ぐだぐだ太閤伝ZIPANG

2023年12月11日 (月) 15:58時点における (トーク | 投稿記録)による版
ぐだぐだ太閤伝ZIPANG
原作 TYPE-MOON
作画 経験値
掲載誌 コンプティーク
レーベル 角川コミックス
連載期間 2022年5月号~2023年6月号
単行本 全1巻
発売元 KADOKAWA
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概要

つゆと落ち つゆと消えにし わが身かな なにわのコトも 夢のまた夢

これこそが驚天動地の我が宝具!! 黄金魔境―――

Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚』に続く形で連載されている、コハエースの世界で行われる聖杯戦争の物語。
事前に予告編と連載前打ち切りを経て正式に連載されたあちらとは異なり、『ぐだぐだエースRE』最終回に引き続いて突如連載が発表され、第一話がコンプティークに掲載された。

タイトル通り豊臣秀吉を主人公に戦国時代の日本を描いているのだが、各地の戦国大名がサーヴァントを召喚していると思しき描写があり、我々の知る歴史から少しずつずれていっている。

第11話のラストでは思いもよらない展開が待ち受けていた

登場人物

織田家

豊臣秀吉
主人公。
物語は桶狭間の戦いからスタートになるため、当初はまだ足軽で「木下藤吉郎」名義である。
沖田総司
織田家に所属するサーヴァント。
織田信長
織田家の当主。
柴田勝家丹羽長秀、佐久間信盛
織田家に仕える古参の家臣。
明智光秀
美濃を本拠地として以降に仕えた家臣。

今川家

今川義元
今川家の当主。
桶狭間の戦いで、先行してきた秀吉とサーヴァントに討ち取られた。
松平元康
今川家に組する松平家の当主。後の徳川家康。
実際の歴史と異なり、桶狭間の戦いの前に義元に追放されており歴史の表舞台には存在していないはずだったが……?

上杉家

長尾景虎
上杉家の当主。

北条家

北条氏政
北条家の当主。歴史上では当主の座を継いだばかりであり、父の氏康は存命だが未登場。
ご飯に二回汁をかけただけでやたらにディスられる。
伊勢新九郎
北条家のサーヴァント。
「北条早雲」の別名でも知られる、小田原北条家の開祖と伝えられている。
北条氏政にとっては曽祖父、ついでに今川義元からは大叔父にあたる。

武田家

武田晴信
武田家の当主。「武田信玄」の法名でも知られている。
実は三方ヶ原の戦いより以前に死亡しており、織田家に攻めてきた際には武田勝頼が信玄を名乗っていた。
しかし、勝頼の敗北直後、彼の命を触媒として今度はサーヴァントとして復活する
武田信玄
上記の結果召喚された武田家のサーヴァント。

朝倉家

朝倉宗滴
朝倉家の当主を長年にわたって支え続けた宿老。
朝倉家が擁するサーヴァントとして召喚されていた。

毛利家

毛利元就
毛利家の当主。
金ケ崎の戦いに前後して、史実通りに病死した模様。
高杉晋作
明言されていないが、毛利家のサーヴァントと思われる。

秀吉の関係者達

なか
秀吉の母。
寧々
秀吉の正妻。長い黒髪で、織田信長を連想させる姿。
プロポーズ時、藤吉郎が伴っていた沖田を見てすわ二股かと飛び蹴りを食らわしたがすぐに誤解は解けた。
小一郎
秀吉の弟。後の豊臣秀長。
竹中半兵衛
秀吉に仕えた軍師。
下記の官兵衛と並んで二兵衛と称されていたが、病死した。
茶々
後に秀吉の側室になる信長の姪。
黒田官兵衛
秀吉に仕えた軍師。
上記の半兵衛と並んで二兵衛と称されており、半兵衛の病没後も秀吉を支え続けた。

その他

リンサクラ
上記の戦国時代の物語の外側、帝都の聖杯戦争におけるセイバー・豊臣秀吉のマスター。
自身のサーヴァントの暴走が物語の発端となっており、セイバーの事を「呼んではならなかったサーヴァント」と称した。
徳川家康
「日輪」崩壊後に登場したアーチャーにとっての最後の敵。
「日輪」の展開中もずっと隠れ続けて機会を待っていた模様。
マスターアルトリア (帝都聖杯奇譚)
帝都の聖杯戦争におけるアーチャーのマスター。
エピローグで他のメンバー同様に「日輪」に取り込まれていた事が語られた。
シエル
聖堂教会に所属する代行者。
エピローグで二年後に聖杯の再出現の連絡を受けていた。
遠野秋葉琥珀
遠野家の当主とその使用人。
エピローグで二年後に聖杯の再出現の件でシエルの訪問を受けていた。

関連用語

聖杯の乱
明言はされていないが、作中で起きていると思われる聖杯戦争
織田家や北条家などそれぞれの戦国大名がサーヴァントを召喚して戦い、最後に残った大名が都で聖杯を授かる……といういつもの聖杯戦争のパターンのようだが、詳細は不明。
召喚されたサーヴァントであるはずの沖田総司に「戦国時代当時の常識がインストールされていない」「生前知っていたはずの戦国時代の知識が曖昧になる」という不可解な現象が発生している。
どこの家でも自分の祖先の名将を召喚したがる傾向があるようだが、秀吉は「名将よりも人殺しの専門家を呼ぶべき」と判断していた。

メモ

関連書籍

脚注

注釈


出典


関連項目

外部リンク