織田信長

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魔人アーチャー

  • 真名:織田信長
  • 身長:cm/体重:kg
  • スリーサイズ:B/W/H

Fate/KOHA-ACE 帝都聖杯奇譚』に登場する、「弓兵」のクラスのサーヴァント
輝く木瓜紋をあしらった軍帽と黒の軍服を纏った少女。

略歴
大聖杯によって召喚された「救国英雄」の一人であり、桜セイバーと聖杯を巡り、幾度となく刃を交える事になる最強の敵……になる予定。
真名は織田信長。戦国の風雲児と呼ばれ、既成概念を次々と破壊しながら天下統一に邁進した事から第六天魔王とあだ名され、後の天下人・豊臣秀吉や徳川家康と共に戦国三英傑と謳われる日本の大英雄である。
人物
見た目は若々しいが、年季の入った尊大な口調で話す。所謂「ロリババア」。
口癖は「是非もなし」。場面によって言い方が変わり、「是非もなしかな?」「是非もないかな?」「是非もないんだよ!?」と使い分ける。
史実通り新しい物・珍しい物好きで、いつも着ている軍服は大日本帝国陸軍の物ではなく、ナチスドイツの制服を元にしたものであり、かっこ良かったのでマスターに似た物を作らせたらしい。曰く「ジャーマンのセンスハンパないな!」
また自己顕示欲が強く、「真の覇王」を名乗り、TYPE-MOONに登場する他の王様たちに対抗意識を燃やしている。基本的に賑やかな事を好むが、昔好きだった敦盛は、踊ると死亡フラグが立つので自重しており、酒の席でも披露する事はない。
能力
主武装は火縄銃と日本刀。開催地が最大の知名度補正を受けられる日本である事に加え、その実力は帝都の聖杯戦争に参加したサーヴァントの中でも最強。
また、生前の逸話から高ランクの「カリスマ」を持ち、英霊軍団を呼び寄せる事が出来る。

宝具

天下布武
ランク:E~EX
由来:天下統一を夢見た信長の有名な政策と、長篠の戦いで信長が使ったとされる戦術「三段撃ち」。
自分の周囲に無数の火縄銃を配置し、両手に持った銃も合わせて全方位に向けた一斉射撃を行う。
本人は「三千丁の火縄銃によるマミさん的な『火縄=カタ』アクション」と評している。
絶大な破壊力と圧倒的な射撃密度によって桜セイバーを敗北寸前に追い込み、EXランクの宝具を保有する、かなり有名な「ライダー」のクラスの救国英雄を真っ向勝負で倒したことが桜セイバーとの会話で語られている。
また武田軍騎馬隊を葬った逸話から「ライダー」の適性を持ったサーヴァントに対し特に強い効果を発揮し、メドゥーサ赤セイバーを一蹴する。

登場作品と役柄

コハエース
桜セイバーに続く新サーヴァントとして登場。一応ラスボス枠らしいのだが、漫画が漫画なので扱いの方はお察し。
ちびちゅき!
帝都聖杯奇譚が始まる前に打ち切りになってしまったので、真剣に移籍を考えている。
「あのふざけたデザインのノブがちびちゅきに出たら可愛く見える不思議(当主)」

人間関係

桜セイバー
因縁のライバル。基本的に仲悪いが、『帝都聖杯奇譚』の宣伝をするときは息の合った連係を見せる。
坂本龍馬
手下。
セイバーオルタ
手下……のはずが、安土城を乗っ取られ逆に子分として扱われている。
赤セイバー
余りのフリーダムさに押され気味。
アーチャー (EXTRA・赤)
「弓とか古っ!!時代は鉄砲じゃ鉄砲!!」と言ってしまったため、すかさず「それはもうアーチャーではなくガンナーではないか?」と突っこまれる。

生前

豊臣秀吉
戦国三英傑の1人。一介の農民から時の最高権力者にまで登りつめた稀代の出世者。
徳川家康
戦国三英傑の1人。江戸幕府を興し、「徳川三百年の太平」を築いた。
明智光秀
本能寺の変で自身を討った裏切り者。

