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;[[カレン・オルテンシア]]
 
;[[カレン・オルテンシア]]
 
:綺礼の死後、教会にやってきた人物。親子説あり。
 
:綺礼の死後、教会にやってきた人物。親子説あり。
 
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;[[ネコアルク・カオス]]
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:ペンフレンド。<br>中の人?何のことだ?
    
;[[主人公 (EXTRA)]]
 
;[[主人公 (EXTRA)]]
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;[[ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ]]
 
;[[ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ]]
 
:ユリウスは彼の実力を見抜いていたらしく、BBを欺くため校内の人間を攻撃していた時も彼には仕掛けなかったという。平行世界で暗殺者と縁があったためか、彼はユリウスと戦えなかったのを残念に思っており、「震脚の一つでも打ってみたかった」と洩らしている。
 
:ユリウスは彼の実力を見抜いていたらしく、BBを欺くため校内の人間を攻撃していた時も彼には仕掛けなかったという。平行世界で暗殺者と縁があったためか、彼はユリウスと戦えなかったのを残念に思っており、「震脚の一つでも打ってみたかった」と洩らしている。
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== 名台詞 ==
 
== 名台詞 ==
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:HFルートにおけるイリヤとの夜の公園の会話で「正義の味方」であり続ける事を選んだBADENDより。<br>理想のために親しい少数を見限ってでも多くを救う決意を固めた士郎の姿に言峰はかつての宿敵の姿を重ね、桜や臓硯だけでなくやがて凛やイリヤも葬り去った士郎が勝者となり、そして士郎が聖杯を破壊する事によって第五次聖杯戦争は終結するであろうと予言する。
 
:HFルートにおけるイリヤとの夜の公園の会話で「正義の味方」であり続ける事を選んだBADENDより。<br>理想のために親しい少数を見限ってでも多くを救う決意を固めた士郎の姿に言峰はかつての宿敵の姿を重ね、桜や臓硯だけでなくやがて凛やイリヤも葬り去った士郎が勝者となり、そして士郎が聖杯を破壊する事によって第五次聖杯戦争は終結するであろうと予言する。
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;「おまえには自分という概念がない。だがそのおまえが、まさか一つの命に拘るとはな。いや、それとも――<br> 多くの命に拘る、のではなく。一つの命に拘るが如く、全ての命に拘ったのか」
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;「おまえには自分という概念がない。<br> だがそのおまえが、まさか一つの命に拘るとはな。いや、それとも――<br> 多くの命に拘る、のではなく。一つの命に拘るが如く、全ての命に拘ったのか」
 
:HFルートにおけるイリヤとの夜の公園の会話で「桜の味方」となる事を決めた後の会話より。<br>思い出を切り捨てる事ができず、切嗣とは違う道を取ったことに若干失望しつつも、自分と同じく破綻者と見ていた士郎が信念を捨て去ってまで桜一人の命に執着したのは言峰にとっても意外だったようだ。<br>しかし、自分が分からなかったものを同類の破綻者が理解し始めているその抜け駆けに対して言峰自身、若干の羨望も抱いていた。
 
:HFルートにおけるイリヤとの夜の公園の会話で「桜の味方」となる事を決めた後の会話より。<br>思い出を切り捨てる事ができず、切嗣とは違う道を取ったことに若干失望しつつも、自分と同じく破綻者と見ていた士郎が信念を捨て去ってまで桜一人の命に執着したのは言峰にとっても意外だったようだ。<br>しかし、自分が分からなかったものを同類の破綻者が理解し始めているその抜け駆けに対して言峰自身、若干の羨望も抱いていた。
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;「……ふん。それにな、告白すれば八つ当たりでもある。以前からよもや、とは思っていたが、事ここに至ってようやく気が付いた」<br>「―――私は、おまえたちを羨んでいる。求めても得られなかったもの。手に入れたというのに手に入らなかったもの。どのような戒律をもってしても、指の隙間から零れ落ちた無数の澱。<br> その鬱積を、ここで帳消しにするのみだ」
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;「……ふん。それにな、告白すれば八つ当たりでもある。<br> 以前からよもや、とは思っていたが、事ここに至ってようやく気が付いた。<br> ―――私は、おまえたちを羨んでいる。求めても得られなかったもの。手に入れたというのに手に入らなかったもの。<br> どのような戒律をもってしても、指の隙間から零れ落ちた無数の澱。<br> その鬱積を、ここで帳消しにするのみだ」
 
