アーチャー
- 真名:俵藤太
- 身長:183cm / 体重:98kg
- 出典:俵藤太物語
- 地域:日本
- 属性:中立・善
- 性別:男性
- CV:鈴村健一
- キャラクターデザイン:下越
- 略歴
- 『Grand Order』第六章ではAD.1273のキャメロットにサーヴァントとして召喚された。
- 同じく特異点に迷い込んでいた玄奘三蔵に弟子にされる形で共に行動していたが、途中ではぐれてしまい、空腹のところをランスロットに遭遇し、敵わないと知ると即座に降参。
- その後は砦の地下牢に閉じ込められたが、救出にやって来た玄奘三蔵と主人公達に合流した。
- 最終盤の聖都攻略戦において、正門突破と引き換えに力尽きた玄奘三蔵の最期を見届けた後は終戦まで戦い抜き、特異点の修復開始に伴い消滅した。
- 人物
- 左肩をはだけた朱の着物を纏い、見るからに巨大な米俵を軽々担ぐ精悍な偉丈夫。
- 豪快かつ爽やかで見上げ、気前が良くて料理上手な面倒見のいい兄貴肌で、その包容力からすぐに人と打ち解けてしまう。
- サーヴァントであるが、食に拘りがあり、『旨い飯に敵はない』を体現している。彼が嫌いなものは不味い物ではなく、単純に食えない事の方である。
- 英雄ではあるものの戦いを好んでいる訳では決してなく、名刀や名槍よりも上記の俵を大切だと見なし、狙われたとしても「自分が担いで逃げればいい」と言い切ってしまう程。
- 能力
- 戦いでは五人張りの強弓と日本刀を用いて戦っている。
ステータス
クラス | マスター | 筋力 | 耐久 | 敏捷 | 魔力 | 幸運 | 宝具 | クラス別能力 | 保有スキル | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アーチャー | 主人公 (Grand Order) | B | B | D | C | B | A | 対魔力:C 単独行動:B |
龍神の加護:C 矢避けの加護:C 無尽俵:EX |
宝具
- 八幡祈願・大妖射貫(なむはちまんだいぼさつ・このやにかごを)
- ランク:B
種別:対人宝具 - 若い頃から愛用している五人張りの強弓による射撃。湖に住む龍神の加護が特別に与えられている。
- ゲームモーションでは矢を構える際に水に包まれ、龍をかたどった一矢を放つ。
- 無尽俵
- ランク:EX
種別:対宴宝具 - 彼が担いでいる巨大な米俵。その重みで敵を攻撃しているが、その真価は美味しいお米がどんどん出てくる。
- 式によると、海の幸も山の幸も自由自在に出せるらしい。
真名:俵藤太
- 俵藤太。極東の竜殺し。東国における武芸の祖と崇められた、平安時代中期の武将。
真名は「俵藤太」となっているが、後に「藤原秀郷」と名乗っている。
始祖である藤原鎌足から伝わる黄金の太刀を振るい、幾度も手柄を立てた勇将である。
- ある日、彼は龍神の化身に乞われて、山を七巻き半すると言われる三上山の大百足を退治することとなった。
彼は矢に唾を吐いて、八幡神に祈りを捧げ、見事大百足を退治した。
- 龍神たちから御礼として、米の尽きない米俵を頂戴した俵藤太はその後、百々目鬼退治などを経て、遂には不死身の魔人であった平将門を討ったと伝えられている。
登場作品と役柄
- Fate/Grand Order
- アーチャーのサーヴァントとして登場。レア度はR(☆3)。イラストレーターは下越。
人間関係
- 玄奘三蔵
- 第六章で彼女の弟子になったが、その過程は話すと長くなるとのこと。
- アルトリア・ペンドラゴン
- その健啖家っぷりから意気投合し、白米を大量に振る舞う。
名台詞
- 「悪虫退治に工夫を凝らし、三上山を往来すれば
汲めども汲めども尽きぬ幸 ―――
お山を七巻き、まだ足りぬ。
お山を鉢巻、なんのその。
どうせ食うならお山を渦巻き、
龍神さまの太っ腹、釜を開ければ大漁満席!
さあ、行くぞぅ!
対宴宝具―――美味いお米 が、どーん、どーん!」 - 6章にて。宝具「無尽俵」開帳。人々の腹を満たし、飢えを退ける恵みの奇蹟。
- 開帳直前の言葉から、救出されてからの道中で西の村の窮状を聞いたときからこの宝具を披露するつもりだったことが窺える。
- 滝のように溢れ出る米を目の前にして主人公は勿論、マシュも呪腕のハサンもベディヴィエールも絶句し、百貌のハサンに至っては思わず仮面を外すほどに驚愕していた。
- 「……感服の他ありませぬ。
星を落とすものは数あれど、星を砕く神技は他に無し。
まさに―――見事なりアーラシュ・カマンガー。
八幡大菩薩 が宿るかのような、凄烈の一射であった。」 - 東の村に迫る獅子王の「最果てにて輝ける槍」を迎撃するため、自身の消滅と引き換えに「流星一条」を放ったアーラシュを一人見届けて。
- 座り込んだ上に酒まで持ち出すという、状況を考えればとんでもなく落ち着き払った姿での見届け方であったが、その言葉にはただ掛け値無しの賞賛のみが込められていた。