その他

織田信成
男子フィギュアスケートの選手。信長から数えて17代目の子孫。

名台詞

「え? わしの真名知りたい?
 知りたい? やっぱり!? えー?
 でも、わし、有名だしなぁ」
初登場回にて。真名バレバレなのに、このノリです。
「えー? そういわれたらのう。 でも人気出たら困るしのう。
 超面白いんだけどネ!!」
普段は意地の張り合いをしている桜セイバーと共同戦線を張り、『帝都聖杯奇譚』のアピールをする。だが周囲の反応はというと、
ライダー「いえ、やっぱり」 秋葉様「結構です」

メモ

  • なぜ桜セイバーと同じように社長が描かなかったのかと言われると、社長曰く「セイバーじゃなきゃやだよ」との事。だが下欄の「TONO地下王国」では「ってか、また描いたりしたら、なんかコハエースに弱みでも握られてるのかと思われて恥ずかしいし……」と生々しいコメントがされている。
    実際のところ、経験値氏は「社長は金髪大好き」という事しか握っていない。つまり、弱みなど何も握っていない。
  • 口癖の「是非もない」は、主に『仕方がない』といった意味。本能寺の変が起こった際、敵が明智光秀だと知って「是非に及ばず(同じ意味)」と言ったとされるので、ここから口癖設定にされたのだろう。なお、当時としては普通の言葉なので、本来は口癖というわけではない・・・はず。
  • 神を自称したとも言われるが、現在、織田信長は「建勲」という神号を得て正式に神として祀られている。よってスキル:神性を持っている可能性もある。
  • 本能寺の変の後、明智家の家紋である桔梗は織田家ではご法度になったが、織田信成氏の母親が法事の時に桔梗の花を持参してきたというエピソードがある。

