務め、かなりのスパルタ教官だったらしい。沖田の指導を受けた者達の評判は「荒っぽくて、すぐ怒る」であり、師範の近藤より恐れられていた。<br>「'''刀で斬るな!体で斬れ!'''」と教えていたとか。
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;新選組諸説
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:現在伝わる新選組についての多くのイメージは、後世の小説・講談や様々なフィクションに影響されて形成されたものである。新選組の貴重な史料として有名なのは、『新選組始末記』と言う'''小説'''や、二番隊隊長・永倉新八の'''老後の思い出話'''を編纂した『新選組顛末記』等であり、そのため武勇伝や事件の顛末、人物の立場や性格・能力に至るまで、かなりの嘘・誇張・勘違いが含まれている。例えば、かの有名な局中法度も現在では『新選組始末記』の創作である事が明らかになっている。
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:宝具「誠の旗」の「発動者の心象によって召喚される隊士の面子や性格が多少変化する」と言う特性も、こういった事情を踏まえてのものであろう。だがこの宝具にあるような説明にあるような「土方歳三は苛烈な性格である」「近藤勇はお固く規律に煩い」などと言う印象ですら、現在の説では比較的否定的に見られているほどである。
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:全てを語り尽くせばこのページだけでは到底足りないため、桜セイバー・沖田総司にとって特に関係性の深い物を何点か下記に記す。
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;沖田の愛刀
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:沖田の愛刀については諸説あるが、現在では『加州清光』と『大和守安定』がそれであったと言う説が強い。桜セイバーの愛刀となっている『乞食清光』は『加州清光』の愛称であり、この点では史実に沿っている。
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:問題は『誓いの羽織』の効果で出現する『菊一文字則宗』。この銘を持つ刀は存在せず、完全に創作である。「一文字則宗に菊紋を入れたものを菊一文字と称する」とも言われているが、実際に菊紋の入った一文字則宗は見つかっていない。また、『一文字則宗』は幕末当時でも重要文化財クラスの超貴重品であり、新選組幹部と言えど到底手が出るレベルの刀ではない。沖田がこれを持っていたと言うのはまず創作であろう。
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:また、刀は「高ければ強い」と言う訳ではない。『一文字則宗』は当時主流であった刀とは大幅に様式が異なるため、扱い方も異なる。『乞食清光』から急に宝具効果で『菊一文字則宗』に変化したら、大層使い難いのではないだろうか。
    
;ダンダラ羽織
 
;ダンダラ羽織
 
:桜セイバーの宝具であるダンダラ羽織は新撰組のシンボルとして余りに有名なデザインだが、実際は導入してから1年ほどで廃止されたらしい。池田屋事件の時に着用していたとする証言が最後の記録であるが、事件の2日後に目撃された隊士の服装は、着込襦袢、襠高袴、紺の脚絆、後鉢巻、白の襷であったという。<br>大村藩士・渡辺昇の証言によれば、黒衣・黒袴であればすぐに新選組隊士であると判ったという。また新選組は黒羅紗筒袖の陣羽織を着ていたという証言もあり、現在ではダンダラ羽織の廃止後はこちらの隊服が主流となったと考えられている。<br>この隊服は忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした時に着ていた羽織の柄を参考としている。また浅葱色は武士が切腹のときに着る裃の色でもある。因みにこの案は大の赤穂浪士贔屓の近藤さん発。
 
:桜セイバーの宝具であるダンダラ羽織は新撰組のシンボルとして余りに有名なデザインだが、実際は導入してから1年ほどで廃止されたらしい。池田屋事件の時に着用していたとする証言が最後の記録であるが、事件の2日後に目撃された隊士の服装は、着込襦袢、襠高袴、紺の脚絆、後鉢巻、白の襷であったという。<br>大村藩士・渡辺昇の証言によれば、黒衣・黒袴であればすぐに新選組隊士であると判ったという。また新選組は黒羅紗筒袖の陣羽織を着ていたという証言もあり、現在ではダンダラ羽織の廃止後はこちらの隊服が主流となったと考えられている。<br>この隊服は忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした時に着ていた羽織の柄を参考としている。また浅葱色は武士が切腹のときに着る裃の色でもある。因みにこの案は大の赤穂浪士贔屓の近藤さん発。
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;剣技
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*隊では撃剣師範も務め、かなりのスパルタ教官だったらしい。沖田の指導を受けた者達の評判は「荒っぽくて、すぐ怒る」であり、師範の近藤より恐れられていた。<br>「'''刀で斬るな!体で斬れ!'''」と教えていたとか。
      
;病について
 
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