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{{登場人物概要
 
{{登場人物概要
 
| 読み = かすがのつぼね
 
| 読み = かすがのつぼね
| 外国語表記 =  
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| 外国語表記 = Kasuga no Tsubone / Lady Kasuga
| 本名 =  
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| 本名 = 斉藤福(さいとう ふく)
 
| 別名 =  
 
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;人物
 
;人物
 
:外見は和服を着た[[間桐桜]]。というか、パールヴァティーと一体化したために外見がそちら寄りになってしまっている。
 
:外見は和服を着た[[間桐桜]]。というか、パールヴァティーと一体化したために外見がそちら寄りになってしまっている。
:性格は既に老年であるとは思えないほど若々しく猪突猛進気味。年齢にふさわしい思慮もあるが愚痴も多く、若干苦労人であることも伺わせる<ref group="注">実際、権力者としてのイメージも大きいが家光が同性愛者気質であったために後継を積極的に作ろうとしなかったため、それを解消するために大奥を作らざるを得なかったという面もあり、生前からかなりの苦労人である。</ref>。
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:性格は既に老年であるとは思えないほど若々しく猪突猛進気味。年齢にふさわしい思慮もあるが愚痴も多く、若干苦労人であることも伺わせる<ref group="注">実際、権力者としてのイメージも大きいが、若き日の家光は同性愛者気質が強く後継を積極的に作ろうとしなかったため、それを解消するために大奥を作らざるを得なかったという面もあり、生前からかなりの苦労人である。</ref>。
 
;能力
 
;能力
 
:武芸の心得もあるが、あくまでも一般人の女性の範疇に留まっている。
 
:武芸の心得もあるが、あくまでも一般人の女性の範疇に留まっている。
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;お江
 
;お江
 
:徳川秀忠の正室で家光の母。後継者問題で対立した。
 
:徳川秀忠の正室で家光の母。後継者問題で対立した。
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;稲葉正成
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:元夫。乳母着任に際し離縁しているが、その後の士官も視野に入れた示し合わせ込みの計画離縁であったとも。
    
== 名台詞 ==
 
== 名台詞 ==
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== メモ ==
 
== メモ ==
 
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*ゲーム中での姿はパールヴァティーの影響、というのが大筋の見方ではあるが、一方で間桐桜の[[遠坂時臣|両]][[遠坂葵|親]]の生家である[[遠坂家]]か禅城家のいずれかが斎藤家ないし稲葉家の系譜を継いでいるという可能性も皆無ではない。しかし宗矩や信綱の反応からすると、彼らが知る若き日の姿はむしろ桜より母親・葵の方に近かったのかも知れない。<del>葵の御紋の番人だけに。</del>
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*別れ際、[[主人公 (Grand Order)|主人公]]から[[ランサー]]としての召喚可能性を仄めかす言葉を掛けられているが、先述のように武家の女性の嗜みとして薙刀の心得はあるであろうものの、宗矩や信綱のように戦場でその腕を振るった記録は無い<ref group="注">ただし、乳母着任以前には稲葉家へ押し入った盗賊を返り討ちにした、とも。</ref>。
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**生前の生き様に加えて、最終決戦において自らの有り方を場の絶対法則=文字通りの'''「ルール」そのもの'''と化していた事を考えると、[[ルーラー]]としての実装の方が可能性は高いだろうか。
    
== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==
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;家光生母説
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:史実、及びゲーム中においても家光の乳母として描かれている春日局だが、それに留まらず「'''実は生みの母であったのでは?'''」という説もしばしば唱えられている。以下、論拠とされる要素をいくつか挙げる。
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::*将軍家の蔵書を管理していた紅葉山文庫(その後内閣文庫→国立国会図書館を経て現在は国立公文書館が管理)に伝わる『松のさかえ』に掲載の「東照宮御文の写し」の末尾に「秀忠公御嫡男 竹千代君 '''御腹 春日局''' 三世将軍家光公也、」の記述が見られる。
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::*家光の姉・初姫の誕生時期は慶長7年(1602年)7月というのが通説だが、実際は一年後の慶長8年7月だった可能性があり、その場合家光の誕生時期とされる慶長9年(1604年)7月とのインターバルは一年となる。理論的には可能ではあるが、当時の医療環境を考慮すると難易度が高く、正妻・江以外で忠長に近い立場の女性として春日局に白羽の矢が立ったのではないか<ref group="注">しかし、その場合春日局最後の実子とされる稲葉正利の生年が慶長8年(1603年)とされている為、生月によっては初姫と家光以上に困難、あるいはそもそも不可能であった可能性が高い。</ref>。
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::*幼少期、病弱であった家光が疱瘡を患った際、治癒の願掛けとして自身は以降一切の薬断ちをしたと伝えられる。最晩年、自らが病に倒れた際も治療を頑なに拒み、家光自身が服薬させても感涙にむせびつつ秘かに袖下へ吐き戻していたという。主君という立場はあれど、ここまでの献身…を超えて献命できたのは血を分けた実子故なのではないか。
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:いずれも定説を覆すレベルの論拠ではないが、『FGO』を含めたフィクションを楽しむ上での補助的な情報として心に留めるのも有りではあろう。
    
==脚注==
 
==脚注==
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