話題まとめ

「三段撃ち」の真偽
信長が長篠の戦いで使った火縄銃による銃撃を三人一組で行わせ、お互いの射撃と装填の時間をずらし、常に射撃できる態勢を作ることで火縄銃の弱点を無くした新戦術「三段撃ち」は余りに有名。信長は三千人の鉄砲隊を千組に分けて一斉射撃させて武田騎馬軍を打ち破ったとされ、これがアーチャーのクラスに据えられた最大の理由と思われる。
だがこの逸話は、現在では事実かどうか疑問視されている。
「三千丁の火縄銃」の出典は『信長記』や『信長公記』であるがどちらも記述があいまいで、特に前者は資料として信頼性が低く、当時の状況を考えると信長が用意できた火縄銃は1000丁から1500丁ほどと言われている。
「三段撃ち」という戦術自体も存在が疑問視されている。また信頼性の高いとされる『信長公記』には「鉄砲奉行5人に指揮を取らせた」としか書かれておらず、具体的な戦術について記されていない。そして「三段撃ち」の名称が登場する最初の記述は江戸期に出版された通俗小説であり、信憑性に欠ける。
また、武田軍が朝から昼過ぎまで数時間に渡って当時の火縄銃の有効射程である50~100メートル圏内に留まり、ひたすら掃射を受け続けていたことも不自然と言う他ない。『信長公記』では柵から出入りしていたという記述もあることから、「三段撃ちは事実ではない」というのが現在の学界での通説となっている。(ただし『信長公記』には、まだ若い頃、父の命令で敵の砦を攻めた時、砦より高い丘から鉄砲隊を連続で段々撃ちにした、との記述があり、家督相続以前から『三段撃ち』と同様の戦術を取っていた)
……まぁ、沖田総司が新撰組で隊服として短期間しか採用されていなかったダンダラ羽織を宝具として着ていたり、セミラミスが実際は建設していない空中庭園を後付けの神秘として宝具化していたりするので、突っ込むのも野暮と言うものなのかもしれない。
なお、合戦において信長自身が鉄砲を撃っていたことも少々ある他、本能寺の変の際には初めに弓を取って戦ったといわれるので、飛び道具を使ったという伝承が全くないわけではない。
「アーチャー」ってラスボスなの?
「ラスボスがアーチャーなのはFateのお約束ですよね!」と紹介されているが、実際は「アーチャー」のクラスのサーヴァントがラスボスだったことはほとんどない。
「ラスボス」の厳格な定義は「主人公と最後の戦闘で直接対決する」「倒す事とシナリオのクリアが同義である」「その作品で上位の強さを持つ事」であるが、それらの条件に該当するのは『Fate/stay night』UBWルートのギルガメッシュ戦のみ。
しかも、その内容は「はっ、思い上がったな、雑種ぅ!」→直後「おのれおのれおのれおのれおのれぇ!!」なラスボスと呼ぶのは余りにお粗末な有様
正直、経験値氏の「アーチャー」のクラスへの期待が過大なような気が……。
Fate/Zero』でのアーチャーがラスボスかどうかは微妙なところである。確かにラストバトルの場にはいたものの、そこに辿りつくまでにメインのイベント戦闘を済ませていたセイバーからは「聖杯を目前にしての障害物」程度の認識であり、一応の主人公である衛宮切嗣にとってはもはや視界にも入っていない。
もっとも、『コハエース』的な意味での『Zero』クライマックスは冬木大橋がオケアノスすぎたアニメ23話だったっぽいので、ライダー陣営からしてみれば確かにアーチャーはラスボスといってもいい……のかもしれない。
日本一有名な英雄
日本において、文句なしで知名度ナンバーワンの英霊。
これまで信長が登場する小説、漫画、ゲーム、映画やドラマのタイトル合計数は100をとっくに超えており、新撰組や源義経でさえ足元にも及ばない。
信長は現在でも増殖を続けており、最近の有名所では「島津豊久や那須与一と組み、聖杯戦争顔負けの大戦争を繰り広げるドリフターな信長」、「タイムスリップしてきたサルと夫婦漫才をする乙女な信長」、「黄泉の国から舞い戻り、ホントに魔王になったBASARAな信長」、「ジャンヌ・ダルクや曹操と共演する無双な信長」、「右腕がガトリング銃に変化するミリタリー娘な信長」、「秀吉や光秀、ジャンヌと共に2つの星を股にかけて戦う巨大ロボットな信長」、「本能寺の変から脱出し、世界征服に乗り出す金太郎な信長」、「未来からやってきたシェフを料理番にするグルメな信長」、「現代で生まれ変わり、秀吉と共に車で旅を続けるTOYOTAな信長」等々、留まる所を知らない。
「第六天魔王」の由来
信長の呼び名に「第六天魔王」という呼称が存在し、彼女も好んで使うが実は本人から名乗ったのではない。
「第六天魔王」の元は仏教用語で、仏道修行を妨げる魔王を指す。仏道修行者を色や欲で惑わす仏敵であり、欲界最強の魔王として「天魔波旬」「他化自在天」とも呼ばれる。
この名は「長島一向一揆での殺戮」、「比叡山焼打ち」、「千人を超える高野聖の虐殺」など当時信長が行った苛烈な弾圧に反発する仏教勢力に付けられた呼び名であったが、信長はこの呼び名を嫌ってはいなかったらしい。
