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『[[Fate/EXTRA|EXTRA]]』の世界では神秘は崩壊したため、魔術師達(メイガス)は[[ウィザード]]と名を変え、電脳世界を舞台として存続している。
 
『[[Fate/EXTRA|EXTRA]]』の世界では神秘は崩壊したため、魔術師達(メイガス)は[[ウィザード]]と名を変え、電脳世界を舞台として存続している。
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=== 魔術とは ===
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=== 根源 ===
魔術(及び魔法)とは、「神秘」である。<br>今の時代の一般常識から外れた、巷に流布してはいない、秘匿された知識とその成果。それが「神秘」である。<br>では、何故魔術は神秘でなければならないのか?<br>以下においてそれを順を追って説明する。
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==== 根源と魔術師(1) ====
   
まず、世界のあらゆる事象の出発点となったモノがある。
 
まず、世界のあらゆる事象の出発点となったモノがある。
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「根源」とは、語弊を承知で有り体に言えば、「究極の知識」である。全ての始まりであるがゆえに、その結果である世界の全てを導き出せるもの。最初にして最後を記したもの。この一端の機能を指してアカシックレコードと呼んだりもする。
 
「根源」とは、語弊を承知で有り体に言えば、「究極の知識」である。全ての始まりであるがゆえに、その結果である世界の全てを導き出せるもの。最初にして最後を記したもの。この一端の機能を指してアカシックレコードと呼んだりもする。
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魔術師とは、この「根源」への到達、究極にして無なるものを求めてやまない人種のことである。<br>元をただせば、魔術師とは根源を探求する学者に他ならない。それが根源へ至る手段に魔術を用いるから、魔術師と呼ばれるだけである。
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魔術師とは、この「根源」への到達、究極にして無なるものを求めてやまない人種のこと。<br>元をただせば、魔術師とは根源を探求する学者。それが根源へ至る手段に魔術を用いるから、魔術師と呼ばれるだけ。
 
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==== 根源と魔術師(2) ====
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では何故、魔術師は「根源」へ至るための手段に、魔術を用いているのか? 他の方法ではいけないのか?
      
根源から流れ出す事象の川は、当然、根源に近ければ「太い流れ」であるし、末端へと流れていけば、途中いくつもの支流に分かれて「細い流れ」となる。<br />事象を細分化する要因は、時の流れと人々の意識あり、人々に知られれば知られる程、それは細くまた複雑になる。これは「一般常識」とも言い換えられる。
 
根源から流れ出す事象の川は、当然、根源に近ければ「太い流れ」であるし、末端へと流れていけば、途中いくつもの支流に分かれて「細い流れ」となる。<br />事象を細分化する要因は、時の流れと人々の意識あり、人々に知られれば知られる程、それは細くまた複雑になる。これは「一般常識」とも言い換えられる。
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そして、未だ大勢の人の手によって汲み上げられることなく、「太い流れ」を保っているものが、一般に知られていない「神秘」である。(あくまで比較の話であり、神秘でさえ根源という最初からみれば細いものでしかない)
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そして、未だ大勢の人の手によって汲み上げられることなく、「太い流れ」を保っているものが、一般に知られていない「神秘」。(あくまで比較の話であり、神秘でさえ根源という最初からみれば細いものでしかない)
 