:HFルート終盤より。ついに桜を開放し、汚染された大聖杯の前に立った士郎とそれを守るように現れた言峰。元より相容れない目的の為に共闘していた両者が最後まで生き残っていたならばこうなる事は必然。満身創痍の体で対峙する中で言峰はついに自分でも自覚しきれていなかったアンリマユ誕生を渇望していた理由に気が付いた。ちなみにPC版で「八つ当たり」の部分はPS2版では「'''感傷'''」と書き換えられている。
 
:HFルート終盤より。ついに桜を開放し、汚染された大聖杯の前に立った士郎とそれを守るように現れた言峰。元より相容れない目的の為に共闘していた両者が最後まで生き残っていたならばこうなる事は必然。満身創痍の体で対峙する中で言峰はついに自分でも自覚しきれていなかったアンリマユ誕生を渇望していた理由に気が付いた。ちなみにPC版で「八つ当たり」の部分はPS2版では「'''感傷'''」と書き換えられている。
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=== Fate/Zero ===
 
=== Fate/Zero ===
;「それは許される事ではない!<br> 英雄王、貴様のようなヒトならざる魔性なら、他者の辛苦を蜜の味とするのも頷ける。だが、それは罪人の魂だ。罰せられるべき悪徳だ。わけても、この言峰綺礼が生きる信仰の道に於いてはな!」
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;「それは許される事ではない!<br> 英雄王、貴様のようなヒトならざる魔性なら、他者の辛苦を蜜の味とするのも頷ける。<br> だが、それは罪人の魂だ。罰せられるべき悪徳だ。<br> わけても、この言峰綺礼が生きる信仰の道に於いてはな!」
 
:ギルガメッシュに自身の本性を指摘されて反発する綺礼。しかし、直後に再び、聖杯は令呪をもって綺礼を戦いの舞台にいざなう。
 
:ギルガメッシュに自身の本性を指摘されて反発する綺礼。しかし、直後に再び、聖杯は令呪をもって綺礼を戦いの舞台にいざなう。
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*CCCでは購買部店員に徹しているかと思えば、隠しボスの一人としても登場。マスターとして、[[ランサー|青い槍兵のサーヴァント]]を連れている。両者の仲は相変わらず悪いもののお互いに原作のような因縁は無い(そもそも根本的に別人)おかげか、戦闘ではそれなりのコンビネーションを見せてくる。<br>戦闘中は他のマスターと同様に、コードキャストを使用してくる…のだが、その内容が黒鍵を投げてきたり八極拳で殴りかかってきたりとやりたい放題。攻性呪文なのに物理攻撃とはこれ如何に。<br>戦闘時の冒頭のやり取りや宝具発動直後のターン時のやり取り、そして決着時のやり取り(選択サーヴァントにより変化)に関し、原作を知っているユーザーに対するサービスが多数用意されている。特にギルガメッシュの場合は…!?<br>なお、シナリオ担当の奈須きのこ氏はスタッフから「言峰を店員にしたいんですけど」と提案されたとき、「あなた、疲れているのよ……」と心底体調を心配したらしい。
 
*CCCでは購買部店員に徹しているかと思えば、隠しボスの一人としても登場。マスターとして、[[ランサー|青い槍兵のサーヴァント]]を連れている。両者の仲は相変わらず悪いもののお互いに原作のような因縁は無い(そもそも根本的に別人)おかげか、戦闘ではそれなりのコンビネーションを見せてくる。<br>戦闘中は他のマスターと同様に、コードキャストを使用してくる…のだが、その内容が黒鍵を投げてきたり八極拳で殴りかかってきたりとやりたい放題。攻性呪文なのに物理攻撃とはこれ如何に。<br>戦闘時の冒頭のやり取りや宝具発動直後のターン時のやり取り、そして決着時のやり取り(選択サーヴァントにより変化)に関し、原作を知っているユーザーに対するサービスが多数用意されている。特にギルガメッシュの場合は…!?<br>なお、シナリオ担当の奈須きのこ氏はスタッフから「言峰を店員にしたいんですけど」と提案されたとき、「あなた、疲れているのよ……」と心底体調を心配したらしい。
 
