概要編集

幕末の日本で、主に京都で活動していた治安維持組織。
一種の特別警察としての側面があり、破壊活動を企む志士を取り締まっていた。

浅葱色のダンダラ羽織が特徴であり、坂本龍馬を始めとする志士たちからは「ダンダラ羽織に会ったら道を変えろ」と恐れられていた。

池田屋事件などで名を上げるものの、戊辰戦争の開始と共に幕府側で戦うべく甲府や江戸に向かい各地で戦うも、メンバーが戦死したり降伏したり抜けたりを繰り返し、戊辰戦争後半で組織としては自然消滅した。

人物編集

メンバー編集

近藤勇
二代目局長であり、作品内でも「局長」と言われているのは主に彼。
人物の描写がないため人間性は不明。
戊辰戦争では奮戦したが捕えられ、斬首された。
芹沢鴨
初代局長。
辣腕だったが乱暴者で素行が悪く、土方らに暗殺された。
新選組に対しては「尽忠報国のための組織であり、国を改善する為に自分に率いられるべき」という思想を持っていた。
山南敬助
元総長。
芹沢の暗殺にも参加していたが、その事がずっと心残りだったようで、ついていけなくなって脱走して捕えられて切腹した。
新選組に対しては「どうあるべきか」でずっと悩み続けており、『ぐだぐだ邪馬台国2020』では「身内を殺すべきではなく、助け合うべきだった」という結論に至った。
土方歳三
副長。「鬼の副長」と呼ばれ、拷問などの後ろ暗い部分を引き受けていた。
戊辰戦争では最後まで戦い抜き、函館で戦死したとされているが、死体は確認されていない。
メンバーが次々と抜けていく中でも戦い続けたからか、「俺が新選組だ」という狂的な信念に至っている。
沖田総司
一番隊隊長。女性。
「猛者の剣」と呼ばれた剣の達人であったが、結核によって戊辰戦争に参戦することなく病没。
そのことを気に病んでおり、「新選組として最期まで戦い抜きたかった」と後悔を抱えている。
永倉新八
二番隊隊長。
「最強の剣」と呼ばれた剣の達人。
山南の切腹時には「その遠慮のない物言いが新選組には必要だ」と評価されていた。
次第に変質して追い詰められていく新選組と袂を分かち、天寿を全うした。
そのために「新選組にいた事自体が間違っていたのではないか」という想いから新選組にいた頃を自分の全盛期を思うことができず、召喚される際も晩年の老人の姿となっている。
斎藤一
三番隊隊長。
「無敵の剣」と呼ばれた剣の達人。
戊辰戦争では会津のあたりまでは戦ったが降伏し、後に警視庁で働いたりした後、天寿を全うした。
「自分は面白い方に行く」と新選組に対しては突き放した見方をしているが、土方曰く「彼は絶対に新選組を裏切らない」とのことで、実際に新選組の皆の行く末についても思いを馳せていた。
武田観柳斎
五番隊隊長。
コハエースにおいて沖田の台詞から存在が示唆されている。
原田
芹沢鴨暗殺や池田屋事件の際にしばしば同行していた隊士。
明言されていないが、おそらく十番隊隊長の「原田左之助」。
山南の切腹時には「その憎めない性格が皆の助けになる」と評価されていた。
伊東甲子太郎
新選組で参謀兼文学師範を務め、後に脱退して御陵衛士を組織するも新選組に暗殺された。
山南の切腹時には「伊東先生」と呼ばれ、「皆に知恵を貸してほしい」と頼まれていた。
服部武雄
新選組の五番隊に所属していた隊士であり、心酔している伊東と共に御陵衛士に加わり、暗殺された。
上記の永倉が「新選組の最強は服部」と言及するような達人であった。
藤堂
山南の切腹時には「これは私の責任だから近藤を恨んではいけない」と諭されていた。
明言されていないが、おそらくは八番隊隊長を務め、後に御陵衛士に加わり伊東ともども暗殺された「藤堂平助」。
源三郎
山南の切腹時には「貴方のような人が大事なのです」と敬われていた。
明言されていないが、おそらくは六番隊隊長を務め、鳥羽・伏見の戦いで死没した「井上源三郎」。
市村
『Fate/Grand Order』の土方歳三の幕間の物語『あの人の事』にて、主人公が視点を借りて新選組の興亡を追体験した隊士。
一番最後の五稜郭まで同行するものの、土方の遺品と写真を日野の実家まで届けた。
明言されていないが、おそらくは土方歳三の小姓を務めていたとされる「市村鉄之助」。
大石
油小路の変で伊東の暗殺に向かったメンバーの代表。
明言されていないが、おそらくは一番隊に所属していた「大石鍬次郎」。

関連用語編集

御陵衛士
伊東甲子太郎が主導した組織であり「孝明天皇の御陵(墓)を護る」を名目上の目的とした事実上の新選組の別動隊。
佐幕思想に傾倒していた新選組と異なり勤皇思想が強く、組織にあたって局長である近藤勇の許可を取っていたにも関わらず、新選組が分裂することを危惧した土方歳三の独断によって潰された。
油小路の変
上記の御陵衛士が新選組によって壊滅させられた事件。
伊東甲子太郎を暗殺した後その遺体を野晒しにして、回収に来たメンバーを一網打尽に暗殺するという非道極まりない手段が実行された。
新選組について語る際の汚点と言ってもいい事件であり、この事件が後に尾を引く形で新選組の壊滅に関わってゆくことになる。
甲陽鎮撫隊
鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が京都を失い、結果として目的を喪失した新選組を再編した組織。
江戸へと向かってくる維新軍を甲斐で幕府軍を率いて迎え撃つことを命じられ、成功の暁には甲斐の国と幕府軍司令官の座を約束されていた。
だが幕府軍は統制が取れておらず、維新軍に敗北し、近藤勇も敵に捕らえられて壊滅した。


言及作品編集

メモ編集

  • 読者からの通称は「弱小人斬りサークル」。コハエースでのノッブの発言が由来だが、あんまりである。
  • アルトリアに対して拗らせたメンバーが多い円卓の騎士や織田信長に対して拗らせたメンバーが多い織田家と比較すると、「新選組という組織そのもの」に対して拗らせたメンバーが多い印象が強い。
  • 「新撰組」と記載されることも多いが、史実では隊の公式印が押された資料では「新選組」とされており、それに倣って「新選組」が公称として扱われている向きが強い。型月では「新選組」表記で統一されている。

脚注編集

注釈編集


出典編集


リンク編集