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流れが太いものも細いものも、根源から流れ出たという点で違いはない。<br>しかし、魔術師のように根源へと辿り着こうとしている者達にとって、細分化された一般常識程度の知識では、あまりに根源へは遠すぎるのである。<br>ゆえに、魔術師は根源へ至るために「神秘」を学ぶ。その「太い流れ」こそが、根源へと至るに足ると信じるからである。<br>神秘=魔術が引き起こす「奇跡」などというものは、魔術師にとって瑣末なものでしかない。ただそれが根源に近いがため、魔術という手段を選んだに過ぎない。(現実的な話ではないが、もし魔術以外の手段で根源へ到達できるなら、魔術師は喜んでその方法を執るだろう)
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==== 魔術と神秘 ====
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流れが太いものも細いものも、根源から流れ出たという点で違いはない。<br>しかし、魔術師のように根源へと辿り着こうとしている者達にとって、細分化された一般常識程度の知識では、あまりに根源へは遠すぎる。<br>ゆえに、魔術師は根源へ至るために「神秘」を学ぶ。その「太い流れ」こそが、根源へと至るに足ると信じるから。<br>神秘=魔術が引き起こす「奇跡」などというものは、魔術師にとって瑣末なものでしかない。ただそれが根源に近いがため、魔術という手段を選んだに過ぎない。(現実的な話ではないが、もし魔術以外の手段で根源へ到達できるなら、魔術師は喜んでその方法を執る)
ここまでをまとめると、魔術師は「根源」へ至る手段として「神秘」を学び、その「魔術師の学ぶ神秘」を言い換えると、それが「魔術」と呼ばれるものである、ということになる。
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では、最初の問題に戻る。<br>何故魔術は神秘でなければならないのか?
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=== 神秘 ===
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今の時代の一般常識から外れた、巷に流布してはいない、秘匿された知識とその成果。魔術師は「根源」へ至る手段として「神秘」を学び、その「魔術師の学ぶ神秘」を言い換えると、それが「魔術」と呼ばれるものである、ということになる。
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これは実は既に述べている。<br>魔術師にとって魔術とは、根源に至るための手段である。言い換えれば、根源へ至る可能性と価値があるからこそ、魔術師は魔術を学んでいる。もし魔術が根源へと至る手段ではないものに成り下がったら、魔術師にとって意味が無い。
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魔術師にとって魔術とは、根源に至るための手段である。言い換えれば、根源へ至る可能性と価値があるからこそ、魔術師は魔術を学んでいる。もし魔術が根源へと至る手段ではないものに成り下がったら、魔術師にとって意味が無い。
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魔術がその価値を無くすとは、即ち既に述べた「一般に知られる」ということが現実に起こった場合である。「神秘」という「事象の太い流れ」が、一般に知られることで「細い流れ」へと姿を変え、前述したように根源から遠ざかる。それを、魔術師は最も忌避する。(実際に、魔術はその『秘儀』を知る人間が増えれば増えるほど、力を失う)
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魔術がその価値を無くすとは、即ち既に述べた「一般に知られる」ということが現実に起こった場合。「神秘」という「事象の太い流れ」が、一般に知られることで「細い流れ」へと姿を変え、前述したように根源から遠ざかる。それを、魔術師は最も忌避する。(実際に、魔術はその『秘儀』を知る人間が増えれば増えるほど、力を失う)
    
魔術師の学ぶ魔術とは、根源に至る可能性を持つ「太い流れ」=「神秘」でなければ、学ぶ価値が無い。<br>それと共に、「神秘」は大勢に知られてはならない。大勢に知られては、その意味と意義を失う。
 
魔術師の学ぶ魔術とは、根源に至る可能性を持つ「太い流れ」=「神秘」でなければ、学ぶ価値が無い。<br>それと共に、「神秘」は大勢に知られてはならない。大勢に知られては、その意味と意義を失う。
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ゆえに、魔術とは神秘であり、神秘であり続けるから魔術なのである。
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ゆえに、魔術とは神秘であり、神秘であり続けるから魔術として存在できる。
 