*ZeroとSNで第四次聖杯戦争以前のことについての回想が異なるが、これはまだSNの頃のような悟りと余裕がなく、迷いと葛藤から自らを内省するにあたって、かなり過去の記憶や事実関係(奥さんに関する記憶はその最たるもの)をねじ曲げて語っているため<!-- zeroマテ用語より -->。実際Zeroの作中で死別した奥さんのことを思い出そうとすると立ち眩みのような感覚に陥り靄がかかるように思考が散漫になるなど、明らかに異常な反応を示しているシーンもある。このため、10年後の達観した自己分析のほうが的を射ているとされる。<br>これらを踏まえて言峰の内面の経歴を辿るなら<br>生まれてから健やかに成長し、父の語る“美しいもの”がなんであるかわからず父を愛せないながらも、父の期待に答えるために道徳と良識を学ぶ<br>→ある日の朝、父が美しくあれと祈って付けた綺礼という名を一度たりとも美しく感じたことがないと気付いたことで、自分が美しいと感じるもののと周囲との齟齬を理解し、人並みの事柄で幸福を得られない自分を人並みに戻し救おうと、神への信仰や様々な功徳や苦行を行う<br>→10年に渡る試みの中で得られたのは自分には生まれつき“人並みの幸福実感”がなく、“他者の苦しみ”に勝る悦びが見いだせないという結論と、それに伴う自分のような人間が存在することへの“なぜ”という疑問だけ<br>→“生まれながら欠陥している”という事実を受け入れた後、それを克服するためのあらゆる努力の中で最後の試みとして人並みの幸福を得ようと、一人の女を愛そうとする<br>→妻との生活は二年に渡るが、女を愛そうとすれば愛そうとするほど、妻が自分の憤怒を理解し癒やそうとすればするほど女の嘆きを見たいと思う自分がいるだけであり、妻ほど自分を理解し癒そうとする人間はこの先現れないという考え、その妻でも癒せないという絶望から、もはや生きて是非を問うまでもないと、自分の誕生は間違いだったとして自害を決める<br>→自分の試みのために妻とした義務として命を断つ前に別れを告げに行くが、言峰を理解していた妻は言峰は人を愛せ生きる価値があると証明するために自ら命を断つが、その時言峰が思ったのは女の死を愉しめなかった、という損得の悲しみだけだった<br>→この妻の死とその時に感じた感情から、自分は救われないだけでなく、妻の献身と死も無意味にしたことを悟るが、当時の言峰はそれを受け止められず、妻に関する記憶を“妻も自分の人格の欠落を理解していなかった”ことにする、妻にも感じてしまっていた“他者の苦しみの悦び”とする自身の性質を忘れるなど、自分の本性から意識的・無意識的両面で目を背け遠ざけるようになる。<br>→その少し後に令呪が現れたことでZeroにおける“人並みの幸福実感”を得られないか試行錯誤しつつも父の要請に従っての第四次聖杯戦争と、その経歴から空虚な徒労を繰り返した果てに答えを得たと予想した衛宮切嗣ならば、自分が抱き続ける“なぜ”という疑問への答えを出せるのではないかと期待する<br>→その中で英雄王ギルガメッシュと出会い、彼から自分が他人の不幸を愉悦としていることを指摘され、そしてその悦を自ら進んで行うことを教唆されたことで、目を背け忘れていた己の悪性と、改めようとするだけだったかつてとは違った形で再び対峙することになる<br>→自分から意欲的に人の不幸を作り味わうというこれまでの人生で始めての経験と満足感、衛宮切嗣が自分が求めていた人並みの幸せを無価値とする男だったことへの憎悪、冬木大火災の地獄絵図の光景を見たことで感じた至上の幸福感を味わうことで開花、単に“他者の苦しみ”だけにしか幸福感を得られないというだけでなく、それを至福と感じる自分の本性を完全に自覚し、SNのような悟りと余裕を得ると共に何故自分のような存在が生まれたかという過程への問いも明確化する<br>→人並みに愛情は持てずとも、物事を美しいと感じる事はできる。基準は違うが、愛情という物がある事に変わりはないとして、周囲との齟齬がある自分を許す必要がなくなったことで自分への達観した自己分析も行えるようになり、過去も正確に受け止められるようになるが、妻の死が無意味であっても無価値にすることを嫌い妻の死の際に感じたモノが快楽によるものか悲哀なのかだけは意識的に答えを出すことを止めている<br>のような感じになると思われる。迷いながらもそれ相応に淡々と進んでいた人生が妻の死の辺りで大きく変動する辺り、言峰の妻への複雑な想いが見て取れる。
 
