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== 話題まとめ ==
 
== 話題まとめ ==
 
;悪路の高丸
 
;悪路の高丸
:悪事の高丸、その別名。本地譚では高丸悪路、安倍高丸などともされる架空の人物。
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:悪事の高丸、その別名。本地譚では安倍高丸などともされる架空の人物。
:高丸について書かれた文献は1352年~1361年頃成立と推定される『神道集』巻4「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」や、1356年成立の『諏方大明神画詞』9-11段が挙げられる。
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:高丸について書かれた文献は、古くは1352年~1361年頃成立と推定される『神道集』巻4「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」や、1356年成立の『諏方大明神画詞』9-11段が挙げられる。
 
:『神道集』「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」のあらすじは、稲瀬五郎田村丸が鞍馬寺の毘沙門天から授かった堅貪という剣と諏訪明神や住吉明神の加護で悪事の高丸を討伐したというもの。
 
:『神道集』「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」のあらすじは、稲瀬五郎田村丸が鞍馬寺の毘沙門天から授かった堅貪という剣と諏訪明神や住吉明神の加護で悪事の高丸を討伐したというもの。
:この稲瀬五郎田村丸とは、[[坂上田村麻呂]]をモデルとした御伽草子(室町物語)『鈴鹿の草子(田村の草子)』の中で田村丸俊宗が名乗った稲瀬五郎坂上俊宗である。諏訪大社が祭事の由緒に御伽草子の物語を採り入れた、もしくは『鈴鹿の草子(田村の草子)』が諏訪大社の祭事を物語に採り入れたと考えられている。『鈴鹿の草子(田村の草子)』は1486年には成立していた。
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:この稲瀬五郎田村丸とは、[[坂上田村麻呂]]の事跡が反映された御伽草子(室町物語)『鈴鹿の草子(田村の草子)』の中で田村丸俊宗が名乗った稲瀬五郎坂上俊宗である。諏訪大社が祭事の由緒に御伽草子の物語を採り入れた、もしくは『鈴鹿の草子(田村の草子)』が諏訪大社の祭事を物語に採り入れたと考えられている。『鈴鹿の草子(田村の草子)』は1486年には成立していた。
:『田村の草子』の中では「近江の高丸」として登場し、『田村の草子』を底本とした江戸時代成立の『田村三代記』でも「明石の高丸」としている(明石は近江国と設定されている、悪事が明石に転訛したものか)。
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:『田村の草子』の中では「近江の高丸」として登場し、『田村の草子』を底本とした江戸時代成立の『田村三代記』でも「明石の高丸」としている(明石は近江国と設定されている、悪事が明石に転訛したものか)。いずれも田村丸将軍と[[鈴鹿御前]]夫婦に討伐される構造は共通している。
:明治時代に活躍した民俗学者・伊能嘉矩が『吾妻鏡』の悪路王は「大高丸→悪事の高丸→悪路王」と転訛したと著書に記した。ここから悪事の高丸=悪路王=[[大嶽丸]]との伊能説が広まったものの、実のところ定説とまではいえない。東北地方の悪事の高丸伝説は、奥浄瑠璃『田村三代記』が神社やお寺で演じられ、物語がそのまま本地譚として由緒に採り入れている。そのため『田村語り』の成立と構造の研究の進んでいる平成以降の書籍や論文では伊能説とは異なり、悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物として扱われている。
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:明治時代に活躍した民俗学者・伊能嘉矩が『吾妻鏡』の悪路王は「大高丸→悪事の高丸→悪路王」と転訛したと著書に記した。ここから[[大嶽丸]]=悪事の高丸=悪路王との伊能説が広まったものの、実のところ定説とまではいえない。東北地方の悪事の高丸伝説は、奥浄瑠璃『田村三代記』が神社やお寺で演じられ、その物語をそのまま本地譚(地方伝説)として由緒に採り入れている。そのため『田村語り』の成立と構造の研究が進んでいる平成以降の書籍や論文では伊能説とは異なり、悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物として扱われている。
:[[鈴鹿御前]]の出典を『田村の草子』『田村三代記』としているが、原点では上記のとおり悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物が定説とされている。型月世界における悪事の高丸と悪路王、大嶽丸の関係の有無は不明。
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:鈴鹿御前の出典を『鈴鹿の草子』『田村の草子』『田村三代記』としているが、これら原典では悪事の高丸と悪路王は別人物であり、討伐した人物も異なる。上記のとおり悪事の高丸と悪路王、大嶽丸は別人物とするのが定説とされているため、型月世界における悪事の高丸と悪路王、大嶽丸の関係の有無は不明。
    
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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