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魔術師は己の研究を公開しない。公開しては「神秘」たりえなくなる。<br>魔術師同士が研究の成果を持ち寄って意見を交換し、互いによりよく発展させようなどということはありえない。公開しては「神秘」たりえなくなる。<br>このため、魔術師の自治組織である[[魔術協会]]は、その第一義が他を差し置いて「神秘の秘匿」なのである。
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魔術協会は、別に魔術師が新しい魔術師を育てるための学び舎でもないし、互いに切磋琢磨しあう研究の場でもない。ようするに、「他の魔術師が下手を打って神秘を漏らすとかして、自分に迷惑がふりかかってこないよう、互いに監視し合うための組織」なのである。(ただ、それだけでは人が集まらず、集まらなくては相互監視の役に立たないため、研究書を所蔵したり霊地を押さえたりして、所属することのメリットを示しているのである)
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魔術師は己の研究を公開しない。公開しては「神秘」たりえなくなる。<br>魔術師同士が研究の成果を持ち寄って意見を交換し、互いによりよく発展させようなどということはありえない。公開しては「神秘」たりえなくなる。<br>そのため、魔術師の自治組織である[[魔術協会]]は、その第一義が他を差し置いて「神秘の秘匿」とされている。
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==== 魔術と信仰心 ====
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魔術協会は、別に魔術師が新しい魔術師を育てるための学び舎でもないし、互いに切磋琢磨しあう研究の場でもない。ようするに、「他の魔術師が下手を打って神秘を漏らすとかして、自分に迷惑がふりかかってこないよう、互いに監視し合うための組織」として機能している。(ただ、それだけでは人が集まらず、集まらなくては相互監視の役に立たないため、研究書を所蔵したり霊地を押さえたりして、所属することのメリットを示している)
最後に、これまで「神秘」について語ってきたことと矛盾するかのようなことについて、言及しておかねばならない。<br>魔術とは「世界に刻み付けられた」大魔術式を用いたシステムである。その、「世界に刻み付ける」ための力とは、人の意思、集合無意識、信仰心に他ならない。
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「信仰心」というと宗教的な信徒であることを示すかのように受け取られがちだが、ここで言う信仰心とは、「知名度」に言い換えられる。<br>神秘(魔術)が「ある」と信じられることによって、世界がそれを許容するのである。ここで、「ある」と信じるということは、それが「確信」である必要はない。例えば、「幽霊」という神秘の存在について、現代の人間の大半は否定的な意見を持っているだろう。しかし、現代の科学では「ない」とも言い切れない。「ひょっとしたらあるかも」という考えは、無意識のどこかにある。そういった「疑念」的なものも、信仰心には含まれる。信仰心の反対は「無知」である。幽霊の存在自体を知らない、ということのみが、信仰心を産まないのである。
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=== 信仰心 ===
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魔術とは「世界に刻み付けられた」大魔術式を用いたシステムである。その、「世界に刻み付ける」ための力とは、人の意思、集合無意識、信仰心に他ならない。
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つまり、広く大勢の人間に知られていればいるほど、魔術基盤は強固なものになるということである。<br>これにより、信仰の弱い、「世界に刻み付ける」力が脆弱な、基盤の小さな一派の魔術は、誰にもその存在を知られていないような他国においては、まっとうに機能しないということがザラに起こる。
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「信仰心」というと宗教的な信徒であることを示すかのように受け取られがちだが、ここで言う信仰心とは、「知名度」に言い換えられる。<br>神秘(魔術)が「ある」と信じられることによって、世界がそれを許容するのである。ここで、「ある」と信じるということは、それが「確信」である必要はない。例えば、「幽霊」という神秘の存在について、現代の人間の大半は否定的な意見を持っている。しかし、現代の科学では「ない」とも言い切れない。「ひょっとしたらあるかも」という考えは、無意識のどこかにある。そういった「疑念」的なものも、信仰心には含まれる。信仰心の反対は「無知」。幽霊の存在自体を知らない、ということのみが、信仰心を産まない。
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ここで、ここまでに述べてきた「神秘は知る人間が増えれば力を失う」という点との矛盾を感じるかも知れない。
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つまり、広く大勢の人間に知られていればいるほど、魔術基盤は強固なものになるということ。<br>これにより、信仰の弱い、「世界に刻み付ける」力が脆弱な、基盤の小さな一派の魔術は、誰にもその存在を知られていないような他国においては、まっとうに機能しないということがザラに起こる。
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しかし、ここまでに述べてきた「魔術に足る神秘の知識」とは、再び幽霊に例えれば、「幽霊という存在がある(かもしれない)ことを知っていること」ではない。「幽霊の『正体』を知っていること」である。一般人にとって幽霊とは、いるかいないかわからない、あやふやなものである。しかし、魔術師にとって幽霊とは、その正体までも知っていて、いることが不思議でも何でもないものである(あくまで例である、念のため)。<br>神秘を起こす「ルーン」という魔術がある。ルーンは奇跡を起こす、と一般には信じる者もいるし、信じない者もいる。ただ、両者に共通なのは、ルーンが「何故」奇跡を起こすことができるのかまでは、知らないということである。しかし、魔術師はその「何故」を(少なくとも一般人よりは)知っている。
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「魔術に足る神秘の知識」とは、再び幽霊に例えれば、「幽霊という存在がある(かもしれない)ことを知っていること」ではない。「幽霊の『正体』を知っていること」である。一般人にとって幽霊とは、いるかいないかわからない、あやふやなものである。しかし、魔術師にとって幽霊とは、その正体までも知っていて、いることが不思議でも何でもないもの(あくまで例、念のため)。<br>神秘を起こす「ルーン」という魔術がある。ルーンは奇跡を起こす、と一般には信じる者もいるし、信じない者もいる。ただ、両者に共通なのは、ルーンが「何故」奇跡を起こすことができるのかまでは、知らないということ。しかし、魔術師はその「何故」を(少なくとも一般人よりは)知っている。
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この差が、「神秘は知る人間が増えれば力を失う」ということと、「広く大勢の人間に知られていればいるほど、魔術基盤は強固なものになる」ということが両立する所以である。
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この差が、「神秘は知る人間が増えれば力を失う」ということと、「広く大勢の人間に知られていればいるほど、魔術基盤は強固なものになる」ということが両立する所以。
    
実際に、現代の世界で最も広く強固な魔術基盤を有しているのは、[[聖堂教会]]による神の教え、聖言に他ならない。(ただ、彼らは人の手に余る神秘は神の手に委ね、人が手にしてはならないものだと説くゆえに、魔術という神秘を扱うものと敵対する立場にある)
 
実際に、現代の世界で最も広く強固な魔術基盤を有しているのは、[[聖堂教会]]による神の教え、聖言に他ならない。(ただ、彼らは人の手に余る神秘は神の手に委ね、人が手にしてはならないものだと説くゆえに、魔術という神秘を扱うものと敵対する立場にある)
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