春日局 | |
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読み | かすがのつぼね |
外国語表記 | Kasuga-no-Tsubone |
本名 | 斉藤福(さいとう ふく) |
性別 | 女性 |
デザイン | 蒼月タカオ |
初登場作品 | Fate/Grand Order |
概要
『Fate/Grand Order』の登場人物。
- 略歴
- 江戸幕府の三代将軍家光の乳母であり、大奥を創設して権力を振るった女傑。
- 期間限定イベント『徳川廻天迷宮 大奥』では死に際の「ずっと徳川家を見守っていたい」という願いをビーストⅢ/Lに付け込まれ、歴代将軍を篭絡して甘やかすことで人理崩壊域の成立に手を貸してしまう。
- その後放逐された魂はパールヴァティーと一体化し、自身が原因と気づかぬまま主人公らと協力して事件の解決にあたる。
- 後に原因が判明した際にはショックを受けたがシェヘラザードやマタ・ハリの協力を受け、概念として自身を大奥と一体化。交戦によって追い詰められ、逃走しようと徳川化を解除したビーストを「大奥に相応しくない」と見なして追放し、消滅の一手とした。
- 人物
- 外見は和服を着た間桐桜。というか、パールヴァティーと一体化したために外見がそちら寄りになってしまっている。
- 性格は既に老年であるとは思えないほど若々しく猪突猛進気味。年齢にふさわしい思慮もあるが愚痴も多く、若干苦労人であることも伺わせる[注 1]。
- 能力
- 武芸の心得もあるが、あくまでも一般人の女性の範疇に留まっている。
登場作品と役柄
Fateシリーズ
- Fate/Grand Order
- 期間限定イベント『徳川廻天迷宮 大奥』に登場。
人間関係
Fate/Grand Order
- パールヴァティー
- 依り代となった疑似サーヴァント。
- 彼女の中に魂と人格が居候するような状態になり、互いに話し合いつつ時に入れ替わり行動することになった。
- ビーストⅢ/L
- 大奥に取り付いた敵。彼女に唆される形で人理崩壊に加担してしまったが、最終的には大奥から叩き出した。
- 南光坊天海
- 家光を支え続けた同僚。彼の秘術により魂が去ることなくパールヴァティーと一体化することになった。
生前
- 徳川家康
- 駿府に隠居していた彼を訪ねて、竹千代(家光)がお江や秀忠に蔑ろにされている事を訴えて後継者問題の解決を図った。
- 徳川家光
- 乳母として支えた相手。彼の世継ぎを作るために大奥を創設した。
- お江
- 徳川秀忠の正室で家光の母。後継者問題で対立した。
- 稲葉正成
- 元夫。乳母着任に際し離縁しているが、その後の士官も視野に入れた示し合わせ込みの計画離縁であったとも。
名台詞
Fate/Grand Order
- 「もちろん、上様に手をあげるなど、許されざる大罪です。死に値します。
ですが、それが何だと言うのですか 。
上様の正しい教育に絶対に必要な事なのであれば、やらないという選択肢はありえません。
私はそのためにいるのですから。
教え諭したあとで、上様の間違いを理解させたうえで、その行為が死に値すると糾されたのなら。
潔く死ねばよろしい。」
「たとえ自ら喉を突くことになろうとも、それが真の乳母というもの。
徳川の主君を正しく教え導くことには、それだけの価値があるのです。
自分の命程度の犠牲で、日の本を統べる主君を正しく養育できたのならば、
そこに悔いなどあろうはずもありません!」 - 『徳川廻天迷宮 大奥』にて。徳川化され、だらしなく振舞うゴルドルフ・ムジークにビンタ一発ぶちかまし、懇々と説教して一時的にとはいえ正気に戻した後、シェヘラザードに「将軍にそんな事をしたら殺されてしまうのでは」と問われての返答。
- 流石は女性であろうとも将軍の側近くに仕えた徳川家臣団の一員というべきか、自らの命を放り投げても主君に諫言するその姿は後世に伝わる三河武士そのものである。
メモ
- ゲーム中での姿はパールヴァティーの影響、というのが大筋の見方ではあるが、一方で間桐桜の両親の生家である遠坂家か禅城家のいずれかが斎藤家ないし稲葉家の系譜を継いでいるという可能性も皆無ではない。しかし宗矩や信綱の反応からすると、彼らが知る若き日の姿はむしろ桜より母親・葵の方に近かったのかも知れない。
葵の御紋の番人だけに。 - 別れ際、主人公からランサーとしての召喚可能性を仄めかす言葉を掛けられているが、先述のように武家の女性の嗜みとして薙刀の心得はあるであろうものの、宗矩や信綱のように戦場でその腕を振るった記録は無い[注 2]。
- 生前の生き様に加えて、最終決戦において自らの有り方を場の絶対法則=文字通りの「ルール」そのものと化していた事を考えると、ルーラーとしての実装の方が可能性は高いだろうか。
話題まとめ
- 家光生母説
- 史実、及びゲーム中においても家光の乳母として描かれている春日局だが、それに留まらず「実は生みの母であったのでは?」という説もしばしば唱えられている。以下、論拠とされる要素をいくつか挙げる。
- 将軍家の蔵書を管理していた紅葉山文庫(その後内閣文庫→国立国会図書館を経て現在は国立公文書館が管理)に伝わる『松のさかえ』に掲載の「東照宮御文の写し」の末尾に「秀忠公御嫡男 竹千代君 御腹 春日局 三世将軍家光公也、」の記述が見られる。
- 家光の姉・初姫の誕生時期は慶長7年(1602年)7月というのが通説だが、実際は一年後の慶長8年7月だった可能性があり、その場合家光の誕生時期とされる慶長9年(1604年)7月とのインターバルは一年となる。理論的には可能ではあるが、当時の医療環境を考慮すると難易度が高く、正妻・江以外で忠長に近い立場の女性として春日局に白羽の矢が立ったのではないか[注 3]。
- 幼少期、病弱であった家光が疱瘡を患った際、治癒の願掛けとして自身は以降一切の薬断ちをしたと伝えられる。最晩年、自らが病に倒れた際も治療を頑なに拒み、家光自身が服薬させても感涙にむせびつつ秘かに袖下へ吐き戻していたという。主君という立場はあれど、ここまでの献身…を超えて献命できたのは血を分けた実子故なのではないか。
- いずれも定説を覆すレベルの論拠ではないが、『FGO』を含めたフィクションを楽しむ上での補助的な情報として心に留めるのも有りではあろう。
脚注
注釈
出典