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459 バイト追加 、 2018年6月8日 (金) 23:49
内容修正。龍馬も幕府を維持しようとは思っていない。
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:さかもとりょうま。土佐藩(高知県)の下級武家の出身。
 
:さかもとりょうま。土佐藩(高知県)の下級武家の出身。
 
:薩長同盟の立役者であり、海援隊の設立、大政奉還の成立に尽力し明治維新に大きく貢献した志士の一人。
 
:薩長同盟の立役者であり、海援隊の設立、大政奉還の成立に尽力し明治維新に大きく貢献した志士の一人。
 
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:同じ維新志士ではあったが、薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通、元土佐藩出身の友人で後に龍馬と共に暗殺された中岡慎太郎ら武力討幕路線とは異なり、大政奉還を受け入れた徳川慶喜を諸侯会議に加えるなどの穏健な方法で新政府に移行する構想を持っていた。大政奉還後の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町近江屋井口新助邸にて暗殺され落命。享年31才。この際、龍馬だけでなく中岡慎太郎と、龍馬の用心棒であった山田藤吉も暗殺されている。
:同じ維新志士ではあったものの大久保利通らとは政治思想が異なり幕府を残しながら改革を望んでいたが其れが果たされることは無く、大政奉還の一月後に京都にて暗殺され落命。享年31才。
   
:才谷 梅太郎などの偽名も使っていた。
 
:才谷 梅太郎などの偽名も使っていた。
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; 謎
 
; 謎
 
: 龍馬の死因は「暗殺」で、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町近江屋で中岡慎太郎を迎えていた際に、押し入ってきた何者かに斬殺されている。当初は新選組の関与が強く疑われ、新選組に所属していた大石鍬次郎が捕縛された際に龍馬暗殺を自白するが、後に撤回している。海援隊隊士たちは紀州藩による「いろは丸事件」の報復を疑い、両者の間で事件が起きている。
 
: 龍馬の死因は「暗殺」で、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都河原町近江屋で中岡慎太郎を迎えていた際に、押し入ってきた何者かに斬殺されている。当初は新選組の関与が強く疑われ、新選組に所属していた大石鍬次郎が捕縛された際に龍馬暗殺を自白するが、後に撤回している。海援隊隊士たちは紀州藩による「いろは丸事件」の報復を疑い、両者の間で事件が起きている。
: 現在の定説は、箱館戦争で捕虜になった元見廻組の今井信郎の与頭・佐々木只三郎とその部下6人が坂本龍馬を殺害したという供述。だがそれも確かな事実とは呼べず、現在では幕府の存続を巡って思想対立していた薩摩藩黒幕説やフリーメイソン陰謀説まで様々な異説が生まれ、未だ議論が続いている。
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: 箱館戦争で捕虜になった元見廻組の今井信郎の与頭・佐々木只三郎とその部下6人が坂本龍馬を殺害したとされ、佐々木の兄で会津藩公用人であった手代木直右衛門が、京都守護職・松平容保(会津藩主)の命で佐々木に実行させたことが通説となっている。他にも、新選組犯行説、薩摩藩陰謀説、紀州藩士報復説、外国陰謀説まで様々な異説が生まれ、未だ議論が続いている。
    
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