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*『地獄界曼荼羅 平安京』で1008年時点の彼女が登場していたが、さすがに当時の服装ではあったものの第三再臨の時の明るい服装で外見も立ち絵のままに若い。生まれが正しいのなら当時四十過ぎくらいのはずである。
 
*『地獄界曼荼羅 平安京』で1008年時点の彼女が登場していたが、さすがに当時の服装ではあったものの第三再臨の時の明るい服装で外見も立ち絵のままに若い。生まれが正しいのなら当時四十過ぎくらいのはずである。
 
**一緒にいた金時曰く、若作りで実際の年齢は不明な上、年齢に触れると暴れるためタブーであるとか。
 
**一緒にいた金時曰く、若作りで実際の年齢は不明な上、年齢に触れると暴れるためタブーであるとか。
*仕えていた中宮定子の死後に宮廷を退職した彼女だが、今のところFateでは触れられていないものの、その後没落したという伝説がある。
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*中宮定子の死後の彼女については「宮廷を退職した」とする説が古くから一般的であり、Fateでもこれを採用しているが、歴史学者の故・角田文衛は「中宮定子を強く慕っていた清少納言が、定子の遺した三人もの幼い子供を見捨てて引退するとは考えがたい」という異説を唱えていた。
**鎌倉時代の説話集『古事談』には没落した後の清少納言のエピソードが収録されている。それによれば「若い貴族が荒れ果てた清少納言の家の前を通りかかり『彼女も落ちぶれたものよ』と言ったところ、それを聞いていた清少納言は、古代中国の故事にひっかけながら『イイ女はババアになっても大事にしなきゃ、あんたら偉くなれないよ』(意訳)と返した」という。
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**角田説によれば「紫式部が日記にボロクソ書いていたのは、清少納言本人と面識がありライバルとして激しく意識していたから」らしい。広く受け入れられている説ではなく、史料もないので真相は不明だが、ロマンのある話ではある。
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*今のところFateでは触れられていないものの、古くから「清少納言は宮仕えを退職した後没落した」という伝説があり、鎌倉時代の説話集『古事談』には没落した後の彼女のエピソードが収録されている。
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**「若い貴族達が荒れ果てた清少納言の家の前を通りかかり『彼女も落ちぶれたものよ』と言ったところ、それを聞いていた清少納言は'''鬼のような尼姿で'''家の中から顔を出し、古代中国の故事にひっかけながら『イイ女はババアになっても大事にしなきゃ、あんたら偉くなれないよ』(意訳)と返した」という<ref group = "出" name="『古事談』第二 臣節「五五 零落したる清少納言、秀句の事」"/>。
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**また『古事談』中の別の話によれば、清少納言の兄・清原致信は[[源頼光]]の命令で頼光四天王に屋敷を襲撃され殺されたという。清少納言もその襲撃現場に居合わせており、「容貌が男性の僧に似ていたので殺されそうになったが、'''裾をまくって股間を見せつけ'''、女であることを証明した」という伝説も残されている<ref group = "出" name="『古事談』第二 臣節「五七 清少納言、開を出す事」"/>。
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**このような「清少納言零落伝説」が生まれた背景には、「学問のできる女は幸せになれない」という当時の価値観が反映していたともされる。
    
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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