*ZeroとSNで第四次聖杯戦争以前のことについての回想が異なるが、これはまだSNの頃のような悟りと余裕がなく、迷いと葛藤から自らを内省するにあたって、かなり過去の記憶や事実関係(奥さんに関する記憶はその最たるもの)をねじ曲げて語っているため<!-- zeroマテ用語より -->。実際Zeroの作中で死別した奥さんのことを思い出そうとすると立ち眩みのような感覚に陥り靄がかかるように思考が散漫になるなど、明らかに異常な反応を示しているシーンもある。このため、10年後の達観した自己分析のほうが的を射ているとされる。<br>これらを踏まえて言峰の内面の経歴を辿るなら<br>生まれてから健やかに成長し、父の語る“美しいもの”がなんであるかわからず父を愛せないながらも、父の期待に答えるために道徳と良識を学ぶ<br>→ある日の朝、父が美しくあれと祈って付けた綺礼という名を一度たりとも美しく感じたことがないと気付いたことで、自分が美しいと感じるもののと周囲との齟齬を理解し、人並みの事柄で幸福を得られない自分を人並みに戻し救おうと、神への信仰や様々な功徳や苦行を行う<br>→10年に渡る試みの中で得られたのは自分には生まれつき“人並みの幸福実感”がなく、“他者の苦しみ”に勝る悦びが見いだせないという結論と、それに伴う自分のような人間が存在することへの“なぜ”という疑問だけ<br>→“生まれながら欠陥している”という事実を受け入れた後、それを克服するためのあらゆる努力の中で最後の試みとして人並みの幸福を得ようと、一人の女を愛そうとする<br>→妻との生活は二年に渡るが、女を愛そうとすれば愛そうとするほど、妻が自分の憤怒を理解し癒やそうとすればするほど女の嘆きを見たいと思う自分がいるだけであり、妻ほど自分を理解し癒そうとする人間はこの先現れないという考え、その妻でも癒せないという絶望から、もはや生きて是非を問うまでもないと、自分の誕生は間違いだったとして自害を決める<br>→自分の試みのために妻とした義務として命を断つ前に別れを告げに行くが、言峰を理解していた妻は言峰は人を愛せ生きる価値があると証明するために自ら命を断つが、その時言峰が思ったのは女の死を愉しめなかった、という損得の悲しみだけだった<br>→この妻の死とその時に感じた感情から、自分は救われないだけでなく、妻の献身と死も無意味にしたことを悟るが、当時の言峰はそれを受け止められず、妻に関する記憶を“妻も自分の人格の欠落を理解していなかった”ことにする、妻にも感じてしまっていた“他者の苦しみの悦び”とする自身の性質を忘れるなど、自分の本性から意識的・無意識的両面で目を背け遠ざけるようになる。<br>→その少し後に令呪が現れたことでZeroにおける“人並みの幸福実感”を得られないか試行錯誤しつつも父の要請に従っての第四次聖杯戦争と、その経歴から空虚な徒労を繰り返した果てに答えを得たと予想した衛宮切嗣ならば、自分が抱き続ける“なぜ”という疑問への答えを出せるのではないかと期待する<br>→その中で英雄王ギルガメッシュと出会い、彼から自分が他人の不幸を愉悦としていることを指摘され、そしてその悦を自ら進んで行うことを教唆されたことで、目を背け忘れていた己の悪性と、改めようとするだけだったかつてとは違った形で再び対峙することになる<br>→自分から意欲的に人の不幸を作り味わうというこれまでの人生で始めての経験と満足感、衛宮切嗣が自分が求めていた人並みの幸せを無価値とする男だったことへの憎悪、冬木大火災の地獄絵図の光景を見たことで感じた至上の幸福感を味わうことで開花、単に“他者の苦しみ”だけにしか幸福感を得られないというだけでなく、それを至福と感じる自分の本性を完全に自覚し、SNのような悟りと余裕を得ると共に何故自分のような存在が生まれたかという過程への問いも明確化する<br>→人並みに愛情は持てずとも、物事を美しいと感じる事はできる。基準は違うが、愛情という物がある事に変わりはないとして、周囲との齟齬がある自分を許す必要がなくなったことで自分への達観した自己分析も行えるようになり、過去も正確に受け止められるようになるが、妻の死が無意味であっても無価値にすることを嫌い妻の死の際に感じたモノが快楽によるものか悲哀なのかだけは意識的に答えを出すことを止めている<br>のような感じになると思われる。迷いながらもそれ相応に淡々と進んでいた人生が妻の死の辺りで大きく変動する辺り、言峰の妻への複雑な想いが見て取れる。
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== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==