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548 バイト追加 、 2020年6月29日 (月) 08:42
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**例外として「黄金魔境ZIPANG」は宝具情報すら不明なのでよく分からないが、宝具名や秀吉の黄金趣味から考えると、マルコ・ポーロが伝えた黄金郷伝説「ジパング」が名前の由来か。尤も、ジパングのモデルは岩手県平泉の中尊寺金色堂というのが有力説であり、マルコ・ポーロの時代から約200年後の豊臣秀吉とは何の関係性もないため、ただ単に名前だけ借りた別物であると考えるのが妥当だろう。
 
**例外として「黄金魔境ZIPANG」は宝具情報すら不明なのでよく分からないが、宝具名や秀吉の黄金趣味から考えると、マルコ・ポーロが伝えた黄金郷伝説「ジパング」が名前の由来か。尤も、ジパングのモデルは岩手県平泉の中尊寺金色堂というのが有力説であり、マルコ・ポーロの時代から約200年後の豊臣秀吉とは何の関係性もないため、ただ単に名前だけ借りた別物であると考えるのが妥当だろう。
 
*なお、無謀と俗には呼ばれている朝鮮出兵については「彼の病状が悪化しなければ恐らく勝利出来ていた」とも考察されている。もっとも、逆に言えば彼の病状次第でひっくり返るような状況だったともいえ、そんな時期に出兵した事自体が無謀と言えなくもないが。
 
*なお、無謀と俗には呼ばれている朝鮮出兵については「彼の病状が悪化しなければ恐らく勝利出来ていた」とも考察されている。もっとも、逆に言えば彼の病状次第でひっくり返るような状況だったともいえ、そんな時期に出兵した事自体が無謀と言えなくもないが。
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**近年、スペインで発見された資料ではフィリピンも征服しようと密偵を放っていたらしく、その事がフェリペ2世の逆鱗に触れて一触即発の状態となったとされる<ref group = "注">当時、フェリペ2世は明王朝の征服を狙っており、その資金源としてフィリピンから産出される金が必須だった。</ref>。結局、1598年にフェリペ2世と秀吉が相次いで死去したことで、日本対イスパニアという事態にはならなかった。
 
*実は'''関白への就任そのもの'''が、最大の愚行の一つである事はあまり知られていない。関白と摂政職は、藤原道長を相とする御堂流から分家した五摂家(近衛家・九条家・鷹司家・一条家・二条家)が独占的に継承してきたが、秀吉が左大臣への就任を望んだ事で「関白相論」と呼ばれる人事対立が発生する。<br>事態の解決を求められた秀吉は、将来、近衛家に関白職を譲る事を約束して自分が関白に就く事を提案。約束を信じた近衛家は(渋々だが)秀吉を猶子(養子縁組みと似ているが、姓名の改姓が行わない。)にして関白へ就任させる。
 
*実は'''関白への就任そのもの'''が、最大の愚行の一つである事はあまり知られていない。関白と摂政職は、藤原道長を相とする御堂流から分家した五摂家(近衛家・九条家・鷹司家・一条家・二条家)が独占的に継承してきたが、秀吉が左大臣への就任を望んだ事で「関白相論」と呼ばれる人事対立が発生する。<br>事態の解決を求められた秀吉は、将来、近衛家に関白職を譲る事を約束して自分が関白に就く事を提案。約束を信じた近衛家は(渋々だが)秀吉を猶子(養子縁組みと似ているが、姓名の改姓が行わない。)にして関白へ就任させる。
 
**だが、案の定というべきか秀吉は約束を反古にして関白職を事実上私物化、更にお気に入りの武将に官位を濫発して公家達にお鉢が回ってこない状態が続き、宮中は出世出来ない公家で溢れかえって公家社会は崩壊寸前に追い込まれてしまう。
 
**だが、案の定というべきか秀吉は約束を反古にして関白職を事実上私物化、更にお気に入りの武将に官位を濫発して公家達にお鉢が回ってこない状態が続き、宮中は出世出来ない公家で溢れかえって公家社会は崩壊寸前に追い込まれてしまう。
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