武田信玄が信長の一向一揆や寺社に対する弾発を批判する手紙を信長に送った際、当時仏教の最高権威であった天台宗を味方につけ、『自分が仏教の守護者である』という意味を込めて「天台座主沙門信玄」と署名をした。
その手紙を見た信長は「お前が仏教の代表者を名乗るなら、自分は仏教を滅ぼす魔王だ」と皮肉を込め、「第六天魔王」の署名で手紙を返したという。
余談だが、欲界の主である第六天魔王波旬に在り方が非常に近い人物が既に登場している。
政教分離の立役者
現在の日本は世界で最も政教分離が進んだ国だが、その礎を築いたのが信長である。上述の仏教弾圧の一面ばかりが強調されているが、禅宗の寺社仏閣の保護に務めている他、石山本願寺との和解後は浄土真宗の保護も行っている。比叡山の焼打ちなどの苛烈な弾圧を行ってきたのは、彼らが自身の覇道に立ち塞がる敵だった為であったことであり、実態としても求道者とは言い難い軍事組織であったからである。一方で政治に介入してくる事だけは極度に嫌っており、それは相手がキリスト教であっても同じ態度を取っている。
その後の政教分離政策は秀吉の時代では刀狩りとバテレン追放令という形で現れ、江戸幕府が開かれると「寺社法度」という法律によって宗派の統制が行われるようになり、この時点で日本の政教分離は完成したと言える。
女性説の説得力
信長は青年の頃、女子と見まがう美男子であったとする記録がある。また500m向こうから声が聞こえたという逸話があるほど、かなり甲高い声であったとされ、あながち女性設定も不自然ではないのかもしれない。
先に述べた作品群でも女性にされることは多い。理由としては女性にするだけで物語を組み立てるのが楽だからであろうか。
戦国三英傑
戦国三英傑とは、戦国時代を終わらせた3人の超人・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の事を指す言葉で、元々は3人の出身地である愛知県(当時の尾張と三河)で呼称されるようになったのが始まりである。実際、日本史を紐解いてもこの3人ほどずば抜けた逸話を持った英傑は存在しておらず、海外でも日本史は知らなくても3人は知っているという人物が多い。毎年行われる名古屋まつりでは、3人にちなんだ郷土英傑行列が行われている。
曹操との比較
近年の歴史研究では「三国志」の英雄・曹操と非常に似ているとして、比較される事が多い。両者には「天下統一の野心があった」「貴賎を問わず能力のある者を登用した」「逆らう者には情け容赦が無い」「文化・文芸に深く通じていた」「最高権力者を後ろ盾にした」等々、多数の共通点がある。唯一違うのは、曹操は最高権力者である皇帝を(一応)盛り立てていたのに対し、信長は室町幕府の将軍を追放して幕府を滅ぼした事である。なお、2人には「天下統一を目前にして致命的な失敗を犯した」という共通点もある(曹操は赤壁の戦いで大敗、信長は本能寺の変で討たれた)。とはいえ、これらの共通項として上げられるのは他の英雄にも当てはまる点が多く、また曹操と信長では時代・文化圏の違いを考慮しても異なる面が数多く存在し、同類視するには結構無理がある。
ホトトギスと天下餅
三英傑の性格と業績を表すキーワードとして広く知られている川柳と風刺唄。いずれも江戸後期(文政~天保期)に創作されたものだが、誰が創作したかは謎のままである。
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」は信長の短気と気難しさを表し、「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」は秀吉の旺盛な好奇心と人たらしと呼ばれた性格を表し、「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」は家康の忍耐強さを表しているとされている。
なお、3人が有名すぎてあまり知られていないが、秀吉の家臣であった加藤清正にちなんだ「鳴け聞こう 我が領分の ホトトギス」というものも存在し、これは清正の家臣としての性分を表していると言われている。
一方の天下餅の風刺唄「織田が突き、羽柴がこねし天下餅、座ったまま食うは徳川」は、元々は信長と秀吉の業績を家康が掠め取ったという意味の風刺唄だったが、現在では天下取りの様子を簡単に表したものと解釈されている。

 

本能寺の変
戦国最大のミステリーと呼ばれ、現在も大きな論争が巻き起こっている大事件。史実のみを抜き出すと、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都・本能寺に逗留していた織田信長を家臣の明智光秀が軍勢を率いて襲撃し、信長を自刃に追い込んだ。この時、光秀が発した「敵は本能寺にあり!」という言葉は歴史に残る名言の1つに数えられている。
この事件の最大の謎は、光秀が信長に反旗を翻す具体的な動機が不明な事である。事件直後から現在まで唱えられた説は大別すると光秀の単独犯説と黒幕説に二分されるが、いずれも決め手にはなっておらず、傍流にはイエズス会黒幕説すら存在する。

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