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*彼女の宝具で言及されている「サナト・クマラ」だが、本来は「[[ラーマ|ラーマーヤナ]]」に登場するヒンズー教の聖人。日本では護法魔王尊や、[[牛若丸]]の師匠として有名な鞍馬天狗とも同一視されている。
 
*彼女の宝具で言及されている「サナト・クマラ」だが、本来は「[[ラーマ|ラーマーヤナ]]」に登場するヒンズー教の聖人。日本では護法魔王尊や、[[牛若丸]]の師匠として有名な鞍馬天狗とも同一視されている。
 
*彼女が活躍していた19世紀後半はオカルトと科学の領域が曖昧で、科学によって霊や魔術を研究しようという動きがあった時代である。つまり彼女の経歴が史実通りだとすれば、神秘を秘匿するTYPE-MOON世界の魔術師とは真逆の、神秘を世間に公開するというスタンスを取っていた魔術師ということになってしまう。……[[封印指定|神秘の秘匿のために時計塔が行う事]]を考えると、よくトリック呼ばわりされただけで済んだものである。
 
*彼女が活躍していた19世紀後半はオカルトと科学の領域が曖昧で、科学によって霊や魔術を研究しようという動きがあった時代である。つまり彼女の経歴が史実通りだとすれば、神秘を秘匿するTYPE-MOON世界の魔術師とは真逆の、神秘を世間に公開するというスタンスを取っていた魔術師ということになってしまう。……[[封印指定|神秘の秘匿のために時計塔が行う事]]を考えると、よくトリック呼ばわりされただけで済んだものである。
*史実の彼女は1951年に'''ロンドン'''・'''エジプト'''・ニューヨークを巡っているという話があり、その事からサーヴァントとしての登場が発表された直後、「時計塔と[[アトラス院]]両方に縁があるのではないか」「むしろ彼女が現代魔術科の創始者なのではないか」と言った考察が為されていた。結果として魔術協会とはあまり関係ないルートで神秘学を編纂した独自研究家という位置に収まったが。
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**さらに言うと、時計塔が蔑視していた東洋の魔術基盤を大量に混ぜ込み、あげく神学論も一緒に取り扱うという暴挙に出ている為、[[聖堂教会]]にも喧嘩を売っている。実際、後に誕生した「神論と魔術論の融合」というアプローチの[[ロレンツ・トレンデル|バララララ機関]]は聖堂教会の手によって潰されている。
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*史実の彼女は1851年に'''ロンドン'''・'''エジプト'''・ニューヨークを巡っているという話があり、その事からサーヴァントとしての登場が発表された直後、「時計塔と[[アトラス院]]両方に縁があるのではないか」「むしろ彼女が現代魔術科の創始者なのではないか」と言った考察が為されていた。結果として魔術協会とはあまり関係ないルートで神秘学を編纂した独自研究家という位置に収まったが。
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**とはいえ、彼女が生きていた年代の直後である二十世紀初頭に現代魔術科が誕生し、新興の魔術師たちへの門戸が開かれたことを考えると、まったくの無関係とも思えない。むしろ、在野の新興魔術師が彼女と似た活動を始めることを危険視した魔術協会が苦渋の選択として新興魔術師の受け皿を作った、という解釈も成り立つ。
 
== 話題まとめ